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10話 黄金のガミト

 黄金のガミト。


 彼を彩る伝説には枚挙にいとまがない。


 たとえば山で修行中、たまたま噴火に居合わせ、素足で溶岩流の中に踏み込むと、そのまま雄叫びを上げながら山頂まで一気に駆け上がり、火口に拳を打ち込んで爆破し、地脈の蓋をした。


 コントロールを失った大型タンカーが港に突っ込みそうになったのを身一つで食い止め、押し戻した。


 小さな雑霊を除霊するため拳を振り回していたらビル丸ごと倒壊させてしまった。


 正直なところあまりにも眉唾なエピソードばかりで、仮名史郎は今までずっと半信半疑だったが、今日、相対して分かった。


 それらはきっと全て事実だ。


 前方に立つこの男ならそれくらいたやすくやってのけるだろう。そう信じられた。仮名史郎も特命霊的捜査官の公職に就く身なだけあってそれなりに腕が立つ霊能者だが、目の前の黄金のガミトはまるで次元が違った。


 その赤銅色の肉体からドクドクと溢れ出るマグマのような霊圧に震える膝がもう屈しそうになっていた。


 かつてようこの父、大妖狐や己の先祖、赤道斎と初めて向かい合った時のことを思い出した。


 ずちゃり、ずちゃり、とガミトが笑みを浮かべたまま素足で近づいてくる。仮名史郎は必死で叫んでいた。


「ま、待ってくれ! 高名な霊能者、黄金のガミト氏とお見受けする。私を捕縛する、とのことだが、その理由を是非、問いたい」


「ん?」


 ガミトが立ち止まり、首を傾げた。


「なにを言ってるのだ? おまえがパペットマスターとやらに操られ、アメリカ大統領暗殺に加担にしていると聞いたのだ。私が動くのは当然だろう? 国の一大事は黙ってみてられないからな」


 仮名史郎は内心で歯がみをした。


(やはりそんな筋書きを描いたか!)


 仮名史郎は必死で叫んだ。


「ち、ちがう! 全てちがう! まるであべこべなんだ!」


 仮名史郎は必死でこれまでのことを訴え始めた。正直なところ賭けだと思っていた。そもそもガミト自身が直接パペットマスターに操られているとしたらいくら弁明しても無駄だ。


 だが、もし局長の口車に乗っているだけなら。


 鎮霊局との義理で仮名史郎を追いかけてきたのなら。


 ほんのわずかだが説得出来る可能性がある。仮名史郎は決して能弁ではないが、あたう限りに話した。


 が。


「いい」


 ガミトはにっこりと笑って手の平をこちらに向けた。その圧力に負け、仮名史郎は口をつぐむ。


 ガミトは簡潔に言った。


「オレは考えるのが苦手だし、嫌いだ」


 左右の上腕を二つ曲げて小山のような力こぶを作りながら笑顔で、


「難しいことはこの肉体で全て解決することにしている」


「そ、そんな」


 なんだ、この脳筋は……。


 仮名史郎は腰砕けそうになった。


 ガミトは言い添える。


「それにどっちがあってるか、操られているかなんて、それこそ水掛け論だろう? この場合の客観性なんてそもそも存在しないのだからな。だったら、おまえを捕まえて、局長と引き合わせ、二人の答えを突き合わせた方が簡単だ」


「な、なるほど」


 筋が通っているような、通ってないような。


「という訳で大人しく捕まれい」


 笑みを浮かべたまま、両手を広げ、ゆっくりにじり寄ってくる。まるで仮名史郎を抱きすくめようとするかのように。


 割と胆力のある仮名史郎だが、へなへなと腰を落としてしまった。


(か、かなうかなわない以前に逃げる選択肢さえとれない)


 強大な霊気を前にまるで巨大な蛇に射すくめられた小さな野ねずみのような心持ちになっていた。


 と、その時である。


「よー、仮名さん、久しぶり。なに? またトラブルに巻き込まれてるの? 好きだねえ」


 近所にある常連のラーメン屋で知り合いに会ったかのような気安い声が聞こえた。


 続いて、


「はーい、カリナさん。元気だった?」


 女性の声も響く。ガミトは歩みを止め、そちらに禿頭を巡らせた。仮名史郎もすぐに彼らに気がついた。


「川平! それにようこくん!」


 思わず歓喜の声を上げた。


 本来ここにいるはずのない犬神使い、川平啓太とその相棒が街灯の明かりの下、立っていた。


 啓太は5年前と変わらぬ茶髪、犬用の首輪をチェーン代わりにつけているが、全体的に身体のサイズがアップして、その精悍な感じも増している。もじゃっとした髪の毛に不敵な笑みを浮かべるその顔には生気が満ち溢れていた。


 スニーカーを履き、鳥獣戯画がデザインされた和柄のスカジャンを羽織り、そのポケットに手を突っ込んだまま飄然と立っている。


 一方、ようこは白いシャツミニワンピースと同色のミュールを履いていた。啓太の左肩に右手を置き、宙に少し浮いている。その艶やかな黒髪が夜目にも鮮やかに横に流れていた。


 仮名史郎は胸を詰まらせた。


(なぜ、ここに?)


