第36話
その名は、思わぬところから、浮かび上がってきた。
オーレリアが、すぐ近くにいる。そう確信した私は、城の出入りの記録を、徹底して洗い直した。数年のあいだに、この城へ出入りした者。とりわけ、薬草や慈善にかこつけて、近づいてきた人物。そこに、答えがあるはずだった。
そして、ハンナの協力もあって、ひとつの名が、繰り返し現れることに、私は気づいた。
ローゼ夫人。隣領に住むという、慈善活動で名高い未亡人だった。
ローゼ夫人。
その名は、近隣で、評判が高かった。病人や貧しい者に、惜しみなく施しをする、心優しい未亡人。薬草に通じ、自ら調合した薬を、困っている人々に、無償で配って回っているという。誰もが、彼女を、聖女のように讃えていた。
けれど、私は、引っかかった。
薬草に、通じている。慈善を口実に、各地を、自由に動き回れる。そして——いつの間にか、この城にも、出入りしていた。
城の使用人に、それとなく尋ねてみた。
「ローゼ夫人なら、ときどき、薬や見舞いの品を、届けに来てくださいますよ」
年かさの使用人は、懐かしむように言った。
「もう、何年も前から。優しい御方でね。亡くなった奥方様方のことも、よく気にかけて、お見舞いに来てくださいました」
その言葉に、私の心の臓が、冷たく跳ねた。
亡くなった奥方たちを、見舞っていた。死んでいった花嫁のもとへ、足を運んでいた。——慈善の、名のもとに。
ぞっとした。
もし、ローゼ夫人が、オーレリアなら。彼女は、慈善という、誰も疑わない仮面をかぶって、堂々と、この城へ出入りしていたのだ。見舞いと称して花嫁に近づき、その手で、あるいは内通者を通じて、毒を、運び込んでいた。
聖女のような評判。それ自体が、彼女の完璧な隠れ蓑だった。
誰が、慈善で名高い未亡人を、連続殺人の黒幕だと、疑うだろう。
私は、その経歴を、調べ始めた。
ローゼ夫人が、隣領に現れたのは——やはり、数年前のことだった。それ以前の彼女について、知る者は、誰もいなかった。どこから来たのか。どんな素性なのか。すべてが、ぼんやりとした霧に、包まれていた。
まるで、ある時期に、忽然と、姿を現したかのように。
修道院を出た、オーレリア。隣領に現れた、ローゼ夫人。二つの影が、同じ時期に、重なっていた。
拭えない違和感が、私の胸に、広がっていった。
完璧すぎる慈善。素性の知れぬ過去。城への、自然な出入り。薬草の知識。そして——亡くなった花嫁たちへの、見舞い。すべてが、ひとつの仮説を、指し示していた。
ローゼ夫人こそ、オーレリア。ヴェールの女。連なる殺人の、黒幕。
けれど、まだ、確証はなかった。慈善の名声に守られた彼女を、ただの違和感だけで、糾弾することはできない。
私は、クラウスに、これを伝えた。
「ローゼ夫人……」
彼は、その名を、噛みしめた。
「聞いたことはある。慈善で名高い、未亡人だと。まさか、その女が……」
「まだ、確証はありません」
私は、慎重に言った。
「けれど、調べる価値は、十分にあります。一度、その人に、会ってみたいのです。私の目で、確かめるために」
窓の外で、霧が、流れていた。
ローゼ夫人。聖女の仮面をかぶった、ある女。その素顔を、私は、暴かなければならない。
長く霧のなかに潜んでいた黒幕が、ついに、ひとつの名と、ひとつの顔を得て、私の前に、姿を現そうとしていた。
私は、決めた。会いに行こう、と。その完璧な仮面の奥に、本当に、オーレリアの執念が、隠れているのかどうかを、確かめるために。
第三の幕が、静かに、上がろうとしていた。




