第一章9 一般男性の生涯
「なんと言うかですね。私は死んだように思うのです」
現れた高年の男性はおずおずといった体でそう切り出した。年のころは六十から七十といったところのように見える。
丁寧な言葉遣いで、人あたりの良い口調だと思った。
「バスに乗っていて、事故に遭いました。運転手が病気か何かで気絶したのでしょうか。バスは山道で速度も落とさずガードレールを突き破って滑落したように思います」
この場で働く以上当然なのかもしれないが、またどうにもぞっとしない話だ。
どうも、人が死ぬ話というのは何度聞いても慣れるということがないような気がする。身につまされるというか…………思うに、死が恐ろしいのだ。
「シートベルトをしていなかった私はバスから投げ出されて、全身を激しくうち、地面に転がりました。まあ、致命傷でしたな」
死が恐ろしいから、死の話題は避けたいのだろう。それは防衛本能のようなもので、死という避けがたい破滅を直視できるほど人間の心は強くないのではないかと思う。
まあ他の人に意見を聞いたりしていないので、ひょっとしたら俺だけ特別臆病だという可能性も当然排除できないわけではあるが。
「それから少しして私の意識は途切れ、気が付けばここにいました。はて、どういうことでしょうか」
今のところ、上品な老人という印象だ。彼にしてみれば意味不明な状況のはずだが、見る限り慌てもせず恐れもせず自然に受け答えしている。
さて、なんと説明したものか。
「ここは転生の間です。ここに来るのは何か心残りがある魂。その心残りをどうにかして、別の世界に転生させることが役目の場所です。俺は転生担当の二見 理と言います。隣にいるのは地井です」
どうにかするんだよね、心残りをさ。
ちなみに地井さんは相変わらず仁王立ちしたまま瞑目している。
「……転生とは、どのような意味ですかな?」
老人が聞きなれない言葉を聞いたという風に首をかしげている。
そりゃそうか、転生って結構最近の流行りみたいなところがあるし。
「別な命として別な世界に生まれ変わるんです」
「はあ、別な命で別な世界とは。……それは、もはや別人ではないでしょうか。わざわざ今の心残りを解消する必要があるのですかな」
別人か。いや……
「記憶が残ります。この部屋に来るほど強い思いを持った魂は転生先でも前世の記憶を持ち続けます。しかし、そこに前世への強い執着があってはいけない」
全部天守さんの受け売りだけど。
「なるほど、わかりました。ああ、名乗りもせずにすみません。私は佐藤悟といいます」
普通の名前だ。いや、そう思うのは前回の転生者が「策謀の勇者ジェイソン」だったためだろうか。
「私は今、魂だけの状態? なのですかな。よくわかりませんが」
この状況が気になって仕方ないようで、次から次へと質問してくる佐藤悟さん。
「この部屋はどういうところなのですかな」
「あなたはここで働かれている?」
「この置物はいったい何ですかな」
「etc…etc...」
それからも佐藤さんが質問し、俺が答えるということを何回か繰り返し――
「心残り、とはなんですかな」
笑
「ああ、心残りと言う言葉の意味がわからないわけではありませんよ。なんと言えばいいのですかね……。心残りに心当たりがないんです」
……質問が多かったせいで若干投げやりになっていたかもしれない。
失礼した。ここに来た魂の執着を解放するには魂のことをよく知る必要がある。
経験もない新米の俺には一生懸命頑張るくらいしか武器と呼べるものがないのだから、せめて全力は尽くさなければならないだろう。
「わかりました」
老人は心残りが不明とのこと。
そうは言っても、この転生の間に来たからには何かしらの執着がある……はず。
どうすればそれを顕在化させることができるだろうかと、この二日間の社会人経験を絞って濾して考えて。最終的に俺はこう問うことにした。
「……佐藤さん。あなたの人生について教えてくれませんか?」
まずは佐藤悟という人間をより深く知る努力をしなければならないだろう