36 死者が遺したもの
2話目。
三人称視点スタート。
地面に落ちた影の死者の手を見て、プルプルは影の死者の終わりが近い事を悟り、思わず、呆然と呟いた。
「ぷる……お父さん、もう……」
「みたいだな。再生しないし、もうすぐ俺は死ぬんだろう。」
影の死者の、静かなその言葉に、影鼠が悲しそうに、きゅうきゅうと鳴いた。
『死んじゃうの、ご主人様……?嫌だよ……。』
悲しそうな影鼠のその言葉に、影の死者は目を細めた。
影の死者は、もうそこに無い、自分の手のあった空白を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「本当はね。『コドク』の中へと還れば、また俺は生き返る事ができるんだと思う。
でもね、嫌なんだよ。今度こそ、俺はちゃんと、自分の意思で死にたいんだ。世界に嫌われて、拒絶されて消される、そんな終わり方じゃなくてさ。
それに、『コドク』は俺の事なんざ、見てはいないだろう。きっと、身体の一部、そんな程度にしか見ていない筈さ。そんな『コドク』の中に還って、また生まれてっていうのは、どうしても嫌なんだよ。そんなんだったら、俺は、『俺』をきちんと見てくれたお前達のもとで死にたい。それでもってお前達の命の糧となれるのなら、俺はそれで十分さ。」
「お父さん……。」
『ご主人様……。』
いよいよ余命が残り少なくなってきたのだろう。影の死者の腕が、ぼろりと落ちた。
影の死者は、同期しているその繋がりから、感じる事のできるコドクのいる方向へと向き、得意げに笑った。
「ははは。どうだ、『コドク』?俺は、ちゃんとここにいたっていう記憶を、ここに残して死ぬ事ができるぞ。
お前にとっては、俺なんか羽根一枚の存在価値なんだろうけどな。それでも、死を悼んでくれる人が、俺にはいるんだぞ。
一寸の虫にも五分の魂ってな。こんなちっぽけな俺だって、誰かに想ってもらう事ができたんだ。
だから……」
影の死者の片足が、崩れ落ちた。バランスを崩して倒れ込んだ影の死者の頭にいた影鼠が、驚いて地面に飛び降りた。
影の死者は、残った片腕で体を支えながら、しっかりと前を向いた。
なんとなく、影の死者は、コドクが目を見張った……ような気がした。
「『コドク』。お前も、もっと自分を大切にしろよ。そんな感情なんて、ちっとも浮かんでこないんだろうけどさ。
お前は、もう『孤独』じゃないんだ。独りじゃないんだよ。自分を蔑ろにしてもいい時期は、もうとっくに終わったんだ……。」
影の死者は、重たくなってきた腕に力を込め、仰向けに倒れ込んだ。屋根と屋根の間から見える満天の星空が、影の死者の目に飛び込んできた。
その光景に、影の死者は思わず息を吐いた。
「綺麗だな。こんな死に方も、ありかもしれないね。」
目を細めながら呟いた影の死者に、影鼠が悲し気に擦り寄ってきた。影の死者は重い腕を叱咤して動かし、影鼠を撫でた。
「なぁ、影鼠。お前に、お前だけに、俺がもう一つの名前を付けていいか?」
『……うん。勿論いいよ、ご主人様。』
「……星花。この夜空に輝くような、綺麗で、優しく光る星……。」
影の死者の細い声が、星花の魂を震わせた。
途端、影の死者の残った足も、崩れて地面に転がった。
ふわ、と、黒い羽根が、少しだけ地面から離れ、ゆっくり落ちる。
影の死者は、振り絞るような声で、呟いた。
「星花。
できるなら……お前は、あの、自分を蔑ろにする事しかできない、星もない哀れな夜空の、寄り添う星となってやってくれ……。」
言いたい事を言った影の死者は、息を吐くと、真っ黒な歯を剥き出しにしながら、幸せそうに笑った。
その時。
星花を撫でていた手が。
ぼろり、と。
星花の目の前で、崩れ落ちた。
『う、うう……ご主人様ぁ……』
影の死者だったものを、必死に抱き寄せながら泣きじゃくる星花に、プルプルが身体を変形させ、柔らかい棒のようなもので星花をあやすように撫でた。
「大丈夫、お父さんは死なないよ。お父さんは、プルプル達と、もう一人のお父さんにも、ちゃんと存在を残したから……。」
『分かってる。分かってるけど……ぐすっ。』
プルプルは、影の死者の死体に近づくと、辺りに散乱している黒い羽根を数枚取った。
「プルプルは、これだけを貰うね。ご主人、この羽根が好きだから、後で首飾りにしようと思うんだ。プルプルが食べちゃうより、こういう形で残した方が、お父さんが守ってくれると思うから。あとは、星花のものだよ。」
プルプルは、最初に乗っていた巨大な花の上に戻ると、身体を震わせた。
「プルプルは、ご主人の元に戻るよ。押し付けちゃうみたいで悪いけど…お父さんを、よろしくね。」
花が閉じ、蕾に戻ると、プルプルはその植物ごと地面の中へと消えていった。
植物が消えた路地に、星花の泣きじゃくる声だけが、小さく響いた。
『ご主人様…。ご主人様の命、無駄にしないからね……。』
星花は泣きながらそう言うと、影の死者の死体に、齧りついた。
……。
共有していた記憶が、途切れた。
俺は、閉じていた目を開いた。夜空には、『影の死者』が見ていたものと同じ星空が、キラキラと瞬いていた。
まったく。自分の分身に反抗されるとは、俺も思わなかったぞ。飼い犬に手を噛まれるとは、この事か。
それにしても……俺は孤独じゃない、か。
あいつも、好き勝手な事を言ってくれる。でも、的を射ていたのは否定できない。
『影の死者』が言いたかったのは、結局の所、俺は過去から解き放たれていない、という事なんだろう。
自分から、自分への忠告、か……分かっている。もう、自分だけの命なのではないという事くらい、俺だって分かっている。
俺が死ねば、悲しむ人が、今はいるのだという事も。でも、分かっていても、どうしようもないんだ。自分の事を蔑ろにしてしまうのは、もう俺の悪い癖みたいなもので。どうしようもないから、諦めたんだよ。
……でも、そうだな。捨て駒のような扱いを受けたというのに、死に際まで俺の為に意思を残した『影の死者』の言葉だ。努力はしてみるか。
それにしても、あの『影の死者』は不思議な生き物だった。最初はほとんど俺であったのに、時間が経つにつれ、俺からどんどん離れていっていたのだから。
多分、できそこないとはいえ、人間を模した身体だったのが、確立されていく人格に影響を及ぼしたのではないだろうか?そして、俺に近いながらも、過去に縛られない俺自身として、自分自身の過去を振り返り、俺にその意思を残した……。
不意に、絶えず探っていた気配探知の範囲に、敵意を持つ魔物が侵入した。
俺はそれを闇で喰らい殺しながら、小さく呟いた。
「いずれにせよ、感謝しなければね。俺もまた、忘れないよ……もう一つの俺である、『影の死者』よ。」
俺は、夜空を見上げながらそう言うと、ゆっくりと瞼を下ろした。




