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女性用競泳水着を着たまま死んだら、魔王になっていた件

世の中には、墓場まで持っていかねばならない秘密というものがある。


山室豊(山むろゆたか)、五十二歳。


百八十センチを超える高身長。


学生時代に野球で鍛え上げた肉体は今なお引き締まっており、肥満とは無縁だ。


一流大学を卒業後、大手企業の上級管理職として人事畑の王道を歩む出世頭。


端正な顔立ちと温和な物腰から、周囲には「渋いイケおじ」と評されている。


そんな社会的成功者である豊の胸の奥には、ドス黒く燃え盛る、あまりにもディープな狂気の性癖が隠されていた。


競泳水着フェチだ。


それもレーシング用の競泳水着でなければ、豊はダメなのだ。


豊がその魔力に取り憑かれたのは、幼少期にスイミングスクールに通い始めたときだった。


水流を切り裂くために極限まで無駄を削ぎ落としたフォルム。


肌に吸い付くようなピチピチとしたポリウレタン混紡の質感。


そして何より、人間の骨盤のラインをこれでもかと強調する、大胆なハイカット(ハイレグ)。


彼は毎朝、仕立ての良い高級ビジネスシャツの下に、密かに通販で購入した「女性用」の競泳水着を着用して出勤していた。


しかも、シャツの上から絶対に透けないよう、仕事に着ていくのは決まって「真っ白な競泳水着」だ。


ネクタイを締め、パソコン仕事や役員会議に臨む間も、スーツの裏側ではナイロンとポリウレタンの強烈なコンプレッションが、豊の全身をギリギリと締め付けている。


その皮膚と一体化するような圧倒的フィット感、股間を適度な圧でホールドされる快感こそが、過酷なビジネス社会を生き抜くための彼のエネルギー源だった。


だが、その純粋すぎるフェチズムは、過去に多大なる犠牲を伴っていた。


最初の妻との離婚原因がそれだ。


付き合っている頃から、「競泳水着を着てくれ!競泳水着を着たお前と営みがしたい!」と何度も頼んできた豊。


最初の妻には「変態なことは嫌!」とにべもなく断られ続けてきた。


着てくれないなら……。


豊はいつしか、自ら身に纏うようになった。


ある日、誰もいないはずの自宅のリビングで、女性用ハイレグ競泳水着一枚の姿でハァハァと息を荒くしながら至福の行為に耽っていたところを、予定より早く帰宅した前妻に目撃された。


『変態ッ! 気持ち悪い男!』


あのとき浴びせられた罵声と、冷酷な蔑みの視線を豊は今でも夢に見る。


愛想を尽かされ、巨額の慰謝料を毟り取られて離婚した過去は、豊の人生における最大のトラウマだった。


その後、縁あって再婚した現在の妻と三人の子供たちには、この秘密を絶対に悟られてはならない。


今の妻には、夜の営みの際に「……コスプレを頼む」と必死に頭を下げ、セクシー下着や看護婦、ミニスカポリスなどの豊としては全く興味のない衣装に紛れ込ませ、嫌がる妻にたまに渋々着てもらうのが限界だった。


競泳水着好きな豊には生き辛い生活。


しかし、豊が現代社会において最も絶望し、激しい憤りを抱いているのは、私生活の不自由さなどではなかった。


レイザー・カイザー……! あの無粋極まりない全身タイツめ……!


高級外車のハンドルを握りながら、豊は心の中で血の涙を流していた。


二〇××年、オリンピックの前後で水泳界に突如として現れた、全身を覆い隠す高速水着『レイザー・カイザー(仮名)』。


あの水着の登場により、世界から「露出を増やすことで抵抗を減らす」というハイレグの美学が駆逐されてしまった。


ルール改正で全身水着が禁止された今なお、競技の主流は膝上までを覆うロングスパッツ型。


足の付け根を大胆に露出させ、コンマ一秒を削り落ともうとしたあの黄金の「ハイレグ競泳水着」は、完全に絶滅してしまったのだ。


「ハイカットの角度こそが、勝利への傾斜だというのに……。今の水着には、戦士としての矜持も、芸術的な美しさもカケラも存在しない……っ!」


無念。あまりにも無念。


ダッシュボードのモニターには、一九九〇年代のオリンピック競泳種目の映像が流れている。


アニーマやスパーダのロゴが誇らしげに輝く、極限まで切れ上がったレーシングカットの薄手の水着を纏った選手たちが、美しく躍動していた。


ファッションの流行は繰り返す。


いつか必ず、再びハイカット競泳水着の時代が来る。


そう強く念じ、画面のピチピチとした光沢素材に見入っていた、そのときだった。


「ッ――ごふ、ぅっ!?」


突然、胸の奥を巨大な万力で締め付けられたような、凄まじい激痛が豊を襲った。


心臓発作。


元野球部とはいえ、五十を過ぎた身体に溜まり続けたストレスと、衣服の下に隠し通してきた秘密の緊張感が、限界を迎えたのだ。


視界が急速に狭まっていく。


意識が遠ざかる。


高級車のシートに沈み込みながら、豊の脳裏を過ったのは、死への恐怖ではなく「最悪のプライド」だった。


ま、待て……! 俺は今、ワイシャツの下に……女性用競泳水着を着ている……! このまま死んだら、病院や司法解剖で……医者や看護師、警察官、術後の遺体安置所で……家族や会社の仲間に、絶対にこの姿を見られてしまう……っ!!


