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8 庭園の暴れん坊と隠れん坊

 王宮に来てから来てから毎朝、アスレイの前には、町では見たこともないような豪華な食卓が広がっていた。

「本日の朝食でございます」

 ライリー夫人と女官たちが静かに配膳していくのは、バターの香りが食欲をそそる焼きたてのパンに、つやつやと輝く半熟のオムレツ。カリカリに焼かれた香ばしいベーコン、朝露に濡れたような新鮮なサラダ、そして甘い香りを放つ季節の果物。湯気を立てる温かいスープからは、複雑に重なり合った深い出汁の香りが漂う。

 王宮に来たばかりの頃、アスレイはこの華やかさに目を輝かせ、心躍らせたものだったた。けれど、最近ではその豪華さが、逆に胸をチクリと刺すようになっていた。

(……美味しい。でも、すごく静かだな)

 カチャ、という銀のフォークが皿に当たる音だけが、高い天井に虚しく反響する。お針子をしていた母と、狭いテーブルを囲んで、オムレツを半分こしたり、「今日は何をしようか」と、笑い合っていた時間は、ここにはなかった。どれほど美味しい料理も、一人で食べるそれは、どこか味気ない砂を噛むような寂しさを孕んでいた。

 そこへ、ライリー夫人が無表情な面持ちのまま、一通の招待状を盆に乗せて近づいてきました。

「アスレイ様。本日の午後の予定ですが、訓練はございません。グウェンドリン様のご発案により、庭園にて姉妹の皆様を招いてのお茶会が開かれます。そちらへ出席なさるようにと、王妃様からもお許しが出ております」

「えっ、お茶会……?」

 午後の訓練がないということは、カインと一緒に汗を流し、大好きな母の話を聞くことはできないということ。それは少し、いえ、かなり残念なことだった。

 けれど、それ以上にアスレイの心にはパッと灯がともった。

「……みんなで、食べるんですか?」

「左様でございます」

 誰かと食卓を囲める。一人きりではない食事。

 昨夜、自分にだけ秘密を打ち明けてくれた、あの「金髪のお揃いの姉様」と一緒にいられる。

「……よかった。すごく、楽しみです!」

 アスレイは、それまで重く感じていたフォークを軽やかに動かし始めまた。一人で食べる朝食の寂しさが、午後への期待で少しずつ温かな色に塗り替えられていくのを感じながら、アスレイはスープを口に運ぶのだった。


 午後。

 燦々と陽光が降り注ぐ王宮の庭園には、目も眩むような光景が広がっていた。

 テーブルの上には、精巧な銀の装飾が施されたアフタヌーンティースタンドが鎮座し、宝石のようなマカロンや金箔の乗ったタルトが、春の光を反射して煌びやかに並んでいた。

 しかし、そこに流れる空気は、朝食とはまた違った「息苦しさ」に満ちていた。

「……本当に、不愉快。エリザベス姉様はまた欠席なの? 私がこうして足を運んであげているのに、第一王女が姿も見せないなんて、無礼にも程があるわ」

 次女シレーネが、扇を激しく動かしながら苛立ちを隠さずに吐き捨てた。彼女にとって、このお茶会は自分を無視し続ける長女エリザベスを揺さぶるための舞台でもあったのだ。その標的がいない今、彼女の瞳には苛烈な情念が渦巻いていた。

「シレーネ姉様、落ち着いてくださいませ。お姉様にはお姉様のご都合がございます。……アスレイ、紅茶の温度は、お口に合いますか?」

 三女グウェンドリンが、凛とした声で場を整えた。

 昨夜、礼拝室で泣きじゃくりながら「内緒だよ」と手を握り合っていたあの少女の面影は、どこにもなかった。そこには、王妃クレアの「最高傑作」として完璧な仮面を被った、非の打ち所のない王女が座っていた。

(……グウェンドリン姉様、すごく怖い顔になっちゃったな。昨日のことは、本当に夢だったのかな)

