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ダンジョン遺失物管理センター(B3F) ~最強の回収屋は、今日も「思い出」と「未練」を拾いに行く~  作者: AItak
第六章:裸の騎士と、鉄の処女

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第142話 全裸で語る決意ほど、説得力と布面積が反比例するものはない

――肺の奥底まで吸い込んだ紫煙は、ひどく泥臭く、そして鉄錆の味がした。


 左手一本で不器用に点けた、安物の百円ライターの小さな炎。

 それが、激戦の余波で完全にクシャクシャになった安物の煙草の先端を、ジリジリと焦がしていく。

 そのコンマ数秒の燃焼プロセスすら、今の俺の極限状態の脳(CPU)は、1秒間に1000フレームのハイスピードカメラのような高解像度で認識していた。

 煙草の葉が熱に耐えきれずチリチリと丸まり、オレンジ色の小さな火種が産声を上げる。そこから生み出された灰色の煙が、俺のひび割れた唇の隙間から、熱を帯びて口腔内へと侵入してくる。


 味覚なんざ、とうの昔にダンジョンの毒沼(死者の共鳴の代償)に置いてきた。

 今の俺が辛うじて処理できるのは、「煙という高熱の異物が気管支を通過している」という物理的な圧迫感と、自分の口内から絶え間なく溢れ出るドス黒い血の生臭さだけだ。


(……あー、不味い。なんだこの味、高校の時に部活の罰ゲームで飲まされた、青汁とタバスコのミックスジュースより酷ぇぞ)


 極限のシリアスな戦場だというのに、俺の脳は勝手に現実逃避の連想ゲームを開始していた。

 味覚がないからこそ、過去の「味の記憶」が走馬灯のように蘇る。

 深夜のコンビニで買った、温めすぎた塩むすび。テツコが夜食で作ってくれた、味が濃すぎて致死量の塩分が含まれている謎の煮込み料理。ヤクモが淹れる、やたらと苦いだけの胃薬みたいなコーヒー。

 そんなくだらない日常の味が、たまらなく恋しい。


 B60F『関所エリア』。

 キメラという規格外のバケモノが、俺の放った漆黒の竜巻(大掃除)によってチリ一つ残さず空間から削り取られた後。

 巨大なすり鉢状のクレーターと化した戦場には、鼓膜が破れるような痛いほどの静寂と、ダンジョンの冷たい風だけが吹き荒れていた。


「……ふぅ」


 俺は、血と煤でドロドロに汚れた顔のまま、ゆっくりと煙を空へ向かって吐き出した。

 灰色の煙が、常闇の樹海の絶対的な暗闇の中へ、細く、頼りなく溶けていく。

 足の震えは止まらない。膝の関節は完全にイカれ、「これ以上立っていたら半月板が粉砕されますよ」というアラートを乱れ打ちしている。立っていることすら物理法則への反逆バグに近い状態だ。だが、俺は倒れるわけにはいかなかった。


「……終わったようだな、掃除屋」


 背後から、地響きのような野太い声がした。

 振り返るまでもない。先ほどまで俺と背中合わせになり、文字通り「肉の盾」としてキメラの猛攻を凌ぎ切った巨漢。

 かつて紅蓮騎士団を率い、誇り高き黄金の重鎧を纏っていた男――ガレスだ。


 俺の視界の端に、彼がゆっくりと立ち上がる姿がスローモーションで映り込む。

 見事なまでに衣服のすべてを失い、全身擦り傷と泥にまみれた『完全なる全裸』の状態で、大地を踏みしめて立ち上がる大胸筋。

 飛び散る泥水が、なぜかキラキラと後光のように輝いている。(※おいィィィ! なんで全裸のオッサンが立ち上がるだけでこんな神々しいエフェクトかかってんだよ! 制作会社の作画カロリー配分間違ってんだろ!)


「……あぁ。燃えるゴミの回収は完了だ」


 俺は左手で煙草を挟んだまま、ツッコミを脳内に封印し、背中越しに気怠げに答える。

 ガレスの姿は、控えめに言って放送倫理委員会(BPO)が泡を吹いて倒れ、地上波なら全身モザイク処理が必須のレベルの事案だった。

 だが、不思議なことに。

 今のガレスの背中には、かつて俺たちを全裸トラップ要塞で見下していた時のような、金で買った権威メッキの薄っぺらさは微塵もなかった。

 傷だらけの素肌こそが、彼が命を懸けて部下を守り抜いた「真の騎士」であることの、何よりの証明だったからだ。


 ズンッ、ズンッ、と。

 ガレスは全裸のままゆっくりと歩み寄り、足元に転がっていた「通信機」――『あのゼロ』からの冷酷な切り捨て宣告を響かせていた、諸悪の根源である機械の残骸を見下ろした。

 そして。


 ――バキィッ!!


