10話 川平家の人々
ようこはちらっと後方を確認しながら空を飛んでいた。啓太に命じられたのは、
〝出来るだけガミトを引きつけ、引き離せ〟
というものだった。正直なところ、
「らくしょー♪」
そう請け負っていた。相手がとんでもない化け物だということは見ただけで分かっていたが、いくらなんでも空中に移動してからの速度勝負で自分に勝てるとは思えなかった。半ば余裕で背後を確認し。
青ざめる。
「え?」
「まてまてい!」
ガミトはとんでもない方法でようこに追いすがっていた。最初は飛んでいるのかと思ったが違う。
ずじゃ。
ずじゃ。
ガミトは街に立ち並ぶビル群の屋上をまるで踏み切り板のように活用しながらただ単にジャンプを繰り返してきているのだ。その度、高さも構造も違う幾つものビルの屋上が陥没したり、足形にめり込んだりしている。
大股でぴょーい、ぴょーい、と跳ぶ。やっていることは子供のような単なるジャンプの連続なのに、ようこの血の気が引くほどの恐るべき加速を得ている。
色々な意味で人間じゃない。
「ひ、ひ」
ブーメランパンツ一丁に月の光を弾いててらてらと輝く筋骨隆々のマッチョ。それが白い歯を見せ、笑いながら追いかけてきているのだ。
「ひいいいいいいいいいいいいいい!」
ようこは真っ直ぐに前を向くと、久方ぶりの本気を出して逃げ始めた。
ようこがガミトと必死の追いかけっこを繰り広げているさなか、啓太と仮名史郎は近くの清掃用具などが置かれた物置に隠れていた。
仮名史郎は逃走劇の果ての黄金のガミトとの対峙によって精根尽き果てていて、啓太が肩を貸してやらなければここまで辿り着けなかった。
仮名史郎をぽいっと床に転がすと、引き戸を閉める間際、超高速で飛びすさるようことそれをぴょんぴょん追いかけていくガミトの背に向かって拝むように片手を立てる。
(頼んだぞ、ようこ)
彼女ならなんとか振り切れるはずだった。
「で、大丈夫か、仮名さん?」
そして振り返り、確認する。仮名史郎は床に座り込み、ぜいぜいと息を荒げていた。
「だい、じょうぶだ。それより」
一度、咳き込み、
「なぜ? どうしてここに?」
「あー、なんか爆発したのが見えて来たらあんたがあのバケモンと向かいあっていてさ」
「そうじゃなくて」
深呼吸をし、
「なぜ、君が吉日市じゃなくここにいる?」
啓太が普段住まう吉日市からここまではそれなりに時間がかかる。仮名史郎が啓太にSNSを発信したのはつい一時間ほど前だ。通常の移動手段ではとてもこの場に立っていることは出来ない。
啓太はははっと笑った。
「あー、そのこと。まあ、頼まれたんだよ。薫とばあちゃんに」
そうして啓太は一日前にかかってきた通話に関して仮名史郎に説明をし始めた。
昨日、啓太はノートパソコンを使ってレポートを書いていた。ようこは隣の部屋でなにやら煮物を作っている。啓太はその様子をそっと確認すると、
(息抜き、息抜き)
ネットでちょっとエッチなサイトを閲覧しようとする。と、その時、普段、連絡ツールとして使っているアプリ(携帯にも入れている)が着信を知らせてきた。
「んあ?」
相手を見ると彼の祖母からだった。
「なんだ、珍しいな?」
パソコン上でアプリを起動させる。彼の祖母は現在、世界漫遊の旅に出ていて、ここ半年ほどはずっと海の向こうだった。ごくたまにこうして連絡が入ったりする。
祖母はかつての川平家宗家の宿命として人生のほとんど全ての時間を本宅から離れることなく過ごしてきた。今はその分を取り返すかのように、
〝残り少ない人生、自由にやらせて貰うぞ〟
自らの犬神であるはけをお供に引き連れて、あちらこちらの国を飛び回っていた。
その旅は中国から始まり、ベトナム、マレーシアなどの東南アジア、中央アジアを経由して、フランス、イタリア、イギリス、アイスランドなどのヨーロッパから飛行機を使い、南米を陸路で辿り、現在はアメリカを満喫しているはずだった。
「おお、啓太か」
画面が映るとサングラスにアロハシャツの老婆が映った。
「よう、ばあちゃん、絵に描いたように浮かれてるな」
啓太の呼びかけに、
「うむ。今、ハワイだからな」
老婆は大真面目に頷く。心なし薄く日にも焼けていた。啓太も正確な金額までは知らなかったが、彼の祖母である川平榧(よみ:かわひらかやの)はそれなりの資産家のはずだった。
余生を相応の安楽と贅沢で彩るくらいには金銭に不自由はしていない。
「で、どうしたのよ? お土産でも送ってくれるの?」
