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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第143話 世界で一番優しい嘘は、血を吐くような笑顔で吐き出される

――静寂が、鼓膜を物理的に圧迫していた。


 巨大なすり鉢状のクレーターと化したB60F『関所エリア』。

 俺(黒鉄ジン)の左手で不器用に点火された百円ライターの小さな炎が、安物の煙草の先端をジリジリと焦がす音だけが、やけにデカいノイズとなって空間に響き渡っていた。

 俺の眼前に立ち尽くす『家族アンラッキー・サーティーン』たちの顔面からは、完全に見る見るうちに血の気が引いていくのがわかった。


 無理もない。

 俺の右腕は今、肩の関節を境にして、完全に『別の物質』へと成り果てていた。

 皮膚はひび割れ、筋肉は内側から完全に炭化し、骨の髄まで黒焦げになった、ただのゴミの残骸。それは「大怪我」という概念を通り越し、医学的にも魔術的にも、完全に生命活動を停止した『死骸の一部』に他ならなかった。


(……やべぇな。いくらなんでも、この絵面グラフィックはグロテスク指定(CERO:Z)待ったなしだぞ)


 俺の脳内(CPU)は、極限の焦燥を誤魔化すように、ひどく場違いでメタ的なツッコミを空回りさせていた。

 バレた。見られた。親父としての、余裕のある背中が、完璧に崩れ去ってしまった。

 今にも泣き叫びそうなマシロの顔。ツムギの震える唇。ヤクモの絶望に見開かれた眼球。

 その視線が、俺の炭化した右腕に釘付けになっている。

 コンマ数秒の沈黙が、まるで何百年もの凍てつく氷河期のように感じられた。


(何か言え。何か誤魔化せ。早くしろ、俺のポンコツ脳味噌……ッ!)


 極限のスローモーションの世界の中で、俺は肺に溜め込んだ紫煙を、フーッ、とわざとらしく、ひどくゆっくりと空へ向かって吐き出した。

 そして。

 右腕をだらりと垂れ下げたまま、ヤセ我慢の顔面筋肉ポーカーフェイスをフル駆動させ、この世で最も三流で、下手くそな台詞を口から絞り出した。


「……あー。わりぃ。ちょっと、筋を違えたらしい」


 ――ピキィィィィンッ。

 空間が、凍りついた。いや、俺の放ったあまりに苦しい言い訳のせいで、ダンジョンの冷気すら「え、今のマジで言ってる?」とドン引きして絶対零度に凍りついた気がした。


「テツコの作ったあのガラクタ……無駄に、重すぎるんだよな。関節が外れちまったらしい。……ま、後で湿布でも貼っときゃ治るだろ」


(おいィィィ! 下手くそか俺ェェェッ!! 尺稼ぎの三流ドラマでももうちょっとマシな嘘吐くぞ!)

 脳内で俺自身が、特大のハリセンで自分の後頭部をフルスイングでぶん殴った。

 炭化して煙を吹いている腕を見て「筋を違えた」は無理がある。両足骨折してんのに「ちょっと靴擦れしただけ」と言い張る陸上部員の方がまだ説得力があるレベルだ。

 だが、今の俺には、そんな陳腐な強がり(嘘)を吐くことしか、残された親父のプライドを守る術がなかった。


     * * *


 ――マシロの視界は、完全に白黒のノイズに支配されていた。


 幽霊である私の『視覚』と『魔力感知』のレイヤーは、ジンの強がりな言葉(音声データ)など一切信用せず、ただ残酷なまでの真実エラーコードだけを私の脳髄に叩き込んできた。


