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20 毒針と剣とナイフ

 離宮で、アスレイを抱きしめたエレーヌは、ルカの持つ印章の心当たりを打ち明けていた。

「……あの子、ルカが持っていたのは、兄様が将来を誓った女性に贈った印章なのよ。その方が生きていたのか……それとも、印章だけが誰かの手に渡ったのか……」

 その言葉を、壁の隙間から見つめる大きな瞳があった。五女リュシエンヌだ。

 リュシエンヌは音もなく隠し通路を抜け出し、本宮へと走った。

 彼女が向かったのは、次女シレーネの私室。そこは常に、城中の秘密を煮詰めたような、甘く危険な香煙が漂っている。

 バタン、と扉が開く。

 書類を検分していたシレーネが顔を上げた。そこには、息を切らし、泥と埃に汚れながらも、必死に何かを伝えようとするリュシエンヌが立っていた。

「……リュシー? 貴女、その格好は……」

 リュシエンヌは先程聞いた話をシレーネに伝えた。

 シレーネの細い眉が、ぴくりと跳ねる。

「……印章は本物。そしてルカの親は、エレーヌではなく、彼女の兄だと言うのね?」

 リュシエンヌは深く、一度だけ頷いた。その瞳には、恐怖を越えた強い意志が宿っている。

「……なるほど。繋がったわ」

 シレーネは立ち上がり、ゆっくりと扇を広げた。その瞳は、もはや姉の優しさではなく、冷徹な処刑人のそれへと変貌していた。

「ルカは王子ですらない。ただ、伯爵家の印章を持った、復讐のための『操り人形』」

 シレーネは窓の外、ルカが滞在する客間を冷たく見下ろした。

「リュシー、よくやったわ。ここからは、私の時間よ」

 シレーネは、机の抽斗ひきだしから一本の細い銀の針を取り出した。それは彼女が「掃除」を始める際の合図。

「母は、偽物の王子を担ぎ上げた。第一妃様は、その裏で糸を引いている。……ならば、その糸ごと、すべて焼き切ってあげましょう」

 彼女は闇に潜む密偵たちに、声に出さぬ合図を送る。

「母の隠し口座を、陛下へ『匿名』で告発しなさい。あの子を王子と認めさせるための根回し資金、その出所がどこなのか、王宮財務官に徹底的に洗わせるのよ」

 シレーネの唇が、残酷な弧を描く。

「……アスレイを泣かせた代償は、高くつくわよ?」

 王宮の闇の中で、シレーネが放った「毒針」が、獲物を仕留めるために一斉に放たれた。


 シレーネが暗部で「毒」を回し始めた頃、王宮の表舞台では、武を司る二人の姉姫が動いていた。

 客間のバルコニーで、王宮の景色をさも自分の所有物であるかのように眺めていたルカ。その背後に、重厚な金属音が響く。

「……随分と寛いでいるようだな、少年」

 振り返ったルカの視界に飛び込んできたのは、マントを翻し、腰に長剣を佩いた長女エリザベスだった。彼女の放つ威圧感は、並の兵士なら膝をつくほどに鋭い。

「エリザベス姉様……。僕に何か御用ですか?」

 ルカは即座に「怯える弟」の仮面を被り、潤んだ瞳で彼女を見上げた。しかし、エリザベスはその視線を真っ向から踏みにじる。

「貴様を弟と呼んだ覚えはない」

「……っ」

 ルカの頬が、屈辱で僅かに引きつる。

「陛下は貴様を『客』と呼んだ。だが、私にとっては、主君を欺こうとする不届き者に過ぎん。……その印章、誰から奪った?」

「奪ったなんて……! これは母様が……」

「嘘を吐くな!」

 エリザベスの一喝が、部屋の空気を震わせた。

「アスレイの瞳には、己を律しようとする高潔さがあった。だが、貴様の瞳にあるのは、他者を引きずり下ろそうとする卑屈な欲望だけだ。剣を握らずとも分かる。貴様の魂は、王族のそれではない」

 エリザベスが威圧するように一歩踏み出した、その時。

「あーあ、エリザ姉様、怖い顔しすぎだってば」

 場違いに明るい声が、天井の梁から降ってきた。

 音もなく飛び降りたのは、四女フレア。彼女は指先でナイフを弄びながら、ルカの周囲を獣のような軽やかさで回り始める。

(この女、いつから天井にいた!?)

「フレア……持ち場はどうした」

「いいじゃん。私もこの自称『新しい弟』に挨拶しに来ただけだよ」

 フレアは、ルカの至近距離でぴたりと足を止めた。その瞳は笑っているが、視線はルカの喉元にある動脈を正確に捉えている。

「ねえ、君。……その印章、エグみがないね」

「……え?」

「アスレイが昨日食べた野兎も、あの子が今まで積んできた努力も、全部泥臭くて、必死で、エグみが強かった。……でも、君は綺麗すぎる。まるで誰かに、一番格好良く見えるポーズだけを教わったみたい」

 フレアはルカの黄金の髪を指先で弾いた。

「ねぇ、アスレイに余計な真似をしないようにね。……もし、あの子の髪の毛一本でも傷ついたら、君の首、このナイフで綺麗に飾ってあげる」

 エリザベスの「正攻法の圧力」と、フレアの「予測不能な殺意」。

 挟み撃ちにされたルカの額から、初めて本物の脂汗が滲み出た。

「……僕を、殺すつもりですか? そんなことをしたら、陛下が……」

「殺しはしない」

 エリザベスが剣の柄を叩き、冷たく告げた。

「だが、覚えておけ……真実が暴かれた時、貴様に用意されるのは玉座ではなく、断頭台だ」

 姉二人が立ち去った後、ルカはガタガタと震える膝を抑え、椅子に崩れ落ちた。

 黄金の檻に入ったはずが、そこは五匹の飢えた雌獅子が潜む地獄だった。

 一方その頃、王宮の城門を、調査から帰還したカインの愛馬が潜り抜けようとしていた。その懐には、ルカの出生を証明する「孤児院の記録」が握りしめられていた。



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