それだけは嫌だ。


それだけは人としての尊厳を失うことを意味する。


墓場まで持っていくはずの秘密が、白日の下に晒されてしまう。


死してなお蔑まれてしまう。


生きなければ。


今すぐ意識を取り戻し、生きなければならない。


せめてこの水着を脱がなければ、死んでも死に切れない――!


しかし、指先一つ動かすことすら叶わなかった。


凄まじい着圧に包まれたまま、山室豊の意識は完全に暗転した。


 ◇


ガバッと飛び起きた豊は、周囲の光景に息を呑んだ。


病院などでは断じてない。


物質の放つ気配も、漂う空気の匂いも、完全に常軌を逸していた。


黒い石材で組まれた広大で禍々しい玉座がある王宮の玉座の間のような大きな部屋。


窓の外には赤黒く濁った不気味な空が広がっている。


だが、豊の脳はそんな異様な環境を「異世界転生」などと都合よく認識しなかった。


先程、我が身に襲いかかった強烈な危機感を前に、彼は完全にパニックに陥っていた。


これは夢だ……! これはタチの悪い悪夢だ! 私はさっき、車の中で意識を失った。は、早く夢から覚めないと……終わってしまう……っ!!


安堵など、一ミリもできなかった。


豊はハッとして自分の身体を確認する。


手触りの良い高級スーツは元のままだ。


胸に手を当てると、その下にはしっかりと、いつもの「それ」のピチピチとした素晴らしい圧迫感が残っていた。


それこそが、彼を底なしの絶望へと突き落とす。


白いワイシャツの下に、透けないように『真っ白な女性用競泳水着』を仕込んで出勤していた、一流商社の五十二歳の人事部長の私が……あのまま車の中で死んでいたら……!


豊の脳裏に、最悪の「もしも」が超高解像度で浮かび上がった。


自分が死ねば、当然警察や病院に運ばれ、衣服を剥ぎ取られる。


そして、その情報は瞬く間に家族や社会へと突き抜けるのだ。


きっとネットのニュースで不可解な謎として面白おかしく取り上げられるに違いない。


厳かな音楽が流れる、神妙な空気の葬儀場。


そこに参列する会社の部下や上司たちは、焼香をしながら必死に笑いを堪え、コソコソと肩を揺らして苦笑いしている。


『おい、聞いたか? 山室部長、ワイシャツの下に女物の競泳水着着て死んでたらしいぞ』


『マジかよ、人事部長のくせに超ド変態じゃねえか』


そんな陰口が聞こえる中、祭壇の前では、現在の妻と娘が世間からの冷酷な蔑みの視線に晒され、恥ずかしさに顔を覆って泣き崩れている。


大学生の息子は実父のあまりにも情けない、おぞましい性癖への怒りと裏切り感で顔を真っ赤に腫らし、ブチ切れて豊の棺桶に思い切り唾を吐きかける――。


「いやだ、いやだぁぁぁーーーッ!! 夢よ、覚めてくれ!! 早く起きないと取り返しのつかないことになるッ!!」


長年培ってきた人事部長としてのポーカーフェイスも、会社の危機を持ち前の機転と能力で何度も救ってきた危機管理能力も、完全に消し飛んでいた。


豊は頭を抱え、床に這いつくばってガタガタと激しく狼狽し、我が身を引っ掻くようにして暴れ狂った。


常軌を逸したその取り乱し方に、玉座の間に控えていた魔族たちが色めき立つ。


「ま、魔王様!? いかがなされましたか! お気を確かに!」


「敵襲か!? 精神攻撃を受けておられるのか!?」


夜の女王たるバンパイアクイーンのセレナが、煌びやかなドレスをたなびかせ、青ざめて豊に駆け寄る。


魅惑姫、サキュバスロードの長であるリリアも、紐ビキニを揺らしながら必死に声をかけた。


「魔王様、落ち着いてくださいませ! ここは魔界の王宮、あなた様を脅かすものなど何もございません!」


だが、豊の耳には何も届かない。


「目を覚さませ! 家族が、私の人生が、私の築き上げてきた人生が完全に終わる……ッ!!」


叫びながら暴れ続ける豊。


その尋常ではない錯乱ぶりを止めるため、巨躯を誇る牛頭の亜人、暴虐の鎧、ミノタウロスウーマンのミミが「これ以上は危険」と判断した。


「魔王様! 一度頭を冷やす!」


悪気はなかった。


ただ、あまりの狼狽ぶりを力づくでなだめるために、ミミは豊の背後から、その豊満な胸を押し付けるようにして、丸太のような太い腕でがっちりと抱きすくめたのだ。


戦斧を軽々と扱う、ミノタウロス族の圧倒的な怪力である。


「やめろ!?邪魔をするな!早く、早く夢から醒めなければ!」


強烈なパワーで締め上げられながらも、豊は持ち前の鍛え抜かれた体で無理やりミミから体を引き離そうと暴れた。


ミミが自らの腕の中から抜け出ようとする豊を逃すまいと、その衣服を鷲掴みにしたその刹那――。


バリバリバリバリビリィィィッッッ!!!


