第12話
その問いは、思いがけぬ形で突きつけられた。
階段から落ちた翌日。打ち身を庇いながら廊下を歩いていた私を、クラウスが呼び止めた。彼の顔は、いつになく強張っていた。私が階段で「事故」に遭ったことを、すでに耳にしているのだろう。
「リネット」
彼は、私の名を呼んだ。初めて、名で呼ばれた。
「人払いを。話がある」
その声には、抑えきれぬ何かが滲んでいた。私は、黙って頷いた。
誰もいない一室で、彼は、私と向き合った。
しばらく、彼は言葉を探すように沈黙していた。やがて、その薄い色の瞳が、まっすぐに私を射抜いた。
「お前は、何度も死にかけている」
低い、絞り出すような声だった。
「茶に毒が盛られた。香に毒が焚かれた。そして昨夜は、階段で。……ふつうなら、とうに死んでいる。一度でも、致命的なはずだ。なのに——」
彼の声が、震えた。
「なぜ、君は生きている」
私は、息を詰めた。
ついに、この問いが来た。隠し通すことも、できたかもしれない。けれど、彼の瞳を見て、私は悟った。この人は、もう気づいている。私が、ただの花嫁ではないことに。そして、何より——彼は、私を案じている。
ごまかしは、もうやめよう。私は、静かに口を開いた。
「公爵様。……私は、生まれつき、毒が効かない体質なのです」
クラウスの目が、見開かれた。
「あらゆる毒が、私には害をなしません。ハルヴァートの家で、私が『不吉』と疎まれ、ここへ厄介払いされたのも、そのためです。毒で死んでも惜しくない娘だと——そう言われて、私は嫁いできました」
彼は、言葉を失っていた。
凍りついていた仮面が、音を立てて崩れていくのを、私は見た。驚愕。それから、理解。そして、その奥から滲み出てきたのは——深い、痛ましいほどの動揺だった。
「……毒が、効かない」
彼は、呆然と呟いた。
「だから、お前は……生きて……」
彼の手が、わずかに震えていた。何かを必死に堪えるように、彼は固く拳を握りしめた。そして、ふいに、その顔が、苦しげに歪んだ。
まるで、希望と絶望を、同時に突きつけられたかのように。
「逃げてくれ」
絞り出された、その言葉に、私は耳を疑った。
「クラウス様……?」
「頼む。この城を出てくれ。今すぐ、遠くへ」
彼は、一歩、私に詰め寄った。いつも人を遠ざける、あの冷たい男が。その瞳には、初めて見る、剥き出しの感情があった。
「毒が効かぬなら、相手は別の手で来る。昨夜の階段のように。次は、助からないかもしれない。私は——もう、誰も、私のそばで死なせたくない。お前まで、失いたくないんだ」
お前まで、失いたくない。
その言葉が、私の胸を、深く刺した。
彼は、懇願していた。死神と呼ばれ、人を遠ざけ続けてきた男が、私の前で、初めて自分の心を、むき出しにしていた。これ以上、誰かを失う痛みに、彼はもう耐えられないのだ。三人の妻を見送った、その絶望の深さが、その声から、痛いほどに伝わってきた。
私は、彼を見つめた。
逃げる、という選択肢が、確かに、目の前にあった。彼の言うとおり、危険は増している。ここを去れば、私は、命の危険から逃れられる。生まれ育った家にも、もう私の居場所はない。けれど、どこか遠い土地で、ひっそりと生き延びることくらいは、できるかもしれなかった。
けれど。
もし私が逃げれば、また別の花嫁が、この城へ送り込まれてくるだろう。そして、私と同じように、あるいは私のように毒が効かないわけでもないその娘は、何も知らぬまま、衰えて死んでいく。肖像の女たちのように。それを、見過ごすことなど、私にはできなかった。
私の中で、もう、答えは決まっていた。
窓の外で、霧が、音もなく渦巻いていた。




