第十話 ウルカの過去
「女神様の祝福が在らんことを」
シエルは盛り上がった土の前に膝をつき、両手を組み目を閉じて祈りを捧げた。隣では同様にウルカも祈りを捧げていた。シエルも声を掛けたが、ウルカたっての希望だった。
二人で村人86人の埋葬を終えた頃には日が傾き始めていた。夜間の旅路は危険。それでもシエルとウルカは帰路についた。
ポッチはいない。グレートセンチピートに殺害されてしまっていた。故に徒歩だ。
旅の御者にでも遭遇出来ればよかったが、何事も希望通りには運ばないものだ。
だが気持ちを整理するには最適の条件でもあった。徒歩での帰路は普段よりも時間の流れを遅く感じさせる。穏やかな陽光が、肌を撫でるそよ風が、鼻をくすぐる野の香りが、取り巻く環境全てが荒んだ心の傷に薬を塗っていった。
勿論警戒は怠らない。だが広大な草原において、モンスターなどの異物があれば嫌でも目立つ。それが地平線の彼方まで続いているのだ。針の落ちる音一つに気を遣うほど警戒する必要はなかった。
「今日中には帰れそうにありませんね」
「そうだね。帰れたらよかったんだけど、ポッチがやられちゃったしね」
声色が戻っていた。まだまだ村の出来事を引き摺っているだろうが、それでも普通に会話出来る程度にはなっている。
フェレール村を出て何時間経ったのか。この環境に感謝せねばらならないとシエルは思った。
「今日はここら辺で野宿しましょう。丁度いい目印もあそこにありますし」
「うん」
誰かが植えたのか。それとも鳥が運んできたのか。二人は孤独に生える果樹の根元で夜を過ごすことに決定する。
☆☆☆
くべた薪に火を起こし、二人は隣り合い暖を取っていた。いつからだったろうか。本来ならば満天の星空が二人を照らすはずが分厚い雲に覆われていた。
ウルカは手に持ったリンゴのような果実に被り付く。
聞き心地のよい軽快な音が鳴り、それは咀嚼音にも表れている。
甘美な果実の証拠。しかし、頬張るウルカは眉を顰めていた。
「ん~、やっぱり市販のやつより味がしない」
「本来ここら辺は木が生える場所じゃありませんからね。実まで成っていることが奇跡ですよ」
管理の行き届いた果実と野生の果実では味に天と地ほどの差があっても仕方がない。
シエルの言葉通り、草原に果樹があり、実っていること自体が奇跡なのだ。
「村のリンゴだったらもっと美味しかっただろうな」
ウルカは独り言ちた。
その独り言をウルカは聞き逃さなかった。
返事をすべきか否か。逡巡の末、シエルも返事ではなく独り言を呟くように言葉を返す。
「そうですね」
くべられた木々の水分が弾ける。
先輩冒険者として気丈に振舞わないとならないということは理解していた。
傷で言えばトラウマがある分ウルカの方が重傷なのだから。
だが、フェレール村の惨劇を思い返すと口が鉄の扉のように重かった。
長い沈黙。赤々とした光が二人を照らし続ける。
「ねぇ」
沈黙を破ったのはウルカだった。
「はい。どうしましたか?」
「聞いて……ほしいことがあるんだ」
ウルカは空を見上げてそう言った。
「アタシの昔話」
「……」
村で動けなかったことを気にかけての発言だろうか。
そうだとしたなら、無理に語る必要はない。あの状況ならば動けない者は多くいる。そう伝えてあげたかった。シエル自身、あの場で動けたことが信じられないのだから。
「じゃあ行くよ。モヤモヤモヤ~」
「その回想シーンの入り方って漫画的表現じゃないんですね⁉」
シリアスに割って入った唐突な小ボケにシエルは思わずツッコんでしまった。
「あれはそう。だいたい一年前くらいだったな」
そんなシエルのツッコみを華麗にスルーしてウルカは己の過去を語り始める。
およそ一年前、とある漁村に仲睦まじい家族がいた。
母の名はセイル。父の名はガイル。そして一人娘の名はウルカ。
父は毎日村の男達と漁に出ては、粋の良い海洋生物を網いっぱいに引き連れて帰ってくる。
その漁村の海産物は巷でも重宝されていた。
「毎日が楽しかった。アタシは女だからって漁には連れて行ってもらえなかったけど、網を解いたり、船の整備を手伝ったりして過ごしてた。そしていつか村のみんなを認めさせて漁に出てやるんだって。そう思ってた」
だが、ウルカの決意は、平穏は、長くは続かなかった。
