第17話
その客人は、霧を割って、城へやって来た。
ある昼下がり、城が、にわかに慌ただしくなった。久方ぶりの来訪者だという。私が広間へ向かうと、そこには、ひとりの青年が立っていた。
明るい色の髪に、人好きのする笑顔。クラウスとは対照的な、華やかで開けた雰囲気をまとった男だった。
「やあ、あなたが噂の奥方ですね」
彼は、屈託なく微笑み、優雅に一礼した。
「申し遅れました。私は、ヴィクトル・ヴェルナー。クラウスの従弟です」
ヴィクトル・ヴェルナー。
クラウスの従弟であり、ヴェルナー公爵位の継承権を持つ人物。陰鬱なこの城には、いかにもそぐわない、社交的で明るい青年だった。
「いやはや、まさかクラウスが、こんなに素敵な奥方を迎えるとは。彼は昔から、無愛想で困りものでね。さぞ、ご苦労されているでしょう」
彼は、親しげに私に話しかけ、城での暮らしを気遣ってくれた。クラウスのことを、子どもの頃の思い出まじりに、楽しげに語る。
その物腰は、どこをとっても、好感の持てるものだった。
「何か、お困りのことはありませんか」
ヴィクトルは、真摯な顔で言った。
「クラウスは、ああいう男ですから、あなたのことを、十分に気にかけてやれていないのでは。私でよければ、いつでも力になりますよ。何しろ、私もヴェルナーの一族。この城には、それなりに詳しいですから」
その申し出は、ありがたいものだった。城の中で、これほど私に親切にしてくれる客人は、初めてだ。彼は、私の味方を、進んで買って出てくれている。
けれど。
その完璧すぎる笑顔を見つめながら、私の胸の奥で、ごく微かな何かが、ざわついた。
言葉にできない、ささやかな違和感。彼の親切は、本物のように見える。彼の笑顔に、嘘の影は見えない。けれど——何かが、ほんの少しだけ、引っかかる。あまりに、滑らかすぎるとでもいうような。隙のない、完璧な好意。それが、かえって、奇妙に感じられたのだ。
それが何なのか、私には、まだ掴めなかった。
考えすぎだろうか。城に来て以来、何度も命を狙われ、誰も彼もを疑うようになってしまった。その癖が、この善良な青年にまで、影を見せているだけかもしれない。
「ありがとうございます、ヴィクトル様」
私は、微笑んで応じた。
「お心遣い、嬉しく思います」
「いやいや、当然のことです」
彼は、爽やかに笑った。
「あなたは、この一族に迎えられた、大切な方だ。クラウスのためにも、あなたには、幸せでいてほしい。……あんな噂のある男のもとへ嫁がされて、さぞ不安だったでしょう。でも、ご安心を。私が、お力になりますから」
その夜、私は、ヴィクトルのことを考えていた。
継承権を持つ従弟。もし、クラウスに世継ぎが生まれなければ、公爵位は、彼のもとへ転がり込むことになる。先妻たちが、世継ぎを宿す前に、次々と命を落としていたとしたら——それで、いちばん得をするのは、誰か。
答えは、明らかだった。
けれど、と私は思い直した。あまりに、分かりやすすぎる。継承権を持つ親族など、まっさきに疑われる立場だ。本物の犯人なら、もっと巧妙に、影に潜むはずではないか。
あの違和感は、いったい何だったのか。
窓の外で、霧が、ゆっくりと流れていた。
ヴィクトルのあの隙のない笑顔が、頭から離れなかった。味方なのか、それとも——。
まだ、何も、断じることはできない。
けれど、私は、彼の動きを、注意深く見守ることにした。その完璧な微笑みの奥に、いったい何が隠れているのかを、見極めるまで。
城の鐘が、霧の向こうで、低く鳴った。




