表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私は死んでも惜しくない娘のようです  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
40/60

第40話

 クラウスは、長いあいだ、沈黙していた。


 薬草園の冷たい空気のなか、彼は、ただ立ち尽くしていた。私が告げた真実が、彼の心を、激しく揺さぶっているのが、伝わってきた。やがて、彼は、苦しげに、口を開いた。


「……信じられない」


 その声は、震えていた。


「彼女が、オーレリアだなど。彼女は、修道院にいるはずだ。神に仕える道を、選んだはずだ。あの優しかった人が、人を殺めるなど……あるはずが、ない」



 それは、否認だった。


 受け入れがたい真実から、目を背けようとする、必死の抵抗。私には、それが分かった。彼にとって、オーレリアは、若き日の、美しい思い出だった。たとえ、自らの手で捨てたとしても。その人が、殺人鬼だと認めることは、彼の中の、何か大切なものを、壊すことだった。


「クラウス様」


 私は、静かに、呼びかけた。


「お気持ちは、分かります。けれど」



「黙ってくれ」


 彼は、私を、遮った。


「お前は、彼女を、知らない。昔の彼女が、どれほど、心優しい人だったか。お前が見たという、その『氷の瞳』も、何かの、見間違いかもしれない。確証は、ないのだろう。なら、なぜ、そこまで——」


 その言葉は、私の胸を、刺した。


 すれ違いの、影。彼は、過去のオーレリアを、庇おうとしている。今の私の言葉より、遠い日の記憶を、信じようとしている。



 私は、ぐっと、こらえた。


 ここで、感情的になっては、いけない。彼の動揺は、当然のことだ。かつて愛した人を、疑えと言われて、すぐに頷ける者など、いない。私は、努めて、冷静に、言った。


「確証は、まだ、ありません。だから、私は、あなたに、嘘を信じてほしいとは、言いません」


 クラウスが、はっと、顔を上げた。


「ただ、一緒に、確かめてほしいのです。ローゼ夫人が、本当に、オーレリア様なのかどうかを。私の言葉を、鵜呑みにする必要は、ありません。あなた自身の目で、確かめてください」



 クラウスの瞳が、揺れた。


 彼の中で、何かが、激しく、せめぎ合っているのが、分かった。過去のオーレリアへの、想い。そして、今、目の前にいる、私への、信頼。どちらを、選ぶのか。


 長い、沈黙のあと。


 彼は、ゆっくりと、目を閉じた。そして、深く、息を吐いた。何かを、振り切るように。



「……すまない」


 彼は、目を開け、まっすぐに、私を見た。


「取り乱した。お前は、私のために、危険を冒して、調べてくれたのだな。それを、疑うようなことを、言った。許してくれ」


 その声には、もう、先ほどの、頑なさは、なかった。


「過去の彼女が、どうであれ。今、私のそばにいて、私を守ろうとしてくれているのは、お前だ。私は——お前を、信じる」



 その言葉に、私の胸が、熱くなった。


 クラウスは、選んだのだ。遠い日の記憶ではなく、今、目の前にいる私を。過去ではなく、現在を。逃避ではなく、真実と向き合うことを。それは、長く真実から逃げ続けてきた彼にとって、大きな、大きな一歩だった。


「クラウス様……」


「一緒に、確かめよう」


 彼は、私の手を、握った。


「もし、本当に、彼女が……オーレリアなら。私は、その事実から、もう、逃げない。お前と共に、立ち向かう」



 窓の灯りが、霧の向こうに、温かく、滲んでいた。


 すれ違いかけた二人の心が、再び、ひとつに、重なった。クラウスは、過去の幻影を、振り切った。そして、私を、信じる方を、選んでくれた。


 もう、私たちの間に、迷いは、なかった。


 オーレリア。あなたの仮面を、私たちは、二人で、剥ぎ取ります。


 固く握り合った手の温もりが、これから先の戦いへの、確かな支えに、なった。


 霧の向こうで、何かが、静かに、動き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