第8話
二度目の凶手は、香りとともに忍び寄った。
その夜、私が寝室に戻ると、部屋には甘い薫香が漂っていた。眠りを誘うための香だと、侍女は言っていた。実際、それは心を落ち着かせる、上品な香りだった。
けれど、私はその甘さの底に、別のものを嗅ぎ取った。
ごく微かに、煙の奥に潜む、湿った金属のような匂い。
私は、香炉に近づき、燻る香木をじっと観察した。ふつうの香に混ぜて焚かれているのは、ある植物の樹脂だった。それ自体はすぐには害をなさない。けれど、毎夜、閉ざされた部屋で吸い込み続ければ——少しずつ、肺と心の臓を蝕んでいく。
緩慢な毒。
今すぐ人を殺すのではない。何日も、何週間もかけて、じわじわと体を弱らせ、やがて「衰弱死」へと導く類の毒だった。
背筋が、ひやりとした。これは、昨夜のトリカブトとは違う。あれは即効性の、わかりやすい毒だった。けれど、これは——もっと巧妙で、もっと執拗だ。気づかなければ、病として処理されて終わる。
私は、すぐに香炉の火を消した。
窓を開け放ち、よどんだ煙を夜気へと逃がす。霧の冷たい空気が、部屋に流れ込んでくる。深く息を吸い、私は乱れかけた思考を整えた。
即効性の毒と、緩慢な毒。二つの異なる手口。これは、ただ闇雲に私を狙っているのではない。何通りもの手段を持ち、状況に応じて使い分けられる、知識ある者の仕業だ。
そして、ふと、私は気づいた。
この香は、私の部屋だけに焚かれたのだろうか。
翌朝、私はさりげなく、ほかの使用人たちの様子を確かめて回った。
すると、私の部屋に近い区画で寝起きする若い侍女たちの幾人かが、このところ頭痛や倦怠を訴えているという。同じ香の流れる廊下で、彼女たちもまた、知らぬ間にあの毒を吸わされていたのだ。
私は、すぐに手を打った。
「この香は、もう焚かないように。原料に、体に障るものが混じっているわ」
そう告げて、私は無害な香草を調合し、代わりに使わせた。頭痛を訴えていた侍女には、解毒を促す薬湯を煎じてやった。数日のうちに、彼女たちの不調は、嘘のように引いていった。
その手際を、思いがけぬ人物が見ていた。
クラウスだった。
たまたま廊下を通りかかった彼は、私が侍女に薬湯を渡す様子を、足を止めて見つめていた。いつもの凍りついた無表情。けれど、その薄い色の瞳が、わずかに細められたのを、私は見逃さなかった。
「……お前は」
彼は、低く口を開いた。
「使用人の不調にまで、気を配るのか」
「ええ」
私は、まっすぐに彼を見返した。
「具合の悪い人を、見過ごせないだけです」
クラウスは、しばらく無言だった。
その瞳の奥で、何かが、ゆっくりと動いている。私を測りかねているような、けれど、それだけではない、もっと複雑な色。彼の凍てついた心の表面に、ほんのわずかな、ひびのような関心が走ったのを、私は感じ取った。
「……変わった女だ」
彼は、それだけ言い残して、踵を返した。霧の廊下の奥へと、その背中が遠ざかっていく。けれど、立ち去り際、彼はほんの一瞬だけ、こちらを振り返った。何かを言いかけ、けれど結局、それを言葉にはしなかった。その小さな逡巡こそが、凍りついた胸の奥に、何か揺れるものが生まれた証のように、私には思えた。
けれど、その言葉に、以前のような突き放す響きはなかった。
私は、その背を見送りながら、ちいさく息を吐いた。
彼の中で、私という存在が、少しずつ「次に死ぬ花嫁」ではない何かへと変わり始めている。それを、確かに感じた。
そして同時に、私の中でも——あの寂しい瞳を持つ男のことが、少しずつ気にかかり始めていた。
霧の向こうで、城の鐘が、低く鳴った。




