【ドレスコードは競泳水着】新魔王、元人事部長としての知性を最悪の方向にバグらせる
「ま、魔王様!? お気を確かに! あなた様は死んでなどいませんわ!」
静寂に包まれた魔王城の玉座の間。
トラウマに包まれ、呆然と立ち尽くす山室豊――もとい、劇的な若返りを果たして二十五歳の全盛期の肉体を取り戻し、漆黒の女物のハイレグ競泳水着を纏った新魔王の肩を、バンパイアクイーンのセレナが激しく揺さぶった。
「我ら三人の魔力を結集した禁忌の儀式により、魔王様の生存されていた世界から、『肉体ごと』この魔界へ召喚されたのです! 前世の世界では、魔王様の肉体は跡形もなく消滅したはず。衣服を剥ぎ取られる心配も、貴方様が辱められる心配もありません!あちらの世界には貴方様の実体は存在しないのです!」
「……え? 肉体ごと召喚? 実体は存在しない……?」
豊の口角がニヤリと上がる。
ザァッ……と、脳内を涼やかな風が吹き抜ける。
それは、五十有余年の人生で最大の危機を脱した瞬間の、究極の安堵だった。
人間の尊厳を奪われずに済んだ。
誰にもバレずに済んだ。
俺は……助かったんだ!
ということは、現世の山室豊は「通勤中に高級車の中から忽然と姿を消し、謎の失踪を遂げたイケおじ部長」として処理されるのだろう。
少なくとも、あの純白のレディース競泳水着姿を警察や医師に暴かれ、家族や部下に「人事部長のくせに超ド変態じゃねえか」と失笑され、人生に汚名を刻む最悪の結末だけは、完璧に回避されたのだ。
「おおお……っ!!」
豊の目から、今度は歓喜の涙が溢れ出た。
「助かった! 俺は助かったのだ……ッ!!」
「魔王様……? 突然お笑いになられて、もしや本当に精神の均衡を……?」
サキュバスロードのリリアが、ビキニからこぼれ落ちそうな豊かな胸を揺らしながらおそるおそる足を進める。
「いや、何でもないです。……取り乱して申し訳なかったです」
豊は涙を拭い、スッと三人に向き直った。
豊かのスーツはミノタウロスウーマンのミミに引き裂かれたため、今の彼は正真正銘、漆黒のハイレグ競泳水着『シックスフライト』一丁の姿である。
かつて家庭を崩壊させたトラウマの象徴であり、同時に彼が狂おしいほどに愛した伝説の女性用高速競泳水着。
ポリウレタン混紡の強烈なコンプレッションが、若返った25歳の強靭な肉体をギリギリと締め付けている。
その前衛的すぎる、あるいはハレンチ極まる格好のまま、豊の表情は一変した。
一流の大企業で数々の修羅場をくぐり抜け、何千人もの社員を査定してきたエリート人事部長の――「あの顔」だ。
百八十センチの長身、引き締まった体躯、そして冷徹なまでの知性を宿した瞳。
その立ち姿から放たれる圧倒的な覇気とカリスマに、先ほどまで彼を宥めていた魔族たちは気圧され、思わず一歩後ろへと退がった。
「さて。落ち着いたところで、状況を整理させてください。ここはどこで、貴方たちは誰なんですか? そして、なぜ俺を『魔王』と呼ぶのか、説明してください」
豊の低く響く硬質なバリトンボイスに、最高幹部である三人は本能的に姿勢を正した。
やはりこの御方こそ、異世界から招かれた絶対の覇者なのだと、彼女たちは確信する。
セレナが一歩前に出て、深紅の瞳を真摯に輝かせた。
「ご説明いたします、新魔王様。ここは魔界。貴方様のおられた人間界とは異なる次元の世界にございます。この世界は大きく天界、人間界、魔界に分かれており、先代の魔王様は、この広大なる魔界を圧倒的な魔力と恐怖で統一されました。ですが、そのまま人間界へと侵攻した際、人間の『勇者』の手にかかり、無念の死を遂げられたのです」