 迷いなく振り下ろされた極太の裸足の踵が、通信機を粉々に踏み砕いた。

 電子部品が飛び散り、微かに鳴っていたエラーノイズが完全に沈黙する。


「……俺は、間違えていた」


 ガレスが、静かに、だが確かな熱を帯びた声で呟いた。

 俺は口を挟まず、ただ煙草の灰を指先で弾く。


「騎士団の地位向上のため。部下たちに良い思いをさせるため……そう嘯いて、得体の知れぬスポンサーの資金力に溺れた。この身を飾っていた黄金の鎧は、俺の誇りなどではなく、俺たちを実験動物モルモットとして繋ぎ止めるための『首輪』に過ぎなかったのだ」


 ガレスの視線の先。崩壊した要塞の瓦礫の隙間から、キメラの捕食を免れ、辛うじて生き残っていた紅蓮騎士団の部下たちが、血まみれになりながら次々と這い出してくる。

 彼らは、全裸で立つ団長の姿を見て、泣き出しそうな顔で「だ、団長ォォ……!」と声を震わせた。


「泣くな! 貴様ら、それでも紅蓮騎士団か!」


 ガレスが一喝する。

 全裸のオッサンが股間を丸出しにして怒鳴っているというのに、その声には、かつてないほどの威厳と、部下への深い愛情が満ちていた。


「俺たちは今日、死に損なった! 金も、要塞も、仲間も失った! だが……ただの『餌』として死ぬ運命からは、抜け出したのだ! 我々はこれより、あのスポンサーとの一切の契約を破棄する! 二度と、誰の飼い犬にもならん!」


「「「お、おおおおおおッ!!」」」


 ボロボロの部下たちが、涙を流しながら剣を天に掲げる。

 極限のシリアスと、全裸という圧倒的ギャグが、光速で交差して謎の感動カタルシスを生み出している。

 俺の心象風景の中で、夕日に向かって走る青春ドラマの主題歌が流れ始めたが、視覚情報が完全に公然わいせつ罪なので感情のやり場に激しく困る。


「……行くぞ、お前たち! 撤退だ! 一から出直すぞ!」


 ガレスが部下たちに指示を出し、彼らは互いに肩を貸し合いながら、崩壊した要塞の奥へと歩き始める。

 だが、立ち去る直前。

 ガレスはピタリと足を止め、俺の方を振り返った。


 全裸の巨漢と、血まみれの清掃員。

 二人の男の視線が、静寂の中で交錯する。

 ガレスの瞳には、かつての憎悪や見下すような光はない。そこにあるのは、奇妙な友情にも似た、純粋な戦士としての「因縁」だった。


「黒鉄ジン。……借りができたな」


「借りだぁ? 冗談じゃねぇ、清掃代としてきっちり後で請求書を送ってやるよ」


「フッ……。いいだろう、お前のその減らず口、嫌いではない」


 ガレスは顔を歪めて笑うと、ビシッと全裸で直立不動の姿勢をとった。

 そして、俺に向かって力強く、男の誇りを懸けた最大の宣言を叩きつけた。


「次は、必ず服を着て(・・・・)決着をつけるぞ!! さらばだ、掃除屋ァァァッ!!」


 ――いや、どんな宣言だよ。

 俺は思わず、咥えていた煙草をポロリと落としそうになった。

 次回の対戦の前提条件が「服を着ること」ってどういうことだ。どんだけハードル低いんだよ。


「当たり前だろ! どんだけ露出狂なんだよテメェは! 二度と俺の前で脱ぐなァァァッ!!」


 俺の魂のツッコミ(残体力3%の捻り出し)が、常闇の樹海に虚しくこだまする。

 ガレスは満足そうに高笑いを上げながら、満身創痍の部下たちと共に、闇の奥へと消えていった。


 ……嵐が、去った。


「……バカが」


 俺は小さく毒づき、再び深く煙草を吸い込んだ。

 極度の緊張の糸が切れ、視界がぐらりと歪む。限界を超えて引き伸ばされていた俺の体感時間が、ゆっくりと正常なスピードへと戻り始める。

 そして、それと同時に。


『パァァァァァァァァンッッ!!!』


 けたたましい、品の欠片もないトラックのクラクションが、崖の上から鳴り響いた。

 見上げれば、土煙を突き破り、崩れかけた崖の斜面を物理法則を無視して強引に滑り降りてくる巨大な車両の姿がある。

 無骨な装甲車をベースにしながら、後部だけがパステルピンクのフリルとハートマークで装飾された、この世の終わりのような悪趣味なキメラ車両――『アイアン・マザー号(テツコ魔改造ver)』だ。


