第4話
婚礼は、儀礼的に済まされた。
花も、祝いの言葉も、招かれた客もない。古い礼拝堂で、老いた司祭がぼそぼそと文言を読み上げ、私とクラウスは、ただ形どおりに誓いを交わしただけだった。彼は終始、こちらを見ようともしなかった。私の指にはめられた指輪は、冷たく、重く、まるで枷のようだった。
夫婦となった。けれど、そこに夫婦らしいものは、何ひとつなかった。
式が終わると、彼は短くひとことだけ告げた。
「部屋は、別だ」
それだけ言い残し、彼は霧の廊下の奥へと消えていった。背を向けたその姿は、新郎というより、誰かの葬列を歩く者のように見えた。
形だけの初夜。
私はひとり、与えられた寝室に戻った。侍女たちが慌ただしく身支度を整え、やがて去っていくと、部屋には深い静寂だけが残された。
寝台の脇には、就寝前の茶が用意されていた。湯気の立つ、琥珀色の液体。香草を煮出した、よくある寝つきのための一杯だ。
私はそれを手に取り、口元へ近づけた。
——そのときだった。
ふと、鼻の奥を、わずかな違和がかすめた。
香草の甘い匂いに紛れて、ごく微かに、別の気配がある。苦みを帯びた、青臭いような、それでいてどこか甘ったるい——記憶の底に引っかかる匂い。
私は、カップを口から離した。
長年、薬草と毒物に親しんできた鼻だった。この匂いを、私は知っている。トリカブトの根を、ある手法で精製したときに立ちのぼる、あの匂い。少量でも人の心の臓を止める、れっきとした毒だ。
茶に、毒が盛られている。
心の臓が、どくりと脈打った。けれど、それは恐怖ではなかった。むしろ、ぞっとするほど冷たく、明晰な何かが、頭の中に広がっていく。
来たのだ。早くも。この城に来て、まだ幾日も経たぬうちに。
誰かが、私を殺そうとしている。
窓の外で、霧が音もなく渦巻いていた。城のどこかで、誰かが、この一杯を私が飲み干すのを、息をひそめて待っているのかもしれない。次に死ぬ花嫁。彼らがそう囁いていた、その「次」が、こんなにも早く訪れようとしている。
私は、手の中のカップを、じっと見つめた。
ふつうの娘なら、ここで終わっていただろう。何も知らずにこれを飲み干し、夜のうちに苦しみ、明け方には冷たくなっていたはずだ。そうして、また城に新たな肖像が一枚増える。誰も、毒を疑いはしない。「またご病気で」と、囁かれて終わるのだ。
けれど、私は、ふつうの娘ではなかった。
私は、ためらわなかった。
カップを口元へ運び、その毒入りの茶を、ひとくち、ふたくちと、喉に流し込んだ。
苦みが舌に広がる。青臭い毒の気配が、喉を伝って胃へと落ちていく。けれど——それだけだった。
動悸も、痺れも、息苦しさも、何ひとつ起きはしなかった。
毒は、私の体の中で、ただの無害な水のように溶けて消えた。生まれつき、あらゆる毒が効かない体。家で「不吉」と疎まれ続けたこの呪いが、今このとき、私の命を繋いでいた。
私は、空になったカップを、静かに卓へ戻した。
指先ひとつ、震えてはいなかった。
窓に映る自分の顔を、私はじっと見つめた。
恐れてはいけない。動揺を、表に出してはいけない。私が毒で死ななかったと知れば、相手は必ず、別の手を打ってくる。ならば——知らないふりをするのだ。何も気づかず、何も知らぬ無垢な花嫁を、装い続けるのだ。
そうして、見極める。
誰が。なぜ。この城で、いったい何が起きているのか。
霧の向こうで、城の鐘が、低く、一度だけ鳴った。
私の長い夜が、始まろうとしていた。




