第一部、芽の結界
――熱い。痛い。
声を上げようとするが、喉は自分のものでないように動かない。
ただ、張り付いたような――、
「リクトロア!! 目が覚めたの!?」
いきなり揺さぶられて目を開ければ、見知った顔が覗き込んこんでいる。
――ルイ…… い ゼ……?
また声が出なかった。ただ口をルの形にしてパクパクさせている。
その様子に安心したように微笑み、
「良かった。もう目覚めないかとヒヤヒヤしたわ」
何かの飲み物が入った木のカップを渡された。
ありがたく、熱い喉に流し込もうとし――
盛大に吹いた。咳き込む音にカップが落ちる音は混ざらない。
「大丈夫よ。今のに少し声が混ざっていたわ。声は戻る」
カップを受け止めたルイーゼが、また手に持たせてくれる。
「ゆっくり飲み込んで。痛み止めと軽い栄養補給よ」
言われるままにゆっくり飲み下すと、
「痛くない?」
ふるふると首を横に振ると、ルイーゼは深刻な表情になり、
「重症よ……」
「……?」
「リクトロア。何があったか覚えてるかい?」
好々爺という表情で話しかけて来たのは、あの記憶でリクトロアの手を握ってくれたケヴィンだ。
小さな初老のおじさんという警戒心が消える風体はいつものものだった。
「芽胞状態ができたリクトロアだから、生きて戻れたんだよ」
芽胞。細菌などの微生物が、生存できない環境で仮死に似た状態になって乗り切る事象だ。
あれだけの猛毒の中、確かに守りに徹するなら良いかもしれない。
だが――
ふと、疑問に思う。
あの傀儡王と王太子なら、ここまではできないだろう。
「リクトロア。覚えていないなら忘れなさい。思い出さないほうがいい」
言われ頷き、またカップを傾ける。僅かずつしか飲み込めないようで、ちっとも減らなかった。
――と。
辺りをきょろきょろと見回す
――姉さんの……砦の私室?
「そうだね、ここはミュリエの居室だよ。何かと便利だったから君を運んでここで診てた。さ、少し眠れる薬を飲ん……」
《イルゼ!? リクトロア起きたよな!?》
《待ちなさい、患者はまだ……》
下から騒がしい声が響くと、ケヴィンは渋面になった。
「リクトロア。面会どうする?」
リクトロアが頷くと、ケヴィンは扉の方へ行き、
「騒ぐくらいなら入りなさい。その代わり喧しくするなら追い出すよ」
「おお、リクトロア! 生きて…… ……あ〜 ……」
入ってきたケイオスは、後から入ってきたヘンリックと顔を見合わせ、
「あの……これ、助かるんですよね」
それに応えたのは、二人に続いて戻ってきたルイーゼだった。
「声は戻ると思うわ」
「声は、って……イルゼ。ずっと寝台の上で暮らせとか……」
――イルゼ?
また疑問に思ったが、
「あ、そうそう、リクトロア。あたしは今、本名のイルゼだから」
何故偽名だったか聞くだけの意思疎通はできないので黙って頷く。
「声より早く動けるようになるわ。そこは安心して。……だから、まだ面会は早いって言ったのよ」
イルゼが説教じみて二人に言って聞かせている。
――ルティナは……?
どうしても聞きたいがどうすればいいか……考えていると、目の前に懐中時計が出た。
そのまま力を使ってみる。
光で文字を書くくらいは詠唱無しでできた。音はつけられないが。
ルティアナの名を書くと、
「リクトロア……まだ無理だ」
「……リクトロア? 会うのはいいけど、会ったらルティアナちゃん泣く」
「……?」
その辺りにあった姉の鏡をリクトロアに向けてくれた。
処置されてこの外見というだけで、強烈だ。
いつ治るのか効くのはキツイ。イルゼは治ると言っているし、信じよう。
「喉潰すのって、ここまでえげつない外面になるのか?」
「普通じゃないわね。何考えてたのかしら?」
「一週間前に、気がついたらリクトロアがここに運ばれて来てたって聞いたが……会わせてくれないから遺体かと肝を冷やしたぞ。まあ、今の外見も……起きていてくれないと騒ぐもんだが」
「転移門で運んだのよ。見たら大騒ぎだし、リクトロアが搬送に耐えられそうになかったもの」
「なるほどなるほど……それにしてもキレイだな……」
「……?」
リクトロアの顔――正確には眼を覗き込むケイオスの頭をイルゼが押さえ、
「ほら、人様を許可なくジロジロ見ないの!」
「……許可を取ればいくらでも見ていいのか?」
「ヘンリック……それはセクハラ該当のお話?」
「わ、悪かった……」
そんなやり取りの後、ケヴィンが鏡を改めてリクトロアに向ける。
王都の光景も術で映しつつ、
「リクトロア。この封癒門はこのままにするのかい?」
聖門があの反転世界を封癒門と呼ぶのは何度か聞いている。頷く。
あの反転世界は、傀儡王と王太子の命が終われば消えるようにしてあった。二人の巻き添えを食う生命を和らげる目的だ。
それを文字にすると、ケヴィンは、
「そう、それはいいんだけれど。あの二人は当面生かさず殺さずだから……ずっとケイオスみたいにリクトロアの瞳を好奇心で覗き込む人も出てくると思う。……それ、見た目誤魔化せる?」
意識を集中し、既に敷いた王都の反転文字盤に干渉し――
「よし。全体が藍鼠に滅紫と花浅葱の干渉。……やっぱり異様な綺麗さはあるけれど、文字盤や針は出てないから……」
「え? ケヴィン、出てるわよ!」
「……いや? ないよ?」
「これもしかして……シャルグたち呼んで!」
検証の結果、術行使能力、経験の高い人間には見えてしまうということが判明した。
「……瞳をじっくり見つめて来る人が居たら、気をつけるのよ」
そういうイルゼの赤香色の神官服をじっと見た。
「あ、あたしは聖門の赤服神官よ。この色が医療とかに長けた、いわゆる医者神官の色よ。ケヴィンが着てる薄色の神官服が灰服。教導の神官の色ね」
そうではなくて神官服を着ている理由が疑問だったのだが、今まで神官と言えなかった理由は……確かに、この状況に対処するほうが先だが。
「じゃ、リクトロア。次に目が覚めたときにと思ったけれど……これ、事後承諾でいいかしら?」
言われて出されたのは、リクトロアの髪が何やら長いガラスの管に入った分析装置だ。
「すごいよな、これでずっと毒を盛られてた証拠になるとか」
「ミュリエさん、それで髪伸ばせって遺言したんだな……。お姉さん天才」
口々に言うヘンリックとケイオスに、慌てる。
「二液混合で効果が出る薬品ってあるでしょ? あれと同じこと。リクトロアにず〜っと、同じ薬を盛り続けて、染み込んでから混合で効果が出る薬品投与すれば……連中は同席しても無傷でリクトロアを倒せる……そういう薄気味悪いやり方だよ」
今回は三液だったけれど、と愚痴るようにケヴィンはその検体を引っ込めた。
「これからも髪は証拠でもらうし、君の毒の状態の検体にもさせてもらうから、切っちゃダメだよ」
毛髪には――髭や爪もだが。体内に取り込まれた毒素が僅かに反映される。それを以って、その時に毒が盛られたと言えるのだろう。
そっと、いつまで伸ばせばいいのか、文字を出して聞いてみた。
……返事が無い。
切りたいと文字を送っても、無視された。
ただ頭を撫でられ寝かされたが、意識がなくなっても、夢で姉にいつ切れるのか問うていた。




