第八話 前代未聞、自分自身への強化付与
シエル達は茫然としつつも村に足を踏み入れて周囲を見渡す。
あらゆる家屋は倒壊し、田畑は荒らされ、家屋の一部からは火の手が上がっている。そして――
「うっ」
ウルカは顔を背け、吐き気を堪えるように口を押さえた。
そこには至るところで地面に赤い染みを作った村人が倒れていた。
シエルは一番近くの倒れている村人の下に駆け寄り膝を折る。
肩から腰に掛けての背中の大きな裂傷。おそらく一撃で絶命したと思われる。
この世界では多くの人間が女神と呼ばれる存在を信仰している。特に僧侶は心身深く女神を信仰しており、死者に対しては深い祈りを捧げる習わしがあった。
だがしかし、今は死者一人一人に対して祈りを捧げている余裕も時間もない。急ぎ生存者を見つける為に持てる全てを割かなければならない。
「ウルカさん! 先ずは生存者を見つけましょう! 息があれば私の回復魔法が効きます!」
死気が蔓延する中でも、臆することなくシエルは的確に指示を飛ばした。
だが――
「ウルカさん?」
ウルカは極寒の地にいるのかと見まがうほどに震え、動かずにいた。
その表情は恐怖に引き攣り、瞳孔も大きく開いていた。呼吸も荒い。鼓動が外に響きそうなまでに。
死を目の当たりにして、脚が竦んだろう。ウルカは新人冒険者。人の死に慣れていないことなど不思議ではない。責めれるわけもない。
シエル自身もこの状況に慣れてなどいない――慣れることなど生涯ない光景だ。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
だが何かウルカの様子がおかしい。そうシエルは感じ取っていた。
それは経験と予測の組み合わせ。冒険者として、僧侶して人と向き合ってきたシエルだからこそ抱いた違和感。
ウルカが恐怖を抱いていることは明白。だがそれはこの状況についてではない。この光景を目にしたことにより呼び起こされた――さらに根強く深い恐怖。何かしらのトラウマだ。
そうなると生半可な声掛けでは動けないだろう。きつい言葉になるが、役に立たない者に構っている時間はない。
「誰か! 誰かいませんか! 返事をしてください! 私が助けます!!」
シエルは村を駆け回り、生存者を探した。
「だから返事を! 返事をしてください!!」
しかし、行けど暮らせど見つかるのは遺体ばかり。続く地獄にシエルは心が張り裂けそうだった。
そんな折だった。破壊された鉢植えの花と倒壊している家が目に入った。同時に瓦礫の中から伸びている白く細い手も。
「!」
その手には心当たりがあった。シエルが手に触れると、煤の臭いに混じって花の甘い香りがほのかに漂ってきた。
「大丈夫ですか⁉ 大――」
瓦礫から染み出してきた赤い液体がシエルの靴を濡らした。
その液体は靴を分岐点として更に流れていく。
「ああ――」
祈るように握り締めた手に温もりはなかった。
「あああ――」
村に残る者がいる限り村を存続させ続けたいと語った村長の言葉が、シエルの心を深く抉っていく。
朗からな声が、花のように癒しのある顔が――記憶が赤く染まっていく。
「うああああああああああああ!!!」
泣き崩れるシエルの慟哭が村に響き渡り、そして溶けていく。
声はシエル以外には存在しない。燃える木々の弾けると音と、瓦礫が崩れる音が鳴るのみ。
誰がいったい何の為に。考えたところで答えはやってこない。ぶつけるべき怒りは存在しないのか。
かに思われたその時分だった――
「グルルル」
重低音の唸り声がシエルの背後から鳴り響いた。
シエルが涙を吹き飛ばす勢いで振り返り、正体を確認するとそこにいたのは――
「グレートセンチピート……」
そこにいたのはムカデ型のモンスター『グレートセンチピート』。50メートルほどの全長でとぐろを巻いて上体を上げていた。ムカデ型というだけあり、百を超えるであろう脚が不規則に蠢いている。巨大な顎には鋭利な刃物となっており、赤々とした血液が付着していることからも裂傷の正体も明らかだ。
グレートセンチピートの討伐ランクはD。シエルにこのモンスターとの戦闘経験は――ない。
シエルはふらりと立ち上がると、研ぎ澄まされたナイフよりも尚鋭い目をモンスターに向ける。
「貴方がこの村を壊滅においやった犯人ですか」
問う声に僧侶の献身的な柔らかな声はなかった。あるのは怒りに燃える、低く落ち着いた声。怒りに満ち満ちた声色だった。
グレートセンチピートは肯定だと言わんばかりに唸り声を返す。
モンスターとの意思疎通は不可能。しかし、返事とも取れる唸りに、シエルは砕けるほどに奥歯を噛み締めた。
ロッドを持つ手が震える。怒髪天を突いた感情が全身を駆け巡っている。
ウルカがいない今、戦える者は自分だけ。だが僧侶の身で、スライムならばいざ知らずD級に相当するグレートセンチピートを倒せるのか。
いや、倒せるか否かではない。今ここで、何を為してでも倒さなければならないのだ。
平穏という名の城壁を壊し、未来を蹂躙したコイツを絶対に許すことなど出来やしないのだから!
