6話 逢魔が時にて
車が発進してしばらく経っても局長は言葉を発しなかった。車内を気まずい沈黙が支配する。その時、ふと仮名史郎はハンドルを握る運転手に対する違和感に気がつき、眉をひそめた。運転席が隔てていたし、制帽も被っていたからしばらく分からなかったが、
(人間じゃない?!)
首や横顔の質感が限りなく木だった。しかもなにやら見覚えもある。仮名史郎の驚きを察したのか局長がこちらに顔を向け、にやりと笑った。
「我が鎮霊局専属、技術顧問謹製の運転手兼小間使い魔導人形でちゅ。これも経費削減の一環でちゅね」
鎮霊局の技術顧問、と聞いて、仮名史郎は露骨にイヤな顔つきになった。一体、どういう志の変化知らないが、最近、進んで体制側についた仮名史郎にもゆかりの深い大魔導使い。
「まっすぐすすむよー」
魔導人形は明るくそう言って右折のサインを出している。
「……」
「……」
「……まだちょっと改良の余地がありそうでちゅね」
ぼそっと局長がそう呟いたが、仮名史郎は黙っていた。
この運転手をやっている魔導人形(恐らくレプリカだろう)のオリジナルには酷い目に遭った記憶しかない。そして首を振ることでその忌まわしい思い出を振り払い、局長に向かって切り出した。
「局長、大統領警護に関することですが」
頭を大きく下げる。
「一つまず謝罪報告をしなければなりません。実は」
すると局長は手でそれを制した。
「川平薫が辞退した件でちゅよね?」
「あ、ご存じでしたか」
川平薫は今回の案件に関して急に明確な不参加を表明してきたのだ。仮名史郎はその事情を薫本人から懇切丁寧に説明され、理解を示したが、最高の人材を揃えることに拘っていた局長からは嫌みと叱責のフルコースを食らう覚悟は固めていた。
だから、早めに報告したかったのだが、ここ数日、局長自身も所在がずっと不明だった。
夕焼けがちょうど逆光になっていてあまり表情が読めないが、彼は沈思しているようだった。長い説教に備えて身を強ばらせていた仮名史郎は顔を上げ、戸惑った。
ふいに局長が言う。
「ということは川平薫は、ほぼほぼシロ、ということでちゅね」
「え?」
局長はふ~う、と深く長い溜息をついた。
「いいですか、チロウ。よーく聞いてくだちゃい。飲み込みずらいのは承知です。でも、理解して欲しいのでちゅ。鎮霊局は〝FEARS〟の申し出を拒否し、今回の一件から完全に手を引くことを決定しました」
五秒ほの沈黙の後、
「え?」
仮名史郎は間の抜けた声を上げた。
「ほいほーい」
木彫りの運転手が陽気な声を上げている。意味が分からなかった。
「なぜ?」
それしか言葉が出てこない。
「ほーいほーい♪ ほほーい♪」
うるさい。
「なぜ、今になって急に?」
仮名史郎が再度、問うと、
「ふう」
局長はゆっくりと語り出した。
「〝FEARS〟から更なる情報が届きました。今回、大統領の命を狙っているのは世界最悪の呪術的暗殺者、パペットマスターだそうです」
仮名史郎は脳の中のメモリーを一秒未満、走査し、該当する知識を探り当てると同時に息をのむ。
パペットマスター。
通常の人間なら知るよしもない闇の奥の奥に潜む恐ろしい通称(読み:コードネーム)。仮名史郎のような秩序を護る霊能者からするともっとも恐るべき、忌むべき名前。
「あの、かつて100%の成功率を誇ったという?」
局長は頷く。
「世界をまたにかけ、合計で千件を超える暗殺を繰り返しながらただの一度も捕まらなかった?」
局長は頷く。
彼を捕まえようとした公安関係者、民間の霊能者、バウンティーハンターはことごとく返り討ちに遭い、彼の秘密に近づこうとした者はただそれだけで周囲の人間ごと消された。
バチカンのエクソシストたちが支部ごと壊滅させられ、その顔を知ってしまった目撃者は乗っていた旅客機もろとも吹き飛ばされている。パペットマスターは何年も何年もかけて万単位で阿鼻叫喚に人々を突き落としていった。
そもそもその存在が明るみに出たのは彼が最初に暗殺稼業を始めてから二十年も経っててのことだった。それまではその手口はもちろん複数犯なのか、そもそも同一人物の犯行なのかそれすら全く不明だったのだ。
たった一人の霊能者がそれをやってのけた。
最凶の暗殺者を追い詰めた。
「待ってください」
仮名史郎は声を大きくする。
「パペットマスターは10年前に死んだはずでは?」
その霊能者。
〝マスター・オブ・ハイアスト(最高の霊能者)〟の異名を持つヨアキム・クオーターメンによって倒された、というのが仮名史郎の知るところだった。
ヨアキムはかつてアメリカ合衆国でもっとも尊敬された霊能者だった。その霊力は強大で、聖書を片手に持ち、神の御業を顕現させるという途方もないスタイルで、アメリカの絶対的な霊的守護者であり続けた。
彼が一言、御名を呟けば、炎を纏った巨大な雷が落ち、イナゴの竜巻が敵を切り裂くべく現れたという。
その名声はアメリカという霊的な新興国で活躍する霊能者でありながら、遠くヨーロッパや日本、中国まで伝わっていた。当時はアメリカ政府内の幾つかの小さな部門に過ぎなかったオカルト対策チームを統合し、〝FEARS〟として近代化させたのもヨアキムの功績である。