 アスレイが少し寂しさを感じながらカップを持ったその時、隣から「ガタッ」と椅子を鳴らす音が響いた。

「ねえ、まだ食べ始めないの? このタルト、すっごく美味しそうなのに!」

 声を上げたのは、十二歳の四女フレアだった。

 彼女は第一王女エリザベスと同じ、燃えるような赤毛を高い位置で二つのツインテールに結んでいた。お転婆な性格を象徴するように、ドレスの裾からは今にも駆け出しそうな元気な脚が覗いている。

「フレア、お行儀が悪いわ。シレーネ姉様が……」

「いいのよ、グウェンドリン。騒がしいのは今に始まったことではないわ」

 シレーネは忌々しげに言い放つと、苛立ちを押し殺すようにして、流麗な所作でティーカップを口に運んだ。一口、二口と紅茶を味わい、添えられた焼き菓子を音も立てずに口にする。どれほど内心が怒りで煮えくり返っていようとも、高貴な王女としての作法を疎かにすることだけは、彼女の矜持が許さなかった。

 完璧に、そして冷徹に。

 シレーネは一通りのティータイムを「義務」として完遂した。

「……お茶は頂いたわ。けれど、これ以上この場にいても時間の無駄よ。失礼させてもらうわね」

 彼女は口元をナプキンで軽く押さえると、隙のない優雅な動作で席を立った。去り際にアスレイへと向けられた一瞥は、氷のように冷たく、けれどどこか焦燥に駆られているようでもあった。

「……あーあ。また怒らせちゃった。ま、いつものことだしいいわ! ね、アスレイ、グウェン! 食べましょうよ!」

 フレアはシレーネの背中を見送ると、待ってましたとばかりにスタンドのタルトを口に放り込んだ。グウェンドリンは深いため息をついたが、その完璧な仮面が、一瞬だけ「昨夜の少女」のように困ったような苦笑いで綻んだのを、アスレイは見逃さなかった。


 私は、いつだってじっとしていられない。

 ツインテールにした赤毛が、私が一歩動くたびにぴょんぴょんと跳ねる。家庭教師の先生は「フレア様、お淑やかに」なんて口癖みたいに言うけれど、そんなの私には向いていないわ。

 私は、三女のグウェンと同い年。たった数ヶ月違いで生まれた姉妹。

 だから、周りの大人たちは昔から、私たちを並べてはあれこれと品定めをしてきた。

「グウェンドリン様は非の打ち所のない王女だ」

「それに比べてフレア様は……」

 でも、そんなの知ったことじゃない。

 私は鼻っから、王座の争いには興味がないの。お姉様たちがピリピリしながら順位を気にしている間、私は庭の木に登って、誰よりも高い場所から王宮を見下ろしていたい。

 期待されていないっていうのは、寂しいことじゃない。それは「自由」っていう、このお城で一番手に入りにくい宝物を持っているってことなんだから。

 私には、大好きなお姉様が二人いる。

 一人は、第一王女のエリザベス姉様。

 私と同じ第2妃から生まれて、燃えるような赤毛を持つ姉様は、誰にも媚びずに剣を振るう。周りが何を言おうと、自分の道を行くあの背中は、お城の中で一番かっこいい。姉様が訓練で流す汗の匂いは、どの香水よりも私には素敵に思えるの。

 もう一人は、双子みたいに育ったグウェン。

 彼女は「完璧」であろうとして、いつも自分の心をきつく縛り付けている。大人たちの前で人形みたいに笑う彼女を見ると、胸がギュッとなるけれど……私と二人きりの時だけ見せる、呆れたような「本物の溜息」を、私は何よりも大切にしている。

 グウェンが唯一、肩の力を抜いて「ただの女の子」になれるのは、私の前だけ。だから私は、彼女がどんなに堅苦しいお姫様を演じていても、わざと困らせて笑わせてあげるって決めているの。

