21 白百合の告白
離宮の鎖が解かれる。しかし、それは自由を意味するものではなかった。
王宮の「大審問の間」。そこは、静謐で残酷な空間であった。
玉座に座るエドワード王の左右。そこには、第一妃クレアと第三妃サンドラが、まるで冷徹な双神のように鎮座していた。第二妃ミルドレッドは、クレアの隣に退屈そうに座っている。
「エレーヌおよびアスレイ。前へ」
クレアの声が響く。それは凛として、かつ底冷えのする響きだった。
アスレイは、隣に立つ母エレーヌの手を強く握った。エレーヌの指先は氷のように冷たいが、その背筋だけは、かつてないほど真っ直ぐに伸びている。
「陛下、もはや議論の余地はございませんわ」
サンドラが、手にした「本物の印章」を誇らしげに掲げ、アスレイを扇で指し示した。
「この少年は偽物。……そして、客間にいるルカ様こそが、本物の第一王子。この印章が、何よりの真実を語っております」
エドワード王は、アスレイの怯えた瞳を見つめ、苦渋に満ちた沈黙を守っている。
「……父上、お待ちください」
その時、審問の間に、5人の足音が響き渡った。
エリザベス、シレーネ、グウェンドリン、フレア。そして、最後尾にリュシエンヌを伴った五人の姉姫たちが、王の前に一列に並び立った。
「あなたたち、これは審問の場ですよ」
サンドラの制止を、エリザベスが剣の鞘を鳴らして遮った。
「父上。私たちは、この『断罪』に異議を申し立てます」
「あら、エリザベス。証拠もなしに感情で動くのは、騎士として恥ずべきことよ?」
サンドラが嘲笑を浮かべる。だが、次女シレーネがその嘲笑を、さらに鋭い笑みで切り返した。
「『証拠』なら、今、カインが持ってまいりますわ。……母上、貴女が『拾った』とされるあの少年。それがなぜ、貴女の手元に届いたのか……その『毒の出所』、ご存知かしら?」
審問の間の扉が、勢いよく開け放たれた。
砂埃にまみれ、瞳に烈火を宿したカインが、一通の汚れた書状を高く掲げて突き進んでくる。
「陛下! こちらをご覧ください!」
カインはアスレイの前に跪き、一度だけ彼を安心させるように力強く頷いた。
「ルカという少年は、エレーヌ様のご実家の伯爵家の血を継ぐものであることには間違いありません。ですが! 彼は王子ではない。……そして、アスレイ様を『偽物』と呼ぶために、この計画の糸を引いた者が、この場におります!」
カインの指先が、王座の隣に座る一人の女性を指し示した。
「――第一妃、クレア様。貴女がルカを孤児院から拾い上げ、サンドラ妃に拾わせた。……すべては、エレーヌ様を、この世で最も残酷な方法で処刑するためだ!」
静まり返った広間に、アスレイの息を呑む音が響いた。
第一妃クレアは、隠しきれぬ殺意を瞳に宿し、ゆっくりと、しかし美しく微笑んだ。
「……あら。……証拠は、あるのかしら?」
カインが叩きつけたのは、一冊の分厚い台帳だった。
「陛下! これがルカの育った孤児院に保管されていた公式の養育記録です。これを見れば、サンドラ妃と第一妃様が築き上げた砂の城は崩れ去ります!」
王宮審問官が震える手で台帳を拾い上げ、エドワード王の前で開く。
「……信じられん。ルカという少年の入園記録、および寄付の受領書は『十年前』から始まっている。だが、アスレイ殿下が誕生されたのは、8年前だ。……2年の歳月は、いかなる詭弁でも埋められぬ」
審問の間に、凍りつくような衝撃が走った。
ルカが「本物の第一王子」であるならば、アスレイと同じ年でなければならない。しかし、記録にある彼の年齢はアスレイより2つも上――すなわち、エレーヌが王宮を去り、アスレイを産む前からこの世に存在していたことになる。
「サンドラ……貴様、余を欺いたのか」
エドワード王の低く、地鳴りのような声。
「ひっ……! 違います、私は、ただ……あの子が王子だと信じて……!」
「先日、匿名で貴様の隠し口座の告発があった」
サンドラがその場に崩れ落ちる。シレーネが放った「毒針」によって、彼女がルカを擁立するために動かした隠し資金の証拠も同時に突きつけられ、もはや逃げ場はなかった。
「連れて行け。沙汰があるまで、地下牢へ繋いでおけ」
王の冷酷な宣告により、かつての権勢を誇った第三妃は、兵士たちに引きずられ、絶叫と共に姿を消した。
残されたのは、泰然と座る第一妃クレア。
彼女は自分の不正が暴かれたというのに、焦る様子も、謝罪する様子もなかった。ただ、エレーヌを、狂おしいほどに澄んだ瞳で見つめていた。
「……カイン、貴方は余計なことをしたわ」
クレアがゆっくりと立ち上がる。その優雅な動作は、審問の場を彼女だけの独壇場に変えた。
「わたくしは、この『偽物の王子』が本物だなんて、一度も信じていなかった。サンドラが勝手に踊っただけよ。……わたくしが欲しかったのは、エレーヌ、貴女が絶望し、わたくしの元へ這いつくばって許しを乞う姿だけだったの」
彼女の視線には、憎しみを通り越した、執着という名の歪んだ情愛が宿っていた。
かつて親友として、誰よりも近くにいた二人。クレアにとって、エレーヌが王の寵愛を受けたことは「裏切り」ではなく、自分から「心の片割れ」を奪われたことへの耐え難い喪失感だったのだ。
「貴女を傷つけることでしか、貴女を繋ぎ止められないのなら、この国ごと壊してしまっても良かった……」
クレアの言葉は、告白のようであり、呪いのようでもあった。その背後に潜む激情に、居合わせた者たちは言葉を失う。
だが、エレーヌは真っ直ぐに彼女を見つめ返し、毅然と言い放った。
「クレア様。……私は、貴女のことも、陛下への忠誠も、一度も忘れたことはありません。ですが、私の心にある花は、貴女の檻で咲くものではないのです」
クレアは、ふっと力なく笑った。
「……負けだわ。エレーヌ。貴女には、いつだって勝てない」
第一妃クレアは、自ら王冠を脱ぎ、その場に置いた。
「陛下、処分は甘んじて受けましょう」
クレアが静かに去り、審問の間には、引き離されていた家族だけが残された。
カインはアスレイの前に跪き、初めてその小さな手を力強く握った。
「……お待たせいたしました、アスレイ様。もう、貴方を『偽物』と呼ぶ者はおりません」
アスレイは、母の手とカインの手、そして遠くから見守る姉たちの温かな視線を感じ、堪えていた涙を、ようやく流すことができた。