【警告:対象(黒鉄ジン)の右腕、魔力反応ゼロ】

【警告:神経伝達網の完全断裂を確認。筋肉組織の炭化率100%】

【結論:対象の右腕は、完全に『死滅』しています】


「……あ……、あ……」


 私の喉の奥で、カエルが巨大なロードローラーでゆっくりと圧殺される時のような、ひどく情けない呼吸音が鳴った。

 心臓が――幽霊だから存在しないはずの私の心臓が、見えない万力で『グシャァッ!』と握り潰されたような強烈な幻痛に襲われた。

 呼吸の仕方を忘れた。肺に酸素が入ってこない。金魚鉢の外に放り出された金魚みたいに、パクパクと口を動かすことしかできない。

 指先が氷のように冷たくなり、ガタガタと全身の震えが止まらない。


(ジン。……ジンの腕が、死んでる)


 私の思考回路が、メルトダウンを起こして脱線していく。

 脳がこの圧倒的な絶望バグを処理しきれず、自己防衛のために「どうでもいい日常の記憶」を走馬灯のように強制再生し始めたのだ。


 ――あんなに温かくて、いつも私の頭を乱暴に、でも優しく撫でてくれた、あの大きな右手が。

 ――先週、スーパーの特売で買った安いひき肉で、不器用にハンバーグをこねていた右手が。

 ――「お前ら、早く寝ろ」と、夜更かしする私たちからテレビのリモコンを取り上げていた右手が。

 ――タバコを不味そうに、でも美味そうに吸って、私に「煙い!」と文句を言われていた右手が。


 ただの、真っ黒な炭の塊に変わっている。

 ボロボロとひび割れ、隙間からはどす黒い骨が見え隠れし、チリチリと肉の焼ける嫌な煙を上げている、ただのオブジェ。

 痛い。見ているだけで、私の右腕までが内側からバーナーで焼かれているような錯覚に陥る。

 この痛み、なんだろう。生前、自転車で転んで膝を思い切り擦りむいた時の痛み? いや、そんなチャチなものじゃない。魂の根元を直接チェーンソーで削り取られているような、絶対的な喪失感。


 寿命の前借り。味覚と痛覚の喪失。内臓の壊死。

 そしてついに、四肢の喪失。

 これ以上彼を戦わせれば、次はどうなる? 答えは決まっている。あの不器用で馬鹿な清掃員は、私たちを守るために、間違いなく自分の『コア』をゴミ箱にぶち込んで笑うに決まっている。


(いやだ)

 叫びたかった。

(もう嫌だ! お願い、休んで! これ以上壊れないで! 腕がないなら、私の腕をあげるから! だから、私たちを置いて、一人で勝手に死なないでよォォォォッ!!)


 すがりついて、その場に泣き崩れて、ジンの胸を叩いて喚き散らしたかった。

 三流のお涙頂戴ドラマのヒロインみたいに、恥も外聞もなく大泣きして、彼の歩みを力ずくで止めてしまいたかった。


 私だけじゃない。

 スローモーションの視界の中で、隣に立つツムギの顔が見える。

 彼女は、下唇を強く噛み締めすぎて、タラタラと赤い血を流していた。爆弾を抱えるその手は、今にもジンを殴り飛ばしにいきそうなほどに震え、血管が浮き出ている。

 ヤクモは、医療キットを抱える指の関節が白骨化しそうなほど白く染まり、ギリギリと骨が軋む音を立てていた。レンズの奥の瞳は、医療従事者としての絶望と、何もできない己への怒りで完全に濁り切っている。

 レオは、血走った目で大地を睨みつけ、聖剣の柄を握る腕を小刻みに震わせていた。「我が主を、なぜ護れなかった」という自責の念が、彼の周囲の空気を泥のように重くしている。


 みんな、同じだ。

 今すぐジンを羽交い締めにしてでも、この狂った大掃除ラストランを終わらせたい。

 これ以上、大好きな親父の体が削り取られていくのを見たくない。

 だが。


(……泣いちゃダメだ。……泣くな、マシロ。絶対に、泣いちゃダメだ……ッ!)


