第32話
ヴィクトルが、口を開いたのは、その翌日だった。
解毒の処置で、彼は、辛うじて、命を、取り留めた。けれど、その顔には、もう、以前の余裕は、なかった。自分が、利用され、そして、捨てられかけたことを、彼は、痛いほど、思い知っていた。
「……命を、救ってくれて、感謝する」
ヴィクトルは、掠れた声で言った。
「あの方は、私を、切り捨てた。用済みになったから。それが、答えだ。私は……愚かだった」
私は、その枕元に、座った。
「ヴィクトル様。話してください。あなたの知る、すべてを」
もう、彼に、隠す理由は、なかった。命を狙われ、捨てられた今、彼を縛るものは、何もない。むしろ、彼は、報復を、望んでいるようだった。自分を、駒として使い、消そうとした、その相手への。
「いいだろう」
彼は、頷いた。そして、ぽつぽつと、語り始めた。半分の——彼の知る限りの、真実を。
「数年前のことだ」
彼は、目を閉じて、言った。
「私は、賭博で、莫大な借金を、抱えていた。にっちもさっちも、いかなくなった頃……ひとりの女が、現れた。フードの、使いを通じて。借金を、すべて、肩代わりする代わりに、ある仕事を、手伝え、と」
「ある仕事?」
「ああ。隣領の商人から、薬種を受け取り、城へ、運ぶこと。それと……クラウスの悪評を、社交界に、広めること」
噂を、育てる役。それも、ヴィクトルだったのだ。
「私は、毒だとは、知らなかった」
彼は、弁明するように言った。
「ただの、薬草の取り引きだと、思っていた。噂を流すのも、ちょっとした、嫌がらせ程度だと。……気づいたときには、もう、後戻りできなかった。奥方たちが、次々と死んで、私は、ようやく、自分が、何に加担していたのかを、悟ったんだ」
その声に、後悔が、滲んでいた。けれど、私は、同情は、しなかった。彼の運んだ毒で、何人もの女性が、命を落としたのだ。
「その女のことを、教えてください」
「顔は、見たことがない」
ヴィクトルは、首を振った。
「いつも、フードの使いを、寄こすだけだ。だが……ひとつだけ、分かっていることがある」
彼は、声をひそめた。
「その女は、薬に、異常なほど、詳しい。送られてくる指示には、毒の調合や、扱いについて、細かな注文が、書かれていた。素人には、書けない内容だ。……あの女は、自ら、毒を操れる。それも、相当な、手練れだ」
薬に通じた、女。ヴェールの女。すべてが、繋がっていく。
「そして」
ヴィクトルは、続けた。
「その女は、ただ、金や、権力のために、動いているんじゃない。指示の文の、端々から……もっと、別の、執念のようなものが、滲んでいた。クラウスへの、異常なまでの、こだわり。あれは、ただの、依頼人じゃない。何か……もっと、ねじれた、感情を、抱えている」
クラウスへの、こだわり。執念。
私の頭に、また、あの名が、浮かんだ。オーレリア。捨てられた、女。
「あの女は」
ヴィクトルは、震える声で言った。
「あの女は、ただ……クラウス様を、独り占めしたいだけだ。私には、そうとしか、思えない」
その言葉が、私の胸を、貫いた。
独り占め。金でも、権力でも、ない。ただ、ひとりの男を、誰にも渡したくない、という、歪んだ執着。それが、すべての殺人の、動機だというのか。
窓の外で、霧が、流れていた。
半分の真実を、私は、引き出した。ヴェールの女。薬に通じた、執念の女。すべての糸が、ひとつの方向へと、収束していく。
オーレリア。
もう、確かめずには、いられなかった。修道院への、問い合わせの返事が、待たれた。
真実の、核心へ。あと、ほんの少し。私は、固く、拳を、握りしめた。




