4 灰月の朝 ― 官舎通りにて
夜の名残を引きずるように、街はまだ薄暗かった。
灰月の朝、霧が地を這い、石畳の隙間から凍てついた白い息が立ちのぼる。
王立裁定院近くの官舎区。屋根にはうっすらと雪が積もり、煉瓦壁にかけられたランプが淡く滲んでいた。
ドアを叩く軽い音。
しばらくして、軋む蝶番の音とともに扉が開く。
寝癖のついた金髪に、白いシャツ姿のルシアンが顔を出した。
「……ピップか。おはよう」
「おはようございます、兄貴!」
雑用係の少年は真っ赤な鼻をして、息を白く弾ませている。
ピップは、元は貧民街の子ども達からなる“ミストラッツ”という小さな情報屋集団のリーダーだった。
今ではエドガーの後見のもと、王立裁定院の雑用係として働く十二歳の少年である。
黒いコートの裾には霜がつき、手には封筒を一通。
「サーからの伝言です! “朝イチで法務官室に寄ってほしい”って!」
「朝からご苦労だな。了解」
「はいっ!」
にこやかに笑うピップの歯の根が、わずかに合わない。
ルシアンが吹き出した。
「今日も寒いな」
オリーブグリーンの制服を着込み、黒い外套を羽織りながら笑う。
外に出て、鍵をかける。
「朝飯でも奢ってやる。行こうぜ」
「え? 俺もう官舎の食堂で食べてきちゃいましたけど?」
「え、早いな。じゃあ屋台でも行こう。ついて来い」
「えぇ~、寒いのに。外で食べるんですか!?」
霧の向こうに、通りの屋台から煙が立ちのぼっていた。
パンの焼ける香ばしい匂いと、スープの湯気が漂ってくる。
露店の女主人が「今朝のスープは豆とベーコンだよ」と声を上げ、ルシアンは懐から銀貨を一枚取り出す。
「うわ、高い……」
「ははは。でもきっと美味しいぞ」
二人が笑うと、白い息がふわりと絡み合い、霧の中に溶けていった。
パンの温もりを掌に感じながら、ルシアンはふと空を仰ぐ。
霞む尖塔の向こう、白亜の裁定院の影がぼんやりと浮かんでいた。
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「灰羽隊の隊員リストを、僕の方で軍監査局経由で取り寄せたんだ」
法務官室。朝陽を背に立つエドガーが、一枚の紙を机越しにルシアンへ渡す。
「補給経路に関係していた人物として、この名前が挙がっていた。……見覚えはあるか?」
「――あぁ。クラウス少佐だ。俺の隊長だった」
「そうか。だが……」
エドガーは紙を指で叩く。
「ニヶ月前に“死亡”とある」
ルシアンの手が止まる。
「……何だと?」
群青の瞳と琥珀の瞳が、一瞬交錯する。
「詳しい死因は記されていない。だが、軍監察局の印がある」
「……そうか……亡くなったのか」
ルシアンは低く呟き、資料を見つめ続けた。
「会っておきたかったな……」
エドガーは小さく頷くと、席につき、机の上で指を組む。
淡い影が、調書の上に落ちていた。
「それから……“所在不明”や“転任先不明”の者が多いのが、少し気になる」
ルシアンは紙を持ったままストーブの前に移動し、短い金髪をかいた。
「――俺のいた部隊は、偵察や諜報任務が多かった。知りすぎた奴は、身を隠すこともある」
「そうか」
床に置いていた革の書類鞄に紙をしまい、脇に抱える。
「このリスト、助かるよ。あとは俺の方で当たってみる」
「うん。頼んだ」
黒い外套の襟を立て、ルシアンは廊下へ出た。
窓の外では、王都の屋根に静かに雪が降り積もりはじめていた。