 私の脳裏に、B50Fへ降りる前、アイアン・マザー号の車内で家族みんなと交わした、あの血を吐くような約束――『プランB』の誓いが、落雷のようにフラッシュバックした。


『あのおっさんは、俺たちのために死ぬ気だ。そして、俺たちが泣いて止めても、絶対に歩みを止めねぇ。だったら……親父のヤセ我慢に、最後まで騙されたフリをしてやるのが、俺たちガキの役目だろ』


 ジンが命を削ってまで守ろうとしているもの。

 それは、ただの私たちの「命」じゃない。

 私たちが帰るための「日常(居場所)」であり、ジン自身の「親父としての尊厳」だ。


 ここで私が泣いてしまえば。

 「腕が死んでるじゃないか」と、残酷な事実を突きつけてしまえば。

 ジンの必死の強がり(嘘)は粉々に砕け散り、彼は「家族を守る強い親父」でいることができなくなってしまう。

 それは、あの不器用な男にとって、肉体が燃えることよりもずっと恐ろしい『本当のゲームオーバー』なのだ。


(おいおい作画班、ヒロインの心理描写にどんだけ尺と労力使ってんだよ。私の顔、今絶対すごいブサイクになってるよ……!)


 現実逃避のメタツッコミを脳内で叫びながら、私は、幽霊の分際で大量の冷や汗をかき、脳内の全リソースを「顔面筋肉の制御」へと全振りした。


 口角を上げる。ミリ単位で。

 引き攣る頬の筋肉に、無理やり「喜び」と「呆れ」の偽の電気信号を流し込む。

 溢れ出しそうな涙の膜を、眼球をカッと限界まで見開くことで強引に蒸発させる。

 泣き叫びたい衝動のすべてを、胃袋のずっと奥、ブラックホールのような深淵へと飲み込み、幾重にも厳重な鎖で封印した。


 ――コンマ、1秒後。

 重苦しい、地獄のような沈黙を破ったのは。


「……もう、ジンったら!」


 自分でも驚くほど、いつも通りの、明るくて、無駄にハイテンションで生意気なトーンの声だった。

 私は、血が出るほど強く握りしめていた両手の拳をパッと開き、背中に回して隠す。手のひらには、自分の爪が食い込んだ三日月型の傷から、赤い血が滲んでいたけれど。

 そんな痛みは、ジンの腕の痛みに比べたら、ダニに噛まれた程度のものだ。


 私は、満面の(きっと少しだけ引き攣っているけれど、暗闇だからバレないはずの)笑顔を作って、ジンの顔を真っ直ぐに見上げた。


「歳なんだから、無理しないでよ! まーたヤセ我慢して、一人でカッコつけちゃってさ! テツコの武器が無駄に重いのは本当だもんね、湿布くらい私がタダで貼ってあげるから感謝しなさいよね!」


     * * *


 ――その瞬間。

 ジンの視界で、凍りついていた世界がパリンッと音を立てて砕け散り、一気に鮮やかな色彩と騒音が雪崩れ込んできた。


(……えっ)


 俺は、あまりの予想外の反応に、思わず咥えていた煙草をポロリと落としそうになった。

 マシロのその言葉(嘘)を合図トリガーにしたかのように。

 背後で固まっていた他のメンバーたちも、一斉にシステムを再起動させ、「いつものやかましい日常のトーン」をフルスロットルで展開し始めたのだ。


「まったくよォ……。親父、ダセーとこ見せんなよな。筋違えるとか、ガチの初老じゃねーか。明日から盆栽でも始めるか?」

 ツムギが、鼻で笑いながら(なぜか口元を袖で隠し、声の震えを必死に抑えながら)悪態をつく。


「……フンッ。ジン殿の体力不足は明白。次は我ら若輩者が、もっと楽をさせてやろう。その貧弱な腕は、ただ荷物を持つためだけに使えばいい」

 レオが、腕を組んで(なぜか視線を明後日の方向に逸らし、目元の涙を隠しながら)ふんぞり返る。


「はいはい、お疲れ様です患者第一号。ほら、さっさと車に戻りましょう。湿布でも痛み止めでも、山ほど出してあげますから。診察代はツケにしておきますよ」

 ヤクモが、メガネを押し上げながら(なぜか声のトーンを不自然に高くして、早口で)急かす。


 ……誰も、俺の死んだ右腕の「炭化」に触れようとしない。

 完全に「重い武器を振って筋を違えただけの、ダサいオッサン」として、俺をイジり倒してきやがった。


(マジかよ。……こいつら、アホなのか?)