啓太は机の上に置いていたペットボトルから清涼飲料を飲みながら言う。
「うむ、実は」
老婆が喋りだそうとしたタイミングで、
「お~い、啓太。ようこは元気してるか?」
横合いから無精髭のそれなりにダンディな雰囲気のある中年男が顔を突き出してきた。老婆と同じようにアロハシャツを着て、頭にはレゲエ歌手のようなラスタカラーの帽子を被っていた。
そこから垂れている髪の毛も日本にいた頃とは異なり、ドレッドに結わえている。
彼の名前は大妖狐(読み:だいようこ)。軽々と天変地異に近い妖異を引き起こし、一度などは死すべき運命だった者の時間を巻き戻し蘇らせた、限りなく神仙に近い存在である。
川平家の宗家やその犬神たちが何百年も代々、身動きを取れなかったのは初代が決死の努力で閉じ込めたこの大妖狐を山の結界から出さないようにするためだった。
いわば川平家及び犬神たちの宿敵のような存在だったが、その復活後は割と啓太や老婆と気安い関係になり、こうして老婆の世界一周にも、
〝俺もついてく! おまえと行けば退屈しなさそうだからな!〟
諸手を挙げて、彼女の旅行に半ば強引に同行していた。
また彼はようこの父親でもあった。
「あ、パピーだ。久しぶり」
声を聞きつけて台所からようこが現れると、
「ようこちあゃん♪」
愛娘の姿を見つけて大妖狐は相好を崩し、顔をぴったりと画面に押しつけてくる。さすがに見かねたのだろう。
「もういい加減にしてください。榧様は啓太様と大事なお話があるのです」
横合いから白い手が伸びてきて大妖狐を押しのけた。代わりに画面に映ったのは老婆の犬神、はけだった。美貌の青年。片方の目をつやつやとした黒髪で隠している。
彼は南の島ではしゃいだ格好になっている老婆や大妖狐と異なり、白いシャツに黒いノースリーブのカーディガンを品良く着こなしている。老婆の世話を海外でこなす必要から人間の姿を取っているが相変わらず執事めいた雰囲気は一切、崩していない。
啓太は少し笑って言った。
「はけ。おまえも元気そうだな」
はけは口元にほんのわずか微笑を浮かべ、すっと一礼を施しとまだなにやら喚いている大妖狐ごとフェイドアウトしようとする。大妖狐は最後に、
「啓太よう。おまえ、俺や白山名君が教えてやった色々なことちゃんと身につけたか? 言っとくけど強くなってないと俺はおまえのことようこの相手として認めないからなあ」
そう言っていた。啓太は苦く笑って、
「はいはい」
そう呟く。
ようこが隣でくすくすと小さく笑っていた。
そしてそんな騒がしいやりとりの後、ようやく老婆のみが画面に映る。
彼女はほっとしたように息をつき、咳払いをすると、
「実は」
改まって話そうとしたが今度もそれは叶わなかった。雑な性格の孫が、
「お? なんだ? 珍しいな。薫からも着信が来てる。ばあちゃん、どうせだったら薫もここに呼ぼうぜ」
そして老婆の許可を待たずに同じ孫であり、啓太のイトコに当たる川平薫も通話に加えたのだ。
すぐにウインドウが生じた。
「お久しぶりです、啓太さん」
啓太と異なり、やや女性的で繊細な顔立ちのイトコは啓太を見て画面越しににっこりと微笑んできた。
性格にはかなり違いはあるが薫と啓太はとても気が合う部分があり、元々、柔らかい物腰の薫が啓太と話す時だけはほんの少しだが嬉しそうにテンションが上がる。
「実は」
そう言いかけ、自分の祖母も通話画面にいることに気がつき、
「あ、お婆さま……」
それっきり押し黙ってしまった。
「……」
老婆も薫を認めてなんとなく難しい顔つきになった。啓太とようこはその微妙な気配を察して互いに怪訝そうな表情を浮かべ、視線を交わす。その間、老婆と薫は頷きあっていた。
「薫。おまえもか」
「ええ、どうやらそのようですね」
なにか互いに了解があったようだ。
「僕の方から先にお話ししましょうか?」
「ああ、頼む」
という短いやりとりの後、川平薫が澄んだ声で話し始めた。
パペットマスターという希代の暗殺者に狙われたアメリカ大統領を自分の代わりに護って欲しい。
要約するとそういう内容だった。
川平薫の話は簡潔にして要を得ていた。結果、啓太とようこはパペットマスターの特殊な能力や、〝FEARS〟の立ち位置、アメリカ大統領の現状など概ねを理解することが出来た。
「ちょ、ちょい待ち」
啓太は手をかざして薫を遮った。
