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私は死んでも惜しくない娘のようです  作者: 小林翼


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第22話

 翌朝、私は、クラウスのもとを訪ねた。


 すべてを話すと、決めていた。使われた毒が、ハルヴァート家の秘伝に酷似していること。それを知る者は、限られていること。けれど——いざ彼の前に立つと、言葉は、喉の奥で、つかえた。


 彼の瞳に、疑いが浮かぶのが、怖かったのだ。


 ようやく芽生え始めた、この信頼を。嵐の夜に交わした、あの笑顔を。私の言葉ひとつで、壊してしまうかもしれない。そう思うと、舌が、重くなった。



「どうした」


 私の様子に、クラウスが、いぶかしげに眉を寄せた。


「何か、言いたいことがあるのだろう。……話してくれ」


 その声は、穏やかだった。私を、信じようとしてくれている。それが、かえって、私を苦しめた。


「クラウス様。……あの毒のことで、お伝えしたいことが」


 私は、意を決して、口を開きかけた。


 ——けれど、その時だった。



「奥方様。こちらに、おいででしたか」


 扉の向こうから、エルマーが顔をのぞかせた。


「失礼いたします。先日の侍女の件で、ご報告が……おや、お取り込み中でしたかな」


「いえ」


 私は、慌てて、言いかけた言葉を呑み込んだ。エルマーの前で、口にできる話ではない。彼が下がるのを待とう。そう思って、私は口を閉ざした。


 けれど、その一瞬の躊躇を、クラウスは、別の意味に取ったらしかった。



「……何でもない、のか」


 彼の声に、わずかな硬さが混じった。


「先ほど、言いかけていただろう。毒のことで、何か」


「それは……」


 私は、言葉に詰まった。今は言えない。けれど、それを、どう説明すればいいのか。エルマーがいるから、とは言えない。なぜなら、私はまだ、エルマーを疑ってすらいないのだから。ただ、人前で話せる内容ではない、それだけだった。


 私の沈黙が、長く続いた。


 その間に、クラウスの瞳の奥を、何かが、すっと過った。



 不信。


 ほんの、一瞬だった。けれど、私は、確かに見た。彼の瞳に、ちらりと、疑念の影がよぎるのを。何かを隠している。言えない秘密がある。そう、思われたのかもしれない。


 長く、人に裏切られ続けてきた男だ。妻が死に、調べても証拠は出ず、信じた者にすら欺かれてきた。そんな彼にとって、「隠しごと」は、最も恐れる言葉なのだろう。


 私は、胸が締めつけられた。違うのです、と言いたかった。あなたを疑っているのではない。むしろ、あなたを守りたいから、慎重になっているだけなのだと。



「……後で、お話しします」


 私は、ようやく、それだけ言った。


「人のいないところで。必ず」


 クラウスは、しばらく私を見つめた。それから、ふいと、目をそらした。


「……分かった」


 その声は、もう、先ほどまでの温かさを、わずかに失っていた。


 すれ違いの、芽。ほんの小さな、けれど、確かなひび。私たちの間に、それが生まれてしまったことを、私は、痛いほど感じた。



 エルマーが、穏やかに微笑んで、二人を見ていた。


「では、私は、後ほど改めて」


 彼は、丁寧に一礼し、下がっていった。その背中を見送りながら、私は、ふと、奇妙な感覚に襲われた。


 なぜ、エルマーは、よりによって、あの瞬間に現れたのだろう。


 私が、まさに核心を口にしようとした、その時に。


 ——いや。


 私は、首を振った。考えすぎだ。エルマーは、ただ報告に来ただけ。あの親切な老医を、こんなことで疑うなど、どうかしている。城に来て以来、誰も彼もを疑う癖が、すっかり染みついてしまったらしい。



 けれど、心のどこかに、消えない小さな染みが、残った。


 その夜、私は、なかなか寝つけなかった。


 クラウスとの間に生まれた、すれ違い。それを、早く埋めなければ。人のいないところで、すべてを話そう。秘伝の毒のことも、私自身に向けられかねない嫌疑のことも。彼なら、きっと、分かってくれる。信じて、くれるはずだ。


 窓の外で、霧が、ゆっくりと流れていた。


 信頼というものは、芽吹くのには時がかかり、壊れるのは、一瞬だ。


 その儚さを、私は、噛みしめていた。


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