 そこに、あの子がやってきた。

 アスレイ。

 没落貴族の息子だとか、王位を奪いにきた野良猫だとか、シレーネ姉様たちは騒いでいるけれど、私にはそんなことどうでもいい。

 私が興味があるのは、あの子の瞳。

 お城の大人たちが持っている、濁った欲張りな目じゃない。

 まるで、雨上がりの空みたいな、透き通った空色の瞳。

 あの子がこの城に来てから、ずっと近づく機会を狙っていた。

 グウェンが昨日、真夜中にこっそり部屋を抜け出したのは知っているわ。戻ってきた時の彼女の顔が、ほんの少しだけ柔らかくなっていたこともね。

「ねえ、アスレイ。あなた、本当はどんな顔をして笑うの?」

 今日のお茶会で、シレーネ姉様がいなくなって、ようやくチャンスが巡ってきた。

 グウェンの仮面を剥がして、アスレイの本当の姿を暴き出す。

 さあ、冒険の始まり。


 シレーネ姉様が去った後、フレア姉様は、タルトを口に放り込むと、弾けるような笑顔で僕の手を掴んだ。

「ねえアスレイ、お茶会はおしまい! 私がこのお城で一番素敵な場所を案内してあげる!」

「えっ、案内……ですか?」

 突然の提案に驚く僕を余所に、フレア姉様は今にも駆け出しそうな勢いだ。横で見ていたグウェン姉様が、慌てて紅茶のカップを置いて制止の声を上げた。

「待ちなさい、フレア。今日はお茶会です。お客様をお呼びしておいて、勝手に持ち場を離れるなんて、主催者としてあるまじき……」

「あら、グウェン。何言ってるの?」

 フレア姉様は、さっきまでのヤンチャな表情をどこへやら、ふっと背筋を伸ばして、それはそれは淑女らしい澄まし顔を作って見せた。

「大切なお客様に、この王宮の美しさをその目で見てもらう。これも立派な『おもてなし』でしょう? 主催者なら、お客様が退屈しないように工夫しなきゃ!」

「……っ」

 あまりにも堂々とした、けれど見え透いた理屈に、グウェン姉様は言葉に詰まった。彼女は一度、空になったシレーネ姉様の席を見やり、それから僕たちの顔を交互に見つめると、やれやれと首を振って深い溜息をついた。

「……本当、あなたには敵わないわ。わかったわよ。お茶会の後半は『庭園巡り』ということで、私が責任を持って同行します」

「やったー! 決まりね! さあ行こう、アスレイ!」

 フレア姉様が僕の手を引いて走り出し、その後ろをグウェン姉様がドレスの裾を気にしながら、けれど心なしか足取り軽くついてくる。

 僕は、前を走る二人の背中を見て、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

(……びっくりした。あんなに仲良しなんだ……)

 いつも完璧でいなければならないグウェン姉様と、自由奔放なフレア姉様。母親も違う、正反対に見える2人だけれど、言葉にしなくても通じ合う温かな空気が2人の間に流れていた。

 グウェン姉様は、フレア姉様の無茶な振る舞いに呆れながらも、その瞳は優しく笑っている。

 お互いに背中を預け合える、本当の「姉妹」。

 王宮の人はみんな敵か味方かしかないと思っていた。でも、ここには僕の知らない「家族」の形がちゃんとあったんだ。

「ほらアスレイ、ぼーっとしてると迷子になっちゃうわよ!」

 フレア姉様が振り返って笑う。

 僕は、繋がれた手の温もりを確かめるようにギュッと握り返した。

「はい、お姉様!」

 生い茂る緑の迷路の向こう側。

 完璧な仮面の裏側にある、本当の姉様たちの世界へと、僕は一歩踏み出した。


 フレアに引かれるままに庭園の奥へと進むと、手入れされたバラ園を抜け、少し古びた彫像が並ぶエリアに差し掛かった。そこでアスレイは、ひときわ奇妙な像の前で足を止めた。

「ねえ、見てよこれ! いつ見ても笑っちゃうわ」

 フレアが指差したのは、上半身が人間で下半身が羊の、いわゆる「サテュロス」の石像だった。しかし、彫刻家の腕が独特すぎたのか、その顔は驚くほど不機嫌そうで、どこか王宮の口うるさい儀典官に似ていた。

