61 濡羽の雫
憤るシズクを宥め、歩いてカナンの元へと向かったコドクは、死体が散らばる街道を見ても見開く事がなかったその目を丸くし、唖然とした様子で呟いた。
「……これは、予想外……」
「……何これ、なのです?」
その光景を見たシズクも、さっきまでの怒りを忘れ、不思議そうに首を傾げた。
そこには、襤褸切れや擦り切れた服を着た、貧相な大勢の人々が、星花が作ったのであろう料理を、涙を流しながら食べているという光景が広がっていた。
星花がいるところには、長蛇の列ができており、シャウランが一生懸命に「皆、二列に並んでー!」と兎耳をピコピコさせながら叫んでいる。
それを見て、「あれ、カナンはどこに?」と思ったコドクの視界に、氷漬けになった巨大な何かを、片腕で引きずってくるカナンの姿が映った。
引きずられているそれは、首がごっそりと無くなっていてよく分からないが、猪のようなものらしい。それを見た人々が、カナンを神でも見るかのような目で見た。
カナンは、それを星花に渡すと、何かを探すように辺りを見渡し……カナンを見ていたコドクと目が合い、凍ったようなその表情を綻ばせた。
「コドク、お帰り!」
「おお、ただいま……ごふっ!?」
カナンは笑顔のまま跳躍すると、一直線にコドクの胸元へと飛び込んだ。
矢のような速さでコドクに飛び込んだカナンは、コドクの毛並みを撫でると、コドクの隣で、「むぅーっ!」と嫉妬してむくれているシズクを見て、微笑んだ。
「あなたが、コドクが言っていた子?
初めまして、私は、コドクの妹のカナン。」
「………シズク、なの。」
微笑みながら、撫でてくるカナンに、若干動揺しながら名前を言うシズク。
すると、カナンは微笑みを困ったような笑みに変え、苦笑した。
「……ごめんなさい。その名前、私には聞こえないの。別の名前はない?」
「あ……」
カナンの言葉に、自分の名前はジルナしか聞こえない事を思い出したシズク。
シズクは、迷ったように視線を漂わせると、上目づかいでコドクを見た。
その時、シズクの目に、コドクの真っ黒な羽根が映った。
「……ジルナ。」
「なんだ?」
「この、黒い羽根……ジルナの故郷では、なんて言うのです?」
コドクは、「あれ?俺、日本の事、シズクに言ったか……?」と疑問に思いながらも、黒い羽根の別の言葉がないか、考えるコドク。
と、コドクの脳裏に、黒いカラスの羽根が思い浮かんだ。
「……濡羽。」
「ヌレバ?」
「ああ。綺麗な黒色の事を、濡羽色って言うんだけど……」
そう言いながら、コドクはシズクの髪を見て言った。
「シズクの髪みたいな、女性の綺麗な黒髪の事も、確か濡羽色って言った筈だな。」
それを聞いたシズクの頬が、ほんのりと赤くなる。そんなシズクの様子を見たカナンが、頷いて微笑んだ。
「それで、決まりね。よろしく、ヌレバ。」
「う、うん。よろし……って、私はよろしくするつもりは無いの!」
シズクは、カナンがコドクと親しい人だという事を思い出し、カナンの撫でる手を払い除けながら頬を膨らませてそう言った。
コドクに下半身を巻き付かせながら、「しゃぁーっ!」と威嚇し始めたシズクに、カナンは苦笑すると、シズクに優しい目を向けた。
「……大丈夫。コドクは、あなたの前から、いなくなったりしないから。
……よく、怪我したり、無茶したりはするけど。」
後半の言葉を、コドクを睨みながらそう言うカナン。コドクは、その責めるような視線から、そっと目を逸らした。
その後、コドクがどんな無茶をして、いかに自分が心配したかという事から、コドクがどれだけ頼れる存在だったかを、カナンはシズクに語り出した。
シズクの、カナンを見る目に何故か尊敬の色が混じり始め、更に周りで聞いていた人々がコドクを神聖視し始めた頃、ようやくユーナが精霊界から帰ってきた。
「あー、疲れたわ……って、何これ?」
「お帰りなさい、ユーナお姉ちゃん。ええっと、あのね……。」
予想以上にいた大勢の人々を見て、驚いているユーナに、シャウランが何故こうなったかを説明しだした。
コドクと別れ、真っ先に裏路地に入ったカナンは、そこら中に漂う瘴気のようなものにも目もくれず、子供達だけを助けようとした。
だが、勿論、そこにいる人は、子供だけでなく、貧しい大人もいる訳で。
最初はそれらを無視しようとしたカナンだったが、子供達が「皆助けて」と言ったのと、その心の声を聞いてしまったシャウランがお願いした事により、カナンは渋々皆を助ける事にしたのだ。
そこで出てきたのが、奴隷の存在である。
子供達からその存在を聞いたカナンが、どうするかと考え込んだ時、隣にいた星花が、平然とした様子でこう言った。
「でしたら、奴隷を持っている富裕層の人間を、皆殺しにしてしまえばいいのではないでしょうか?」
と。
もし、カナンが普通の女の子であったなら、その言葉は冗談として受け取るか、もしくは拒否しただろう。
だが、カナンは普通の女の子ではない。更に、コドクに鍛えられ、精霊にまでなって強くなっていた事により、それをできる力を持ってしまっていた。
これにより、ルリィドユアー国の首都で、コドクがシズクを助けにいった時間の間に、カナンと星花による大虐殺が行われたのである。