「ボォォォォォォスッ!!!」

「ジン殿ォォォォッ!!」


 車が完全に停止するよりも早く、後部ドアが蹴り破られ、俺の『家族アンラッキー・サーティーン』の面々が雪崩を打って飛び出してきた。

 ツムギが半泣きで爆弾を抱えながら走り、レオが聖剣を振り回して自分のマントにつまずき、ヤクモが医療キットを抱えて猛ダッシュしてくる。

 その光景が、俺の網膜の中で、再び極限のスローモーションへと切り替わる。

 モノクロに褪せていた世界に、極彩色の色彩が戻ってくる。音のない世界に、やかましくて愛おしい足音と声が流れ込んでくる。


 そして何より、先頭を飛んでくるのは。


「ジィィィィィィンッ!!!」


 実体化し、ボロボロと大粒の涙を流しながら、俺の元へ弾丸のように突進してくる、生意気な幽霊マシロの姿だった。


「……チッ。やかましい連中だ」


 俺は、自然と口角が上がるのを抑えきれなかった。

 世界で一番うるさくて、世界で一番温かい、俺の居場所。

 彼らに「心配かけるわけにはいかない」という、親父としてのちっぽけで無駄なプライドが、俺の砕けかけた背筋を無理やりピンと伸ばさせた。


 俺は、いつも通り「余裕のある親父」を演じるために。

 口から煙草を外し、落ちた灰を払おうと、何気なく――ごく自然な動作で、**自分の『右腕』を動かそうとした**。


 ――しかし。


(…………あ?)


 脳が『右腕よ、動け』という電気信号コマンドを発行した。

 だが、その信号は、右肩の関節を境にして、完全な『虚無』へと吸い込まれ、ブラックホールのように消滅した。

 ピクリとも、しない。

 指先を曲げることも、腕を持ち上げることも、筋肉を収縮させることすらも。

 まるで、俺の右肩から先が「初めからこの世界に存在していなかった」かのように、一切のフィードバック(応答)が返ってこないのだ。


(おいおい、冗談だろ? コントローラーの接続切れたか? それとも電池切れか? ……いや、違う)


 ぎっくり腰や、酷い寝違えで体が動かない時の「痛くて動かせない」という感覚とは根本的に違う。

 神経という名のケーブルが、物理的かつ魔力的に、根元からブチ切られている絶対的な【喪失】。


「ジン! 大丈夫!? どこか痛いところは……ッ!」


 駆け寄ってきたマシロが、俺の顔を見て、ピタリと動きを止めた。

 彼女の視線が、俺の強張った顔から、だらりと不自然に垂れ下がったままの『右腕』へとゆっくりと移動する。


 俺の右腕。

 肩から指先まで完全に炭化し、黒焦げの薪のように無数にひび割れ、生命活動のすべてを停止した、ただの肉と骨の残骸。

 そこからは、生命力(魔力)の光など微塵も感じられない。


 遅れて到着したツムギやヤクモたちも、その異様な光景に気づき、一瞬にして周囲の空気が絶対零度に凍りついた。

 やかましかった足音も、泣き叫ぶ声も、すべてが嘘のように消え失せた。

 彼らの顔面から血の気が引き、絶望という名の色が塗りたくられていくのを、スローモーションの視界が残酷なほど鮮明に捉える。


「……あ……ジン、その……腕……」


 マシロの震える声が、静寂のクレーターに響く。

 痛覚がないから、分からなかった。

 俺の右腕の運動神経と魔力回路は、先ほどの「安全装置リミッターの解除」によって、文字通り完全に焼き切れ、永遠にその機能を喪失していたのだ。


 俺は、凍りつく家族たちの顔を見回し。

 そして、感覚の一切消え失せた自分の右腕の表面を、左手でそっと触った。


 冷たい。

 ただの炭の塊を、他人の肉を触っているような、無機質で悍ましい感触だけがそこにあった。


(……マジかよ)


 俺の心臓が、ひどく嫌な音を立てて跳ねた。

 隠しきれない。ヤセ我慢で誤魔化しきれない。

 俺の寿命いのちの前借りは、ついに、もう二度と後戻りできない『取り返しのつかない段階(ゲームオーバーの淵)』へと、完全に足を踏み入れてしまったのだ。

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