memoirs,02
六月中旬。
俺は正式に九条家の執事となった。
「初めまして、白藤あおいと申します。これからよろしくお願いいたします」
今日から一緒に働くこととなった執事の神木に、俺は丁寧に挨拶した。俺を見た神木は完璧な笑顔を向ける。
「神木誠です。こちらこそ、よろしくお願いいたします。今日は初日ですので、自由に屋敷を見て回ってください……夕方になれば、お嬢様も学校からお戻りになりますので、お出迎えから始めていただけたらと思います」
「承知いたしました」
神木はいかにも真面目そうで、好青年に映る。身のこなしも柔らかく、優秀な執事なのは一目でわかった。
だからと言って、その人の人間性のすべてを知ることはできない。俺がそうであるように、誰だって人には見せない裏の一面が存在する。多かれ少なかれ、誰もが本性を隠して、別の人間を演じている。
そんなことを考えながら、俺はずっと気になっていたことを口にした。
「一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
俺の問いかけに、神木は快く答える。
「お嬢様は、もともと一般家庭で育ってきた方だと旦那様から伺ったのですが、神木さんから見てお嬢様はどんな方だと思いますか?」
「どんな……ですか?」
神木は顎に手を添えて考え始める。
「これからお嬢様のお世話をさせていただくことになりますので、性格など知っておいた方がよろしいかと思いまして」
「そうですね」
神木は少しだけ眉を下げ、困ったような笑顔をした。
「一言で言うなら、とても頑固な人だと思います」
「頑固?」
意外な返事に俺は首を傾げた。
「悪い意味ではありません。新しい家族に全力で向き合い、どんなに辛い状況も自分で乗り越える強さのある女性です……一度決めたことには頑なで、曲げることを知りません」
「強い女性なのですね」
「ええ、強い方で……素晴らしい女性です」
神木が微笑みを浮かべる。
「けれど、弱さを隠すところがあります……悩みや辛さを周りに見せないために、笑顔を絶やさない。その姿を見ると……そうですね、守ってあげたいと心から思わせてくれる方でしょうか」
そう告げた神木の表情は、愛情があふれ出したような柔らかなものだった。
俺の心の中に潜む黒い影がじわじわと広がる。
(どうして、どいつもこいつも……くだらない感情を持つんだ)
噴き上がる怒りに堪えながら、俺は完璧な執事を演じた。
「それは興味深い方ですね。お会いするのが楽しみです」
平和ボケした夫婦の傍に仕えているせいで、執事までもが馬鹿な感情を抱いてしまう。それならば、そんな環境に身を置いた彼女もまた、すでに手遅れなのかもしれない。
初めから、次の仕事が決まるまでの繋ぎとして選んだ家。長居するつもりなど毛頭ない。
(だったら、好きに掻き回してぶっ壊して、さっさと出て行くまでだ)
自分の実の両親のことと、自分が犯した過ち、それぞれの想いが怒りとなって、俺を突き動かしていた。
夕方になり、学校を終えた亜矢が笑顔で帰宅する。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
俺の顔を驚いたように見上げる亜矢に、躊躇うこともなく手を伸ばす。すくい上げた髪を、そっと耳にかけた。
執事が良い人、禁断の恋、そんなのは幻想に過ぎないのだと、わからせてやるつもりだった。
「ああ、やはり……お嬢様は耳を出された方が、より色っぽくなるのでは?」
怪しく、冷たく、俺が告げる。
綺麗に手入れされた髪からそっと指を離すと、亜矢は軽蔑する目で俺を見つめた。その目を気にすることもなく、俺はにっこりと微笑んでみせた。
「これからよろしくお願いいたします、お嬢様」
亜矢はわかりやすく拒絶を表し、俺から少しずつ距離を置くように後ずさる。
俺はその反応が新鮮で、無言で亜矢の行動を観察するように見つめた。
意外だった。
俺が笑顔で近づけば、大抵の場合、女は図に乗って擦り寄ってくる。冷たくあしらっても、時に無反応でも、俺に色目を向けてくるのが当たり前だった。それなのに、今目の前にいる少女は、明らかな嫌悪を俺に向けてくる。
(へえー、まともだ)
俺の想像と正反対の態度を取る亜矢に、俺は小さく頭を下げた。
「大変失礼いたしました。急に驚かしてしまい、申し訳ございません」
「あの……いえ」
亜矢はそれ以上何も言わず、慌てて階段を駆け上がり、俺から逃げるように立ち去ってしまった。
「そうだよな……まだ高校生といったら、子供だもんな。ちょっとやり過ぎたか」
いつもなら、俺が軽蔑や嫌悪を抱く側だった。しかし今回は、逆に拒絶される側になってしまった。神木がもし、亜矢に対して恋心を抱いていたとしても、それは亜矢にとっては関係のない話だったのかもしれない。
「まあ、いいか。嫌われてた方がやりやすい」
傷つけたかもしれない。けれど、嫌われていた方が俺にしてみれば都合がよかった。余計な感情が芽生えれば、また面倒なことになってしまう。それに、距離があった方が情も湧かずに済む。余計なものに囚われることなく、この屋敷を去る日を待てばいいのだ。
まだ指先に残る亜矢の髪の毛の感触を気にしながらも、俺は仕事へと戻った。
◇◇◇ ◇◇◇
あれから数日が経った。
梅雨が明け、季節は夏へと移り変わろうとしていた。