「貴方はここで倒します‼」
覚悟と意思を持って地面を蹴った。
僧侶となる者の肉体強度は高くはない。それはひとえに運動不足だからだ。
勿論、冒険者として活躍している以上、並の人間よりは筋量は勝るだろう。だがそれでも、前線を張る剣士やタンクには程遠く及ばない。それどころか系統の近い魔法使いにも劣るだろう。
理由はいくつかある。
一つ、僧侶には訓練という概念が希薄な者が多いが故。これは女神に身を捧げるという僧侶の信心深さに訳がある。僧侶とは即ち、女神の声を聴き、女神より力を授かった者だ。日に何度も祈りを繰り返し、信心を証明し続けなければならない。そうでなければ、女神の声を聴くことが出来なくなり、回復魔法や付与魔法が使用出来なくなるから。
二つ、これは一つ目の理由にも該当し、前述した運動不足という理由の原因にもなることだが、祈りに時間を費やす為、物理的に訓練に時間を割く余裕がない為だ。
上記の理由から僧侶とは生まれ持った魔力量がものをいう天才の世界だと揶揄される。
後ろで世話をするだけの天才集団。有り金啜りの寄生虫。苦労を知らない給仕。僧侶を詳しく知らぬ者からの散々な渾名がある。
しかし、そのようなことをのたまう者は知る由もないだろう。信心深く祈りを捧げ続けることがいかに困難か。体力も経験を劣り続ける中で冒険に喰らいついていくことがいかに苦難な道程か。
グレートセンチピートが上体を倒し、シエル目掛けて這いずる。
人間の足では到底逃げられない速度だ。追い掛けられた村民は全員逃げきれなかったのだろう。
だが、魔力を持っている人間ならば話は別。シエルは全身に魔力を流して肉体を強化。横っ飛びで突進を回避する。
グレートセンチピートは倒壊した家に激突すると瓦礫とそこに埋もれていた遺体をまき散らせた。
大きく距離を開けて着地したシエルは即座に体勢を整える。再び破壊された家を見て眉を寄せるが、それは瞬きと共に戻される。
グレートセンチピートが再度上体を起こしシエルに向いた。
シエルは戦闘態勢を取っているが、ロッドを握る手に汗が滲む。
(今のはあちらも様子見程度でしょう。次は避けさせてくれるかどうか)
おそらくは先程の速度は村民を襲うに足る速度だった故に出されたもの。通用しないと理解したのならば今度は更に速度を上げて来る。
グレートセンチピートの全速がどの程度なのかをシエルは知らない。だが冒険者としての経験則から、その速度がシエルの全力の魔力強化を上回ることは想像に容易かった。
ならばどうするべきか。
グレートセンチピートが煽るように両顎をぶつけ合わせ、金属に似た衝突音が鳴る。
思考を巡らせている間に、いつ攻撃してきてもおかしくはない。
(一か八か……)
シエルに迷っている時間はなかった。
僧侶のシエルが扱える魔法は三つ。『付与魔法』『回復魔法』、そして冒険の最中レルゥに教えてもらった炎の初級魔法『ファイア』。
ファイアはグレートセンチピートには牽制にもならないだろう。そうなると賭けるべきは――
(やるしかありません。自分自身への強化付与を)
しかしシエルは知っている。術者本人への強化付与など前代未聞の行為であると。
強化付与とは魔力強化を他人に施すような代物。自身に強化付与を施す行為は、魔力強化を二度行う行為であり二重循環となる。この二重循環とは魔力が二種類体内に流れている状態を指し、他者に強化付与を行った場合には何ら影響を及ぼさない。
しかし術者本人が自身に強化付与を行った場合は異なる。体内の魔力の流れ方には指紋のように個人によって差異があり、強化付与はその流れと衝突しないことで成り立っている。だが自身の魔力と強化付与の魔力は同じものだが流れる速度が異なる。魔力に限っては流れが大きい方に小さい方が呑まれるということはない。よって自身の魔力同士が齟齬を起こし、双方の効果を消滅させてしまうのだ。
つまり同じ魔力で二重循環は成しえない。だから僧侶は自身に強化付与を行わない――出来ない。
故にシエルの行おうとしている行為は失敗すれば死ぬ。だが挑戦せずとも死ぬ。