「これ、きっと先代の王様が、嫌いな大臣をモデルに作らせたのよ。ほら、この垂れ下がったお腹と、妙に偉そうな角! 羊なんだか、ただの意地悪なお爺さんなんだか分かりゃしないわ」

 フレアが眉をひそめてこき下ろすと、後ろからついてきたグウェンドリンが、慌ててハンカチで口元を押さえた。

「フレア、なんて不敬なことを……っ、く、ふふ……」

 完璧な王女であろうとする彼女の肩が、小刻みに震えている。グウェンドリンは必死に笑いを堪えていたが、フレアがさらに「この鼻の形なんて、シレーネ姉様が怒った時そっくりじゃない?」と追い打ちをかけると、ついに「……っ、もう、やめて!」と、年相応の女の子らしい声を上げて笑い出してしまった。

 アスレイは、その光景を眩しそうに見つめていた。王宮の重苦しい空気が、二人の笑い声で少しずつ溶けていくようだった。

 笑い疲れた三人が歩みを緩めたのは、さまざまな花が咲き乱れる温室の近くにある花壇だった。

「ここは『王妃の花園』よ」

 グウェンドリンが、少し真面目な顔をして教えてくれた。

「あっちの真っ白な百合は、私の母様が一番愛している花。そして、あの情熱的な大輪の薔薇は、シレーネ姉様の母様、第三妃サンドラ様が好んで植えさせているわ。……エリザベス姉様とフレアの母様、第二妃ミルドレッド様は、あの凛とした青いリンドウがお好きだったそうよ」

 誇らしげに、けれどどこか寂しげに語る姉の言葉を聞きながら、アスレイは花壇の隅にひっそりと咲く、小さな白い花に目を留めた。

 派手さはないけれど、風に吹かれて揺れるその姿は、どこか強くて優しい。

「あ……これ、すずらん。……母様が、一番好きな花だ」

 アスレイの言葉に、二人の姉が動きを止めた。

「家の裏に、たくさん咲いていたんです。お母様はいつも、この花を摘んで小さな瓶に飾って……『この花は、幸せが戻ってくる合図なんだよ』って、笑っていました」

 アスレイの瞳が、ふっと遠くを見るように揺れる。

 豪華な百合や薔薇に囲まれて、場違いなほど質素に咲くその花。それは、この巨大な城の中でたった一人、誰からも顧みられずに耐えている母エレーヌの姿そのものに見えた。

「アスレイ……」

 グウェンドリンが何かを言いかけたが、それを遮るように、フレアが「あ!」と声を上げた。

「ねえ、あそこ! 何か動いたわ!」

 フレアが指差したのは、庭園の最果てにある、大きなにれの木の下だった。ツタが幾重にも重なり、まるで天然のカーテンのようになっているその場所は、大人たちの目が届かない死角になっていた。

「探検よ!」と駆け出すフレアの後を追い、ツタの隙間から中を覗き込んだアスレイは、息を呑んだ。

 そこには、小さな石で囲まれた秘密の空間があった。

 色とりどりの枯葉がきれいに並べられ、中央には怪我をして羽を休めている小鳥が一羽。

 そしてその傍らに、膝を抱えてじっと座っている少女がいた。

 五女、10歳のリュシエンヌだった。

 引っ込み思案で王宮の行事にも滅多に姿を見せない彼女は、この小さな「隠れ家」で、たった一人で世界と対話していたのだ。

 侵入者に驚いたリンの大きな瞳が、アスレイと目が合う。

「……リュシー。あなた、こんなところにいたのね」

 グウェンドリンの呟きに、リュシエンヌは怯えたように震えた。

 しかし、アスレイは静かにその場に屈み込み、リュシエンヌと視線の高さを合わせた。そして、先ほど手に持っていた小さなすずらんの花を、そっと彼女の足元に置いた。

「驚かせてごめんね。……リュシエンヌ姉様。ここ、とっても静かで、いい場所だね」

 リュシエンヌはアスレイの顔をじっと見つめ、それから足元の白い花に手を伸ばした。

 彼女の小さな唇が、ほんの少しだけ、言葉にならない微笑みの形に動いたのを、アスレイは見逃さなかった。



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