ある日のことだった。地平線の海の彼方より、海面ギリギリに海を割くようにして一頭の生物が飛来した。
一見するとトカゲのような体躯。だがあまりにも巨体。赤熱の鱗を全身に纏い、焦げた空を彷彿とさせる翼膜を備えた翼。黒曜石のナイフよりも尚鋭い牙に、人間など撫でるだけで胴が分かたれるほどに巨大な爪。天を差し、捻じりうねる四対の角。
いち早く気が付いたのは灯台の守番をしていた若人の男だった。
三度の警鐘が幾度となく鳴り響いた。この漁村において、二度の警鐘は津波の報せ。三度の警鐘はモンスターの襲来の報せだった。
幾年ぶりか。少なくともウルカが産まれてから初のモンスターの襲来だった。
「アタシ達家族も警鐘を聞いてすぐに避難の準備をしたんだ。けど、そのモンスターは逃げる隙なんて与えてくれなかった」
灯台守の発見から時間にして僅か五分。そのモンスターは――ドラゴンは村に襲来した。
そしてドラゴンは気まぐれに暴れた。人を喰らい、家を焼き、まるで子供が遊びで蟻を踏み潰すが如く蹂躙の限りを尽くした。
翡翠色の眼光を散らし、胸に埋まるマグマの如く滾る玉を光らせて。
「まさかその村の名前って……」
「メルクリア村。もう察しちゃった?」
メルクリア村の惨劇と言えば冒険者でなくとも耳に入っているほどの大事件だ。
村が滅びること自体はそう不思議なことではない。この世は弱肉強食。強きが蔓延り、弱きは挫かれる。メルクリア村もそんな世界で滅んだ一つの村に過ぎない。だが一つだけ、ただ一つだけ異なる点があった。
「紅玉竜。それがアタシの村を滅ぼしたドラゴンの名前」
ドラゴンによる災害。それは竜災と呼ばれる。
ドラゴンは未だ謎多きモンスターだ。ただ一つ明確に判明していることと言えば、並の生物では手も足も出ない、生物ピラミッドの頂点に立つ存在であるということ。
そして紅玉竜と言えば――
「伝承に残る伝説のドラゴンから生き残ったんですか」
古より存在し、数多の冒険者が兵士が破れ、村が、国が、大陸さえも滅んだと記されているS級モンスター。
熟練の冒険者であっても、かち会えば背を向けて逃げ出すと言われる怪物。
かつてのパーティーメンバー、シェルドが目標としていた化物。
「運がよかったんだ。お父さんがね、紅玉竜の吐く炎が迫る瞬間、井戸にアタシを投げ入れてくれたの。目の前でお父さんが消し炭になるのを見ながら井戸に落ちたアタシは、気が付くと遠く離れた街の病院にいた。紅玉竜が暴れた時に地下水脈が壊れて、アタシも一緒に流されちゃったんだってさ。それでどこかの洞窟に打ち上げられていたところを冒険者に助けてもらったの」
情けないよねと言いたげに笑うウルカ。
その自嘲にどれだけの後悔があろうか。シエルには計り知れない。
「フェレール村ではごめんね。そのことを思い出しちゃって」
どれだけ自罰的なのだろうか。どこにも責任などないというのに。
それよりも事情も知らずに冒険に連れ出し、トラウマを刺激させた。自身にこそ責はあるとシエルは感じていた。
だからシエルは、ウルカを力一杯に抱き締めて伝える。
「責めるわけがありません。生きていてくれた。それだけで充分です」
「ありがとう」
生きているに勝る幸はない。心の底からの本音だった。
しかし返された笑顔は悲哀に満ちたものだった。
どうすれば曇天は晴れるのか。分かっている。それはシエルよりもウルカ自身が。
だからこそ、だからこそ二人は出会ったのだ。ファーランドで。
ならば伝えるべきだ。一人で行かせはしない。
シエルは肩を掴んで引き離れるとウルカに伝える。掴む手には力が籠っている。
「ウルカさん」
「はい」
あまりの強さに痛みを覚えたウルカは一瞬顔を歪めた。
しかしシエルは緩めない。それが覚悟の、決意の固さだから。
「倒しましょう。紅玉竜を。私達で!」
考えてはいた。だが初めから無理だと諦めていた。
願いはすれど叶わない。紅玉竜討伐など、ウルカにとってはショーケースの向こうのウェディングドレスに等しかった。
だからこそ目を見開いた。
無謀だと思える願望を真っ直ぐな瞳で語る者がいることに。それを共に成し遂げようと提案してくる者がいることに。
思わず目が潤んだ。
「うん」
上擦る声でウルカは返した。
シエルの言葉に、曇天の空を割いて星が流れた。




