18話 さよなら、仮名さん
「ふむ。赤道、というのは不意打ちが流儀なのか?」
よいしょ、とかけ声をかけ、ガミトが身体を壁から引き抜いた。予想通り、というか身体に埃はついているがダメージを負っている様子は全くない。彼は笑顔のまま、コキコキ、と手の平で顎を押して首を鳴らす。
「赤道斎。高名は聞いていて、気にはなっていた。腰抜けではないのなら正々堂々とした殴り合い、応じて頂けるか?」
「見事な益荒男ぶりだな、黄金のガミト。己の身体一つでよくそこまでの域に達した。こと肉弾戦に限れば過去の名だたる猛者と比べても頭一つ抜けているだろう。今の世を生きているのがちょっと不思議なくらいだな」
だが。
赤道斎は笑った。
「確かにその黄金の霊気を纏った肉体は驚嘆すべきだ。耐久力も下手をすれば我をも上回っていよう」
ふいに手をかざす。
「しかし、その強さも発揮させねばどうということはない。我を挑発して真っ向勝負に持ち込みたかったのであろうが、残念だな。戦いの相性が悪かった」
その瞬間、ホールの床に青い波紋が広がり、それが消えると同時に床自体が全て喪失した。
ガミトがこの日、初めて表情を変えた。赤道斎に己の思惑とウイークポイントを見透かされ、憮然と苦笑のない交ぜになった顔つきになっていた。
そして不敵な笑みを浮かべ、腕を組んだまま、ぽっかりと開いた巨大な奈落の底へと背中から落ちていく。その視線の先にはクサンチッペとソクラテスを回収して悠々と空中に静止している赤道斎がいる。
こちらは無表情のまま、落下するガミトを見下ろしていた。
「なに。案ずるな。永遠の牢ではない。おまえなら1週間もあれば出てこれよう」
「ようこ!」
一方、啓太はあらかじめなんとなく気配を読んでいて床の消失前にようこに向かって飛びつき、肩に手を回ししがみつく。
「ちょ! おも!」
ようこは飛行術には長けているが人を抱えて飛ぶ機会があまりないので一瞬、ぐらついた。しかし、さすがの修正力でバランスを回復し、啓太を抱え直す。
それと同時に、
「ようこ! 仮名さんもだ!」
「りょーかい!」
啓太とようこの息のあいかたは絶妙だった。実際、この時点で床がなくなり、奈落が出現してから一秒も経っていない。ようこが神速で飛翔し、啓太が腕を伸ばし、悲鳴を上げ、落下しかけていた仮名史郎の手首を捕まえる。仮名史郎もがっつりと啓太の手を掴み返した。
「君たち……」
さすがに感動したように仮名史郎が声を震わす。彼のスーツは度重なるバリアの使用でエネルギー切れを起こし、マスク部分が横半分、露出していた。
「へ。ずっと一緒にやってきた仲じゃねえか」
啓太の方もほとんど同様で彼の照れくさそうな笑顔がはっきりと露わになっていた。
ようこも軽く息切れしながらも、
「わたしたちオトモダチじゃない!」
爽やかにそう叫んだ。仮名史郎は嬉しそうに瞳を潤ませ頷いたが、その時。
「なるほど」
奈落の底からもっとも聞きたくなかった声が聞こえてきた。
「窮したのでぶっつけ本番、初めてやってみたが、こんな方法もあったか」
視線を下に向けた啓太とようこ、それに仮名史郎が忌むべき光景を目の当たりにする。なんと落下したはずのガミトがゆっくりとだが、確実に浮上してきているのだ。
最初は脳の認知が追いつかなかったが、やがて三人にも理解できた。
ガミトは超高速で腕をばたつかせ、信じがたいことにその揚力で宙に浮いているのだ。ハチなどの昆虫は1秒間に250回程度の羽ばたきを行うというが、その比ではない。あまりに早く腕を振りすぎていて肩から先がかすんで見えなかった。
「ふう。さすがに長時間は無理がある、か。楽をさせて貰うぞ」
そして大きく伸びをすると仮名史郎の足首をキャッチした。
「きゃああ!」
がくん、とようこが大きく姿勢を崩した。必死で空中に踏ん張る。
「のわ!」
啓太がかしぎ、仮名史郎が身体を引き延ばされる痛みに歯を食いしばった。今、ガミトの巨体が仮名史郎を足首から引っ張り、その仮名史郎を前のめりの姿勢で啓太が引き上げ、その啓太をようこが支えている状態となっている。
さすがにようこが、
「おもいおもいおもいよ、ケイタ!」
訴えた。
「踏ん張れ!」
ようこは懸命に力を行使しているが徐々に相対的な位置が沈んでいっている。奈落の底が近づく。
啓太は懸命に呼びかけた。
「赤道斎! なんとかしろ!」
だが、にべもない答えが頭上から返ってきた。
「もう空間を閉じるフェーズに入っている。どうにもしてやれない。早く上がらないと閉じ込められるぞ」
「な、なんだと!」
「その底は意外に狭くて四畳半ほどに空間が圧縮されている。さっきも言ったが計算上は1週間ほど経たないと出られない。まあ、飢えも渇きも感じない空間なので死にはしないが」
「……1週間?」
啓太は下を向く。金剛の笑みを浮かべたガミトと不安そうにこちらを見ている仮名史郎が見えた。
「か、かわひら?」
見捨てないよな、とその瞳が訴えかけていた。
啓太は考える。
四畳半の空間に1週間。ガミトだけで二畳くらいの容量がある。てらてらと輝く巨大な筋肉に圧迫されるようにして暮らす1週間。地獄である。
啓太は即断した。
鬼のような切り替えの早さだった。
「ごめん、仮名さん! 大統領の命は俺が守るから!」
「ちょ、ちょっと待て! 頼む! 考え直してくれ!」
「パペットマスターも俺が必ず捕まえるから……恨まないでくれよな?」
ぱっと手を離す。仮名史郎が絶望に顔を歪めた。
「かわひらああああああああ!」
啓太に切り捨てられた彼は奈落へ一気に落下していく。白い歯を見せて笑っている巨漢と共に。
「うらんでやるぞおお!」
らしくない呪いの言葉が尾を引いて下方へ小さくなっていく。刹那、負荷が減ったようこが急上昇を開始した。間一髪だった。ようこが上がりきるのと同時に再び奈落が淡い波紋を発してかき消え、元の床となっていた。
木彫りの人形とニワトリを抱えた赤道斎が床に降り立った時、啓太とようこは下方に向かってナムナムと両手を合わせ拝んでいた。