 俺の脳内で、急速に安堵の波が広がっていく。

 どう見ても真っ黒に焦げた炭の塊なのに。こいつらのポンコツな目には、本当に「ちょっと筋を違えて垂れ下がっているだけの腕」にしか見えていないらしい。

 ……いや、暗闇で土煙が舞っているし、戦闘の興奮でアドレナリンが出まくっているせいか。それとも俺の普段からの「親父の威厳」が成せる業か。

 いずれにせよ。


(――騙せた)


 俺の三流の言い訳が、この愛すべきバカどもには、完璧に通用したのだ。


「……うるせぇ、ガキども。誰が初老だ、ぶっ飛ばすぞ」


 俺は、無意識のうちに奥歯の噛み締めを解き、フッと脱力した。

 そして、自分でもわかるくらい、心の底からの安堵と嬉しさに目を細め、だらしなく笑ってしまった。

 俺はまだ、こいつらの前で「親父」でいられる。

 心配をかけずに、最後までカッコつけたまま、こいつらの盾として前を歩き続けることができるのだと。


(……ふぅ。一時はどうなるかと思ったが、俺の家族のポンコツ具合に救われたぜ。尺稼ぎのシリアス展開はこれにて終了だ)


 メタ的な安堵を胸に抱きながら、俺はだらりと垂れたままの右腕をそのままに、無事な左手一本でズボンのポケットに深く手を突っ込んだ。


「さあ、さっさと次の階層に行くぞ。いつまでもこんな薄暗い場所にいたら、性格までカビが生えちまう」


 俺は踵を返し、アイアン・マザー号へと向かって、悠然と先頭を歩き出した。

 ブーツの底が、砕けた岩盤を力強く踏み鳴らす。


 ――その、ジンの見えない背後で。

 残された家族アンラッキー・サーティーンたちは、一瞬だけ、限界を迎えたように声を殺し、悲痛に顔を歪ませていた。

 ツムギの目からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ち、地面に黒い染みを作る。ヤクモが天を仰いで歯を食いしばり、白衣の裾を握りしめる。レオが血の滲むような溜息を吐き、そしてマシロが、音を立てずに号泣しながら、自らの胸を強く、強く掻き毟っていた。

 それは、世界で一番優しくて、世界で一番残酷な「騙し合い」の代償だった。


 だが。

 ジンが「おら、早く乗れ!」と振り返りそうになった気配を察知した瞬間。


 彼らはコンマ0.1秒で涙を拭い去り。

 再び、この世界で一番完璧な『血を吐くような笑顔』を顔面に貼り付けた。


「今行くってば! 早く行こうぜ、親父!」


 マシロが、明るい声で叫びながら駆け寄り、俺の背中をポンッと力強く押した。

 その手の震えに、俺は最後まで気づかなかった(・・・・・・・)。


     * * *


 轟音を立てて、アイアン・マザー号のエンジンが火を噴く。

 全裸の巨漢が穿ったクレーターを越え、闇を切り裂くヘッドライトが、次層へと続く巨大な黒曜石のゲートを照らし出した。


 もはや、後戻りはできない。

 俺の命のカウントダウンは、右腕の死と共に、確実にそのスピードを加速させている。

 だが、俺の隣には、やかましくてアホな家族たちが、いつものようにバカ笑いしながら座っている。

 それだけで、俺の魂のエンジンは、まだまだレッドゾーンを振り切って回り続けることができる。


 装甲車が、B70Fへと続く巨大なゲートを潜り抜ける。

 互いが互いを想うがゆえに騙し合いながら、絶対に後戻りできない絶望と愛に満ちたラストランは、さらなる深淵へと向かって爆走を続けていくのだった。



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