第52話
事件が解決しても、城の空気はすぐには変わらなかった。
長年染みついた死神城の陰鬱さは、簡単には拭えない。使用人たちの顔には、まだどこか怯えの名残があった。けれど確かに、何かが変わり始めていた。
まず変わったのは、私を見る目だった。
かつて不気味な花嫁として遠巻きにされていた私を、使用人たちは今、敬意のこもった目で見るようになっていた。
城を救った公爵夫人。長年の呪いを解いた聡明な女性。彼らの態度は、すっかり変わっていた。廊下ですれ違えば、誰もが深々と頭を下げる。
けれど私は、それが少しくすぐったかった。私はただ、生き延びるために、できることをしてきただけなのだから。
「奥方様」
ある朝、侍女頭のマルゴットが、私のもとを訪れた。かつて執拗に私を嫌がらせした、あの女だ。彼女はばつの悪そうな顔で、深く頭を下げた。
「これまでの数々のご無礼を……お許しください」
その声は震えていた。誇り高い彼女が頭を下げるのは、よほどのことだったのだろう。
「顔を上げて、マルゴット」
私は穏やかに言った。
「あなたは、この城を守ろうとしていただけでしょう。新しい花嫁がまた不幸になるのを、見たくなかった。だから私を遠ざけようとした。……違いますか」
マルゴットが、はっと顔を上げた。その目に驚きが浮かんでいた。
「どうして、それを」
「あなたの嫌がらせは、どこか本気ではなかったから」
私は微笑んだ。
「本当に私を憎んでいたなら、もっとひどいこともできたはず。でもあなたは、しなかった。あなたなりに、この城のことを案じていたのですね」
マルゴットの目に、涙がにじんだ。長年誰にも理解されなかったその心を、私は見抜いていた。
「私は……ただ、もう誰も死なせたくなかったのです」
マルゴットは声を詰まらせた。
「奥方様方が次々と亡くなっていくのを、見てきました。何もできない自分が悔しくて。だから新しい奥方様には深入りせず、早く出ていってほしかった。……それが、せめてもの優しさだと思って」
不器用な優しさだった。けれどそこには確かに、城を思う心があった。
「ありがとう、マルゴット」
私は彼女の手を取った。
「あなたのような人がこの城にいてくれて、よかった。これからは一緒に、この城を明るくしていきましょう」
マルゴットは、こらえきれず涙をこぼした。長年の孤独な戦いが、ようやく報われた瞬間だった。
わだかまりが溶けていく。城の中のひとつの氷が、解けた。
その日を境に、城は少しずつ、変わり始めた。
マルゴットは、誰よりも熱心に、私を支えてくれるようになった。使用人たちも、彼女に倣うように、心を開いていった。かつて凍りついていた城の空気に、笑い声が、ぽつりぽつりと戻ってくる。厨房からは、温かい料理の匂いが漂い、廊下には、明るい話し声が響くようになった。
ハンナは、そんな変化を、嬉しそうに見つめていた。
「奥方様が来てくださってから、城が、まるで生き返ったみたいです」
その言葉に、私の胸も、温かくなった。
窓の外で、霧が流れていた。
事件は終わった。けれど本当に大切なのは、これからだった。傷ついた人々の心を、ひとつずつ癒していくこと。死神城に、本当の温もりを取り戻していくこと。
それは、私にしかできない仕事だと思った。毒に愛され、けれど人を癒すことを学んできた、私だからこそ。
私は固く、決意を新たにした。この城を、温かい場所に変えてみせる。霧に沈んだこの北の辺境に、いつか、春のような日々を呼び込むのだ。