彼は後にその初代司令官となった。
やがてその〝マスター・オブ・ハイアスト(最高の霊能者)〟は能力の全てを賭け、当時、闇に紛れていたパペットマスターの所業を丹念に洗い出し、その能力を解明し、存在をじっくり炙り出していった。
さながら悪の帝王、モリアーティーを追い詰めたシャーロック・ホームズのように。
そして最終的に二人は対峙し、相打ちとなった。
世界が最悪の暗殺者を葬る代わりに、アメリカは最高の霊能者を喪失したのである。
少なくともそれが仮名史郎の知る事実だった。
局長が少し笑って言った。
「……その前提が間違っていたんでしょうちょうね。パペットマスターは生きています。いえ、生きているようでちゅ」
「〝FEARS〟はどのような根拠があってそのようなことを言っているのですか?」
〝FEARS〟にとってもとことん因縁のある相手だ。おいそれと一度、地獄に落としたはずの仇敵の生存を認めはしないだろう。
局長はしばらく言葉を迷ってから、
「しろう。パペットマスターの能力は知っていますか?」
そう尋ねてきた。仮名史郎は違和感を感じながら、
「ええ。資料で読んだくらいですが」
そう答える。
実はパペットマスター自体はほぼほぼなんの力もなかった。真に恐ろしいのはその能力で〝たとえどんな相手でも特定の条件下では全ての意志を乗っ取り操ることが出来る〟という点だった。
その発動条件は未だ不明。人数は数千人まで同時にまるで本物の人形遣いのように操れることが確認されている。
それがどれほど恐ろしいことかというと一つの町や組織自体が丸ごと簡単にパペットマスターの手に落ちる可能性があるということだ。
昨日まで信頼していた仲間にある日、殺されるかもしれない。ベビーカーに乗っている赤ちゃんに銃で狙撃されるかもしれない。自分を護るべきボディーガードが警棒を振りかぶって突然、襲いかかってくるかもしれない。
誰をも信じられなくなるのだ。
またパペットマスターは高位の霊能者を傀儡にする手段を得意技としていて、アメリカでは〝FEARS〟の幹部を操り、その配下たちを皆殺しにした。ヨーロッパでもっとも力のあったシャーマンの意志を乗っ取り、大嵐を起こさせ、航行中の豪華客船を葬ったことがある。
局長は言う。
淡々と、
「〝FEARS〟で反乱が起き、ナンバーツーとナンバースリーが司令官の命を狙ったそうです。なんとか鎮圧したそうですが、司令官自身も大けがを負ったとか」
仮名史郎は絶句した。
「そ、それは」
なんとか声を絞り出す。
「パペットマスターに操られてのことでしょうか?」
「状況的にそうとしか考えられないでしょうね。現在はまだ若い司令官代理がその座についてなんとか混乱を収めているところのようです」
(だから、〝FEARS〟からの連絡が一時的に途絶えていたのか)
仮名史郎は戦慄と共に得心する。それと同時に先ほど局長が言った意味が分かってきた。
「もしパペットマスターが本当に生存していてかつての得意技のように霊能者を操るのだとしたら、そして今回の大統領警護計画に参加した日本の霊能者を操ったとしたら」
二百人の傘下を持つ超大物霊能者が。
拳で巨大なビルをいともたやすく砕く金剛の男が。
祖先に安倍晴明を持つ、盲目の天才陰陽師が。
一度、怒れば都市さえ滅ぼすと言われる異形の姫が。
自分たちの敵に回るかもしれない。
そんなのとても防ぎきれない!
その誰か一人がパペットマスターに支配されただけでも、災害クラスの惨事となるのだ。もう大統領を護るどころの騒ぎではない。
「現時点で川平薫を除く四人全て大統領警護に関する明確な回答を返していません」
「つまり」
仮名史郎はごくりと喉を鳴らす。
「そのうちの誰かが参加表明した場合、パペットマスターの傀儡であっても不思議ではない、と?」
「あくまで可能性です。そんなことはないと信じたい。でも、決して犯せないリスクでもありますね」
仮名史郎は深く何度も頷き、同時に覚悟を固めた。もう看過できる状態ではなかった。
もしパペットマスターが現存していた場合、実働する霊能者を乗っ取るより、もっと遙かに効率的で、有効な方法があった。それは全ての指揮を繰り出す現場の司令官を操り人形にしてしまうやり方だった。
たとえば。
日本の鎮霊局だったら、今、隣に座っている局長のような立ち位置の。
「局長」
仮名史郎は強ばった声で呼びかけた。同時に懐に手を忍ばせ、メリケンサックのようなモノに手をやる。
「ところで随分とお言葉遣いが変われましたか? この短い間に」
気持ちの悪い幼児語がこの局長の特徴だった。それが先ほどから全て滑らかな丁寧語に変化している。
局長は能面のように全ての表情をふいにそぎ落とした。禍々しいほどに赤い夕焼けの中、やがてにたりと笑う。
「やあ、しっぱいしっぱい」
頭を軽い感じで掻き、仮名史郎に顔をにゅうっと近づけてくる。
「そんな設定があるのをついうっかり忘れていましたああはははははははは」
仮名史郎はうつむき、小さく呟いた。
「エンジェルブレイド」
彼の手の平の中でその名の通り天使の羽に似た剣が現れた。
「あいあいあいー♪」
木彫りの運転手が歌った。
程なく車全体が爆音と閃光と共に爆ぜた。