玉座の間に、凄まじい布地の裂ける音が鳴り響いた。


ミミの加減を知らない怪力によって、豊が着ていた仕立ての良い高級ビジネススーツ、スラックス、そしてワイシャツにいたるまで、文字通り「全身の衣服」が跡形もなく一気に引き裂かれ、四散したのだ。


「あっ……」


ミミがハッとして手を離す。


衣服をすべて失い、宙に投げ出された豊の身体。


だが、そこに現れたのは生々しい中年の肌ではなかった。


衣服の残骸の奥から顕になったのは、眩いばかりの妖しい光沢を放つ、曇りなき『真っ白な女性用ハイレグ競泳水着』姿――!


小麦色の男の逞しい肉体に、純白のレーシングカット水着が限界まで密着している。


その異常な光景が露わになった瞬間、豊の身体が突如として、部屋全体を焦がすほどの圧倒的な邪悪な「青白い光」に包まれた。


「うおっ!? ま、眩しい……ッ!?」


「魔王様の身体が……光って……!?」


あまりの光量に魔族たちが腕で目を覆う。


光の渦の中心で、豊の肉体が急速に作り変えられていった。


五十を過ぎてガタがきていた内臓が、血管が、細胞の一つ一つが超活性化し、劇的な若返りを果たしていく。


光が収まったとき、そこに立っていたのは、引き締まった極上の肉体を持つ、若き豊の姿だった。


しかし、真の変貌はそれだけにとどまらない。


五十二歳の絶望とともに、若返った彼の肉体を包む「白い水着」が、ドクドクと不気味な脈動を始めた。


純白の生地が、まるで漆黒の闇を吸い込むように、みるみるうちに禍々しい「黒」へと変色していく。


縦横に走る独特のエンボス加工。水流を極限までいなすために開発された、あの極薄のゴムのような、あるいは未知の生物の表皮のような、ヌラヌラとした妖しい光沢。


豊の脳裏に、かつて家庭を崩壊させ、人生最大のトラウマとなったあの記憶が強制フラッシュバックする。


こ、この水着は……まさか……ッ!?


そう、それこそはアニーマ社がかつて世に送り出した伝説の高速水着――『シックスフライト(黒)』。


最初の妻が予定より早く帰宅したあの日。


誰もいないリビングで、この限界までハイレグに切れ込んだ黒い水着だけを身に纏い、ハァハァと息を荒くして至福の行為に耽っていた、まさにその瞬間の姿。


『変態ッ! 気持ち悪い男!』と罵られ、巨額の慰謝料と共にすべてを失う原因となった、まさにその「忌まわしき水着」そのものだった。


あまりの恐怖とトラウマから、それ以来、魅力的で貴重な逸品にも関わらず、コレクト(収集)することすら自分に禁じてきた「禁忌の象徴」が、今、異世界の魔王となった豊の全身を、これ以上ない強烈な着圧コンプレッションで締め上げている。


「な……。じゃあ俺は、二十五歳のあの瞬間に戻ったと言うのか?」


静寂が、玉座の間を支配した。


二十五歳の全盛期の肉体。


そこに、これでもかと股間と骨盤のラインを強調する、漆黒のハイレグ競泳水着。


あまりにも淫靡で、同時に言葉を失うほど圧倒的なプレッシャーを放つその姿に、真っ先に反応したのはバンパイアクイーンのセレナだった。


「きゃっ!な、何ですか……そのあまりにも、あまりにも卑猥なお姿は……っ!?」


セレナはボッと顔を紅潮させ、あまりの恥ずかしさに両手で顔を覆いながらも、指の隙間からそのエロティシズムの塊のような姿をこっそり見つめている。


一方で、サキュバスロードのリリアは、トロンと蕩けた目でそのツルツルとした黒い光沢素材を見つめ、恍惚の吐息を漏らした。


「ああ……なんて素敵……。身体の線がすべて浮き出て、まるで極上の皮膚のよう……。素晴らしいわ、魔王様……っ」


うっとりと気絶せんばかりに身悶えするリリア。


そして、豊の服を破り捨てた張本人であるミミは、その場にドスンと両膝を突き、深く頭を垂れていた。


彼女の瞳にあるのは、純粋な敬畏の念だけだった。


「シンプル、神々しい!これぞ魔王の威厳……!ミミは新魔王に従う……っ!」


ミミにとっては、その極限まで無駄を削ぎ落としたハイカット水着こそが、究極の機能美を持つ「神聖な聖衣」にしか見えなかったのだ。


三者三様の狂乱。


しかし、当の山室豊は、シックスフライトの全身を襲う懐かしい強烈なフィット感の中で、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


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