「お嬢様、それはわたしたちの仕事ですから!」
「ごめんなさい。天気がいいから、つい手伝いたくなっちゃって」
メイドがベッドシーツを干す横で、亜矢も一緒に混ざって洗濯物の手伝いをしようとしている。一般家庭で育ってきたとはいえ、もうやらなくていいとなれば、誰だって人任せにするもの。しかし、亜矢はそうではないらしい。
部屋の掃除は自分でやると決めていて、学校の送迎もいらないと徒歩で通う。亜矢にはお嬢様という自覚があまりないように思えた。
そんな亜矢を俺は自然と目で追う。
「またお嬢様は、お手伝いしようとしてるんですね」
急に声をかけられ、俺はそっと視線を移す。そこには新米のメイド・春花が立っていた。亜矢と年が近いこともあって、二人でお喋りをしている場面をよく見かける。
亜矢を見て、春花はおかしそうに笑った。
「白藤さんも初めは驚かれたでしょう? わたしたちメイドのことも気遣ってくれて、お嬢様って本当に素敵な人ですよね……白藤さんも、そう思いませんか?」
「ええ、確かにそうですね。今まで務めたお屋敷にはいないタイプのお嬢様でいらっしゃいます」
「お嬢様が屋敷に来てから、本当に家族の皆様が明るくなられた気がします」
「そうですか」
春花は途中だった仕事を思い出したのか、俺に軽くお辞儀をしてから走り出した。その姿を見届けることなく、俺はまた亜矢に視線を向ける。不意に、二階の窓から覗く人影があることに気がつく。それは間違いなく神木で、視線の先には亜矢がいた。
先日、亜矢が別館へ行くところを目撃し、神木の部屋から慌てて出て行くのを見かけたばかりだった。亜矢が神木をどう思っているのかは知らないが、神木には執事らしからぬ行動が見受けられる。
俺は小さく舌打ちし、目の前の光景から目を背けた。
「手遅れになる前に……お嬢様には現実を知ってもらわないとな」
大人を説得するのは億劫でしかない。けれど、まだ恋を自覚していないお嬢様相手であれば、説得や現実を教える方法はいくらでもある。あとで大きな傷を負うより、今小さな傷をつけた方が亜矢のためになるだろう。それは、俺の知る両親のくだらない過ちを、亜矢に犯してほしくないという想いでもあった。
「お前みたいに素直でまっすぐな彼女を、愚かな道に行かせないためだ」
俺はポケットにしまってあったおもちゃのブレスレットを見つめて、決意を込めた言葉を記憶の中の少女に向かって告げた。
そして、俺は決行した。
夏休みなのに予定もなく、暇を持て余した亜矢が散歩に出かけると呟いたのを偶然耳にし、付き添い提案をした。
地べたに座り、景色を眺める亜矢に俺は言い放つ。
「庶民出にはお城の生活は窮屈だろ?」
俺への警戒心が薄らぎ始めていたこともあって、その言葉を聞いた瞬間の亜矢の瞳は、困惑と混乱が入り混じっていた。
執事は誰に対しても優しい。その概念を捨てさせたかった。そして、執事の優しさは、仮面に隠された裏の顔を見せないための演技である。それは神木誠も例外ではない。それを亜矢に知らしめたかった。
「ああ、なるほど。お嬢様は“家族ごっこ”より……神木誠と“恋愛ごっこ”がしたかったか?」
その言葉を告げた瞬間、亜矢の瞳がひどく悲しみに満ちた。俺の左頬を打った音と痛みが罪悪感を植え付ける。
「わたしは馬鹿のままでいいっ!!」
今にも泣き出しそうな表情をして叫んだ亜矢を見て、俺は小さな衝撃を受けた。
背を向けて走り出す亜矢を呼び止めて、謝りたいと思う自分を懸命に抑え込む。
「……本当に馬鹿だな」
その言葉は亜矢に対してではなく、俺自身に向けた言葉なのかもしれない。
「どんだけ素直だよ」
不意に、記憶の中の少女が頭に浮かぶ。
なんだか、亜矢ではなく、記憶の中の少女を傷つけてしまったように感じて、左頬がさらに痛みを増した気がした。
その日、亜矢は自分の実家が取り壊されることを知って、急遽、宿泊が決まった。神木と一緒にというのが気に障るも、亜矢と顔を合わせずに済むことに俺は安堵していた。
次に会ったら、亜矢はどんな顔をして俺を見てくるだろう。そんなことばかり考え、妙に落ち着かない時間を過ごしていた。
しかし、次の日。
俺を前にした亜矢は、迷いない言葉をぶつけてきた。
「また馬鹿って言われてもいいです。わたしは馬鹿になるぐらい今の家族が大好きだから……“ごっこ”なんかじゃないって、わたしが必ず証明してみせます!!」
あまりに直球なことばかり言う亜矢が、本当に記憶の中の少女のように思えてきて、つい笑ってしまう。
「白藤さん、笑ってた方が全然いいですよ! 笑顔ならなんだって乗り越えられるし、大きな幸せになって返ってくるんです!」
亜矢の行動や言動が、すべてに嫌気の差した俺の暗い心に光を与えようとする。
亜矢はあの時の少女ではない。それなのに、強く惹かれてしまう。
これでは駄目だと自分の気持ちに蓋をして、俺は冷たい言葉で亜矢との間に線を引く。
「あなたには付き合いきれません」
——もう関わるのはよそう。
神木が亜矢に特別な感情を抱いていようが、亜矢が神木の想いに気づいて自ら破滅の道へ進もうが、もうどうでもいい。早く、屋敷から去ろう。
そう、思っていた。
改めて白藤さん書きましたが、
本当に最初の頃、性格歪んでるなꉂꉂ(ˊᗜˋ*)笑
ここまでお付き合いありがとうございます!
次回もよろしくお願いします<(_ _*)>