「優秀なワンマントップの戦死ですか。後継者育成を怠ったんですね。組織としては、最悪のシナリオと言っていいでしょう」
人事畑の王道を歩んできた豊は、腕を組んで冷徹に頷く。
その際、シックスフライトの滑らかな黒い光沢が、玉座の間の燭台の炎を妖しく反射した。
「はい……。偉大なるリーダーを失った魔界は、結束を失い、人間たちに大敗を喫しました。さらには魔界内部も、一瞬にして群雄割拠の戦国時代へと逆戻りしてしまったのです。ここはバンパイア族が支配する地域。私の居城である『ミッドレス城』にございます。我が一族は、サキュバス族、そしてミノタウロス族と支配地域を同じくしており、同盟を組んでおります。隣にいるのがサキュバスロードのリリア、そしてミノタウロスウーマンのミミ。私たちは皆、先代魔王様の直属の幹部でした」
リリアとミミも、それぞれ深く頭を垂れる。
「先代魔王様亡き今、このミッドレス城も、隣接する好戦的なオーク族から頻繁に襲撃を受けております。残念ながら我らの同盟はまさに存亡の危機……。そこで私たち三人は禁忌を冒し、三人の魔力を練り合わせ、先代様に最も近く、高いカリスマと潜在能力を持つ高位の魂を異世界から召喚いたしました。それこそが、あなた様なのです」
セレナは深く跪き、懇願するように豊を見上げた。
「あなた様は我が主、新たなる魔王様。この魔界においては、貴方様のお力は最強。貴方様の命令は絶対。我らは一蓮托生、どこまでもお従いいたします。お願いです、新魔王様。どうかその圧倒的なお力で、もう一度この魔界を統一し、我らをお救いください!」
「ここは魔界……。魔界の、統一ですか……」
豊は目を細め、己の置かれた状況を冷徹に分析した。
普通なら必死になり「元の世界に帰る方法」を探すところだろう。
だが、現世での豊は齢52の老齢の身。
しかも、競泳水着が絶滅した世界。
現世の社会通念では競泳水着フェチは軽蔑され、肩身が狭い。
戻ったところで待っているのは、生い先短い命と誰にもバレないように競泳水着を隠れて楽しむしかないという絶望的な世界。
豊はセレナが口にした決定的なフレーズを脳内でリフレインする。
『あなた様の命令は絶対』。
絶対服従――。
つまり、この世界において自分は、会社の社長や役員、株主の顔色など一切伺う必要のない、最高権力者なのだ。
さらに……。
現世の社会通念や倫理観、法律といった「檻」も、この世界には存在しない。
前妻には変態と蔑まれ、今の妻には冷遇された己の「競泳水着フェチ」という狂気を、ここでは誰に咎められることもない。
ごくり、と豊の喉が鳴った。
眠っていた野心が、ドス黒く鎌首をもたげる。
「それに、新魔王様。あなた様には目覚めた瞬間から、先代様を凌駕するほどの膨大な『魔力』が宿っておりますわ。このように、手のひらの上で強くイメージするだけで――」
リリアが艶めかしい手つきで豊の手を取り、魔力の練り方を教えようとした、その時だった。
イメージ……。魔法か。
ならば、現世のゲームにあるような『ファイアーボール』のようなものを……。
豊が右手のひらを上に向け、軽く意識を集中した。
――ブォンッッッ!!!
「うおっ!?」
「きゃああっ!?」
凄まじい風切り音とともに、豊の手のひらの上に、禍々しい灼熱の、真っ赤な魔力の塊が出現した。
「何て大きさなの!」
「恐ろしいほどの魔力量ですわ!」
「魔王様!強い!」
それは三人の知っている爆発魔法など比較にならないほどの超高密度で圧縮され、豊の意志のままに形を変え、膨らみ、玉座の間の空気を一瞬で干からびさせるほどの熱量を放っている。
素晴らしい……! これが、異世界の力か!
自分の意志一つで、世界すら書き換えられるような全能感……!!