 そう尋ねようとした刹那、啓太が前もって微妙にイヤそうな顔で制してきた。


「あのさ、念のためだけど」


「な、なんだ?」


「そのおっさんとは別に痴情のもつれとかで争ってるんじゃないよな? だったら、俺、帰るぞ?」


「ち、ちがうちがう!」


 仮名史郎は慌てて首を振った。


「濡れ衣を着せられているのだが、分かって貰えないでいるのだ。助けてくれ、川平!」


 啓太はほっとしたように胸をなで下ろした。


「いやあ、多様性の時代だからさ」


 訳の分からないことを言っている。


「ふーむ」


 するとそれまで黙ってやりとりを見守っていたガミトが面白そうに顎を撫でた。


「川平、と言ったな? 犬神使いの名門だな。若き宗家となった川平薫には一度、会ったことがあるが、おまえは知らないな。一体、誰だ?」


「ただのしがない獣医の卵ですよ」


 啓太は飄々と肩をすくめる。当然だが、ほとんど世に出ていない彼の名前を高名な霊能者が知るわけはなかった。


 ついでガミトはようこを見る。


「おまえも犬神なのか? ちょっと違う気もするが」


 小首を傾げた。ようこは得意げに、


「犬神で、愛人で、恋人で、奥さんよ!」


 胸を張った。


「ば、ばか! 色々と不適切なこと言うな! まだ結婚してないだろう!」


 慌てる啓太の顔を張りのある胸でぎゅっと抱き締め、白い生足を啓太の首に絡め、


「も~照れちゃって♪」


 昔と変わらぬやりとりを開始する。仮名史郎も思わずふうっと肩の力を抜くほど辺りの雰囲気が弛緩した。


 すると。


 ぱん、とガミトが柏手を一つ打った。その瞬間、空気が破裂し、ビリビリと大気が振動した。木々の枝がばさばさと揺れ、街灯の明かりが幾つか破裂する。


 啓太とようこは顔をしかめ、仮名史郎は耳鳴りで痛み始めた両耳を苦しそうに両手で覆った。


 一瞬で緊迫感を取り戻してなおガミトはにこにこと笑みを浮かべたままだった。


「さて、答えて貰おうか? 名も知らぬ川平の犬神使い。なにをしに来た? このカリナチロウに加勢するというのなら、おまえも捕縛しないといけなくなるぞ?」


 ガミトにことさら威圧するつもりなどないのだろうが、正直なところ仮名史郎はその迫力だけで気を失わないようにするのに精一杯だった。


「あのさあ」


 一方、啓太は平然としている。片耳に指を入れ、ほじりながら、


「あんた、なんでそんな格好してるの? 趣味?」


 ようこもガミトのインパクトのある外観にちょっと引いたような顔でうんうん頷いている。


 ガミトは静かに言った。


「――なるほど。オレの質問に答える気はさらさらない、ということだな。ようく分かった」


 ゆらりと前傾姿勢を取った。啓太はにやりと笑った。


「あんた、黄金のガミトだろう? 俺みたいなのでもさすがにその名前くらいは知ってるよ。悪いけどさあ」


早口で言う。


「あんたみたいな化け物相手に真っ正面から行く気はあんたの頭みたいに毛頭ないよ」


 そして両手に挟んだ蛙の消しゴムをかざして見せた。ばっとそれを扇状に挟んで叫ぶ。


「蛙よ、煙と化せ!」


「む」


 次の瞬間、辺りが一瞬でピンク色の煙に包まれた。


 手を顔の前にかざしても全く見えない。視界が一切、利かない状態でもガミトは慌てなかった。


 面白そうににやりと笑い、


「搦め手、か。煙幕? だが、ふむ」


 両腕をぐっと左右に突っ張り、


「ふん!」


 行ったのは両の足先を軸にした身体全体の一回転だった。いわゆるダブルラリアットという動作である。だが、黄金のガミトほどの怪物が行うと。


 それは小型の竜巻となった。ごうっと風が唸りを上げ、螺旋の形を取り、啓太が産み出したささやかな煙幕など一瞬で消し飛ばす。否。それだけに止まらず、近くの木々を何本もなぎ倒し、ベンチを吹き飛ばし、公衆トイレの壁を瓦解させた。


 耳を聾するほどの風が吹き抜け、天上にかき消え、辺りに静寂が戻ってからガミトは周囲を見回した。


 当然のように啓太たちの姿はなかった。だが、ガミトの異常な視力が夜空の彼方を全力で飛び去っていく犬神ようこの後ろ姿だけは捉えていた。ガミトは、がははっと笑った。


「ミエミエの陽動だな。だが、このガミト」


 ぐっと重心を低くし、身をたわめ。


「追いかけっこを挑まれて、応じないわけにはいかないな」


 ジャンプした。


 満月を飛び越えるのではないかという大跳躍。一瞬でガミトの姿がその場から消え去った。


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