それならば選ぶ道に迷いなどなかった。たとえ可能性がゼロだと言われようと、挑戦しない理由がない。
ただ殺られるだけなどまっぴらごめんなのだから。
シエルは腹の底から魔力と魂を込めて叫んだ。
「速度強化付与!」
ロッドが光り、眼前に青い魔法陣が出現する。
シエルは魔法陣を駆け抜けた。
成功か。失敗か。
魔法陣を潜り抜けた一歩目が地面を捉える。次の瞬間――
駆けるシエルの背後に爆発と見まがうほどの土煙が発生した。
土煙を置き去りにして走るシエル。その姿が意味することは自身への強化付与の成功。
これは奇跡か、はたまた才能か。シエルは理外へと足を踏み出した。
右回りに弧を描くようにして走るシエルの速度は時速80キロは超えているだろう。
ポッチの全速力と同じ。いや、それ以上の速度にシエルはまるで風になった気分だった。
彼女は自身の引き起こした結果に、速度を維持しつつも驚愕していた。
(出来た……。自分への強化付与)
だが足りない。速度で翻弄出来たとしても、今のシエルでは致命的な一撃を与えることは出来ない。仮にロッドで殴りつけたとして、柔らかいと言われる腹部でさえスライムの何十倍も固いのだ。弾かれて終わる。
だから――
「攻撃力強化付与!」
二度目の賭け。
シエルは赤い魔法陣を潜り抜けた。
全身に内から外へと引っ張られる圧力に似た何かが襲う。だが軽い痛みだ。気に留めるほどでもない。
速度強化付与を行った際にはなかった現象だった。では、速度強化付与では何も起きていないのか。
答えは否。起きていた。だが知覚していなかったのだ。速度強化付与を行えば、対象は重力が増したような感覚を得る。しかしそうだと知覚しないほどに速度を増していたのだ。
(付与魔法は肉体に負荷が掛かるんですね。知りませんでした)
攻撃力強化付与により、シエルは全身から力が迸る感覚を覚える。
(ですが、これなら……)
二度の賭けの成功に、グレートセンチピートを倒せるかもしれないという期待と高揚感が湧いた。
シエルは更に強くロッドの柄を握り締める。
グレートセンチピートの周囲を走りながら隙を伺い続ける。
体力は魔力を転換し続けることで当分尽きる心配はない。
グレートセンチピートは頭部を振り、シエルを補足し続ける。シエルが狙うは補足が途切れた瞬間。
決定打を待つシエルの心は乱れのない水面だった。怒りはある。焦りもある。荒唐無稽な出来事を成し遂げたという驚愕もある。だがそのどれもが、今のシエルの水面を揺らすには至っていなかった。
ただ静かに、グレートセンチピートと自分だけを世界に置いて向き合っていた。
それはおそらく感情が青天井に達した結果、本来あるべき感情と入れ替わったのだろう。そんな落ち着きだからこそ見つけた。見逃さなかった。
グレートセンチピートは左右に首を振ってシエルを追っていた。首を回転させられない為に、右を向き切ると即座に左を向く。その繰り返し中で、シエルが視界から外れた瞬間、遂に左に向く速度が遅れた。
「ん、あああああああ!」
回り続けろ脚。捕らえ続けろ地面を。この好機を逃すな。全速力で回り込め。
急な方向転換ではスピードがリセットされる。だからこそ、シエルはこれまで通り、右回りでグレートセンチピートの正面に回り込んだ。
グレートセンチピートに明確な弱点はない。しかし、強いて語るのならば弱点と呼べる部位はある。腹部だ。全身外骨格と言えど、虫の腹部は柔らかい。それはグレートセンチピートも同じ。
シエルは速度を維持したまま跳んだ。その速度は弾丸と称しても遜色はないだろう。
彼女は武器を構え叫ぶ。
「これで終わりです!」
全力で振り下ろされたロッドがグレートセンチピートの腹部にめり込む。徐々に、徐々に深みは増していき、メキメキと甲殻が砕ける音が鳴る。
反撃を許されなかったグレートセンチピートの甲高い悲鳴が響く。
「いっけーーーーーー‼」
最後の一押し。
シエルが言葉を力にロッドを押し込むと、グレートセンチピートの肉体に爆散したような風穴が空いた。