前世の競泳水着に対する愛を抑圧された生活では絶対に味わえなかった、脳を焦がすような快感が豊の全身の細胞を駆け巡る。
彼は異世界で得た無敵の力と絶対的な権力に、静かに、しかし深く酔いしれていた。
豊が全能感に目を細めていると、サキュバスのリリアが、熱い吐息を漏らしながら再び豊の全身に視線を這わせた。
「あのぅ、魔王様……。その、お気持ちが落ち着いたところで、お聞きしてもよろしいかしら? その……大変、その、刺激的なお洋服は、一体何なんですの……?」
リリアのトロンとした視線は、豊の逞しい胸板と骨盤にピチピチに密着した、漆黒の布地に釘付けだった。
「そんな風に、お身体の線を余すことなく浮き彫りにして……。それに、この妖しいまでの光沢と、ヌラヌラとした不思議な生地。このような素材、見たことも聞いたこともありませんわ……!」
ミミも丸太のような腕を組み、黒い水着にピッタリと浮き出た、豊の強靭な肉体をじっと見つめながら首を傾げる。
「ミミも見たことない!でも、その服、薄い。……魔王様は強いけど、服は弱そう!」
「弱い、だって?」
豊の額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
異世界の住人に何を言われようが構わない。
だが、レーシング競泳水着を「弱い」と侮辱することだけは、この男にとって万死に値する暴挙だった。
「よし、よく見ろ。この競泳水着がいかに機能的で、美しく、完成されたものであるか、その凡俗な眼にじっくりと焼き付けてやる!」
豊は怒りのあまり敬語も忘れ、おもむろに片腕を腰に当ててポーズをとると、玉座の間をゆっくりと歩き回った。
完璧なる黒いハイレグ姿のままで、ランウェイを歩くトップモデルのような堂々たる足取りである。
「この水着の本質は、現行のレギュレーションすら凌駕する『極薄の超高密度ポリウレタン素材』にある! まさに失われた高度技術、我が世界のオーパーツなのだ! 見てみろ、この眩いばかりの光沢と、濡れたような質感を! 一見、ただの薄い布に見えるだろう? だが違う! これは水中で最大の推進力を得るため、表面の水流抵抗を極限まで削ぎ落とした機能美の極致なのだ!」
豊はグッと胸を張り、漆黒の生地を指でピンと弾いてみせた。
パチン、と心地よいゴムの摩擦音が玉座の間に響き渡る。
「さらに驚くべきは、その強烈な着圧だ! このシックスフライトは、着用者の筋肉を最適な位置でホールドし、疲労を軽減させ、限界を超えたパフォーマンスを引き出す。足の付け根をここまで大胆に露出させたハイカットのレッグラインは、骨盤の可動域を一切妨げず、爆発的なフットワークを可能にする! 我が世界では、そのあまりの魅力と性能の高さゆえに、生産終了後もプレミア価格で取引され、多くのマニア、いや戦士たちが血眼になって追い求める伝説の『聖衣』なのだ!!」
「は、はあ……しっくす……ふらいと……?」
セレナが呆気に取られた声を漏らすが、豊の熱弁は止まらない。
ビジネスマンとして培った、大衆を惹きつけるプレゼンテーション能力が、今、最悪の方向にフルスロットルで発揮されていた。
豊は、改めて3人の幹部たちの衣装を見渡した。
フリルだらけで動きにくそうなセレナのドレス。
ホールド感が皆無で、戦闘時にはズレ落ちそうなリリアのマイクロビキニ。
重装すぎて機動力をドブに捨てているミミのプレートアーマー。
「……致命的ですね」
少し落ち着きを取り戻した豊は、冷酷に言い放った。
「貴方たちの服装は、組織の幹部として、そして戦士として著しく合理性を欠いていると言わざるを得ませんね。これではオーク族に苦戦するのも無理はないことです。栄光ある勝利、そして完璧な組織統制には、共通の理念が必要です」
そうだ……。俺は魔王。俺の言うことには絶対服従。
豊の脳裏に、前世の社会規範では、逆立ちしても許されなかった悪魔的で禁断のアイディアが閃いた。
魔界の頂点に立つ者として、組織の『制服』を制定する権利は、今やこの手にあるのだ。
この女の子たちは俺の部下……いや、魔界の住民全員が俺の部下だ。ミッドレス城、ひいては魔界の奴ら全員に、この『競泳水着』を着用義務化としたらどうなる……?
毎日、朝から晩まで、右を向いても左を向いても、最高峰のハイレグ水着美女や屈強な戦士たちが、ピチピチの光沢素材に身を包んで俺の前にかしずく、夢のユートピアが完成するんじゃないのか……!?
それは、100%個人の性癖から生じた、最悪の職権乱用にしてド変態の欲望だった。
しかし、魔力による全能感を得た豊を止めるものは、もうこの世界には何も存在しない。
「フフフ……ハハハハハ……!!」
豊の口から、低く濁った、本物の魔王のような邪悪な笑い声が漏れ出す。
「魔王、様……?」
ニヤリとあまりにも禍々しい、冷酷でド変態な笑みを浮かべる新魔王の姿に、セレナたち3人の幹部の背筋に、原因不明の強烈な戦慄が走るのだった。




