第二章 国境門編 プロローグ 王家が勤めを放棄して
「――――ト、ロアっ!?」
――なんの……おと……?
「ここです! まだ助かります!」
「リクトロアっ! 私です! ケヴィンです!」
誰かが自分に触れようとしているが、触れられないようだ。
――だれだ? 手が……。
そちらに手を伸ばそうとして、気づく。
今はリクトロア自身が無意識で張った芽胞結界の中に居たのだ。
開いて――芽を出さないと。
芽胞結界の上から拘束されていたのだろう。既に細かく千切られた鎖が辺りに散らばっている。
その鎖の欠片の上に倒れ込み、必死に芽を差し出す。
年季の入った温かい手が、力強くリクトロアの手を握ってくれた。
「このまま連れ出せませんので、熱い湯を使って洗浄します!」
この声は――聖門のシャルグだ。
頷くこともできなかったが、すぐに熱量と水分が頭や全身に降ってくる。
音響のように響くのは、浄毒の呪文だ。
――ル……ティ、ア… … ナ……。 ぶ、 じ……なの…… ――
声は、出ない。
喉の感覚は無く、とんでもない痺れがあった。
「大丈夫、ルティアナは保護しました」
その一言で、どっと力が抜けた。
「リクトロア。このままの格好では連れ出せません。わたしの衣類の予備ですが、こちらに着替えさせます。良いですか?」
聞こえてきた男性の声に、今度こそ頷く。
すぐに差し出されていた若苗色の神官服が広げられ、纏わりつく布を剥がし湯をかけられた端から着せられる。
身体を持ち上げられ、ぼやけた視界では。
かつて自分が防護の刺繍を緻密に施した衣類が、猛毒にまみれた残骸に成り果てていた。
「リクトロア。王家が勤めを放棄しました。これより異界門を開いて堕とします」
こうならないように、従って来たが。
現状からの容赦はあり得なかった。
リクトロアの眼前に、懐中時計が浮いている。
今は声がでなくても良い。表蓋の起動句を撫でるだけで発動する。
声が出ない理由。喉の感覚がない理由。
全て後で事足りる。
――僕と、姉さんの分の――お前らへの葬送だ。
指が、閉じた懐中時計に触れる。
リクトロアが大きく開いた瞳の――虹彩に灰と藍の色が入る。
紫をそこに加え――金粉の文字盤や逆針がゆっくりと入り込む。
リクトロアの身を包む若苗色の神官服が靡く中、周囲に文字盤を象る光が浮かび――漆黒の光と共に拡散した。
「……見事な封癒門です」
その言葉に見送られ、リクトロアは、自分を支えていた神官の腕に我が身を任せ、意識を手放した。