「まあ、だいたいのことは分かったけどさ、薫。大前提でなんでおまえがやらないの? 仮名さんに指名されたのおまえなんだろ? おまえが護れよ、大統領」
めんどくさそうに、
「俺、最近、出会った子とでー」
「ああん?」
ようこにすごまれ、
「勉強が色々と大変なんだよ。試験前だし」
すっと背筋を伸ばし、取り繕った真面目な顔で言う。すると薫は初めて苦渋の表情になった。
「ごめん」
視線を落とす。
「どうしてもこれから向かわなきゃいけない重要な案件が発生してしまって」
「なんじゃ、それ?」
啓太は呆れたように、
「大統領の命を護ることよりも? そんなにか?」
「うん」
薫は啓太をしっかりと見た。
「これは僕じゃなきゃどうしてもダメなんだ」
その眼差しは真摯でとても強いものだった。川平薫とてパペットマスターの脅威と今回のケースの重大性はよく理解しているだろう。だが、それでも譲れない何事かが生じたのだ。
啓太は少しだけ落ち着いた声になって聞いた。
「――仮名さんはそれで納得したのか? 言ってしまえばかなりのドタキャンだろ?」
薫はほんの少しだけ泣きそうな表情になった。
「あの人はなにも理由を聞かなかったよ。〝君がそう言うのならよほどのことなのだろう。武運を祈る〟とだけ」
啓太は苦笑した。
「相変わらず貧乏くじ引く人だよなあ」
少しでも戦力は欲しいはずなのにそう述べて薫を気遣う。仮名史郎の生真面目な表情を思い浮かべ、久方ぶりに会いたいな、と啓太は思った。
これは啓太にしてはかなり珍しいことだった。
と、その時。
「啓太様。どうかお願いします!」
そんな声が聞こえ、必死の表情のなでしこが画面に入ってきた。続けて、
「お願いします! どうか」
「私たちの代わりにどうか!」
「お願いします、啓太様!」
次々と薫に仕える犬神の少女たちが姿を現す。いまり、さよか、たゆね、いぐさ、ごきょうや、てんそう、フラノ。入れ替わり、立ち替わり。懇願し、すがってきた。
そして最後に彼女たちのリーダーであるせんだんが画面に映り、深々と一礼した。
「啓太様。何卒、伏してお願い申し上げます。どうぞ我らの代わりに。僭越ながら薫様に言葉を添えさせて頂きます」
そして恐らく勝手にカットインしてきたであろう少女たちを全て引き連れ、シャットアウトする。
また一人に戻った薫はじっと啓太を見つめている。啓太は次に今までずっと沈黙を守ってきた自らの祖母に尋ねる。
「ばあちゃんも同じ用件か? 俺に大統領を護れって?」
「わしの願いは似ているがそれとちょっと違う。大統領を護ることもむろん重要なのじゃがそれ以上に」
老婆はきっぱりと言った。
「おまえの手でパペットマスターを捕まえて貰いたい」
さすがに啓太も言葉を失う。薫は目を軽く見開いていた。老婆は淡々と話し始めた。
「20年前、あまり公になっていないがパペットマスターによって日本でも多くの霊能者と民間人が亡くなった事件があっての。その際、川平の名字を持つ者が実行役を担ったのだ――わしのちょうど甥に当たる男じゃよ」
「え?」
啓太が驚きの声を上げる。薫も初耳だったのか眉をひそめていた。だが、すぐに啓太はあることに気がついて、
「ま、まてよ。それってパペットマスターに操られてたからだろう? ヒデエことだけど、仕方なかったんじゃないのか?」
「ちがう」
老婆は首を横に振った。
「そやつはただ一人、金のために仲間を、川平家を、犬神使いの矜持を裏切り、パペットマスターを手伝ったのだ」
全員、衝撃のあまり固まっていた。
「そしてやつは全てを終えると海外に逃げた。ずっと行方が知れなかったが――ここ最近ようやく手がかりを掴むことが出来た。やつはこのアメリカにいる」
啓太は慄然と考えていた。
(もしかしてばあちゃんが海外に出たのって、そいつを探し出すため?)
老婆が締めくくった。
「やつだけはわしのこの手で片をつけなきゃならん。だから、頼む、啓太。パペットマスターはおまえが、そして川平家の汚点全てに決着をつけてくれ」
啓太は黙り込んでいる。薫、そして老婆はじっと啓太を見つめている。
と、その時。
「ケイタ」
柔らかく優しい声が聞こえた。白くほっそりとした手が彼の肩に置かれる。
「やろうよ」
ようこの言葉。静かだが、はっきりとした口調。啓太はそれで自らの意志を決定した。
「ち」
頭をガシガシと掻き、
「しょーがねえな。薫! ばあちゃん! 貰うモノ色々と貰うからな! 覚悟しておけよ!」
悪態をつき、交互に老婆と薫を指さす。
二人は破顔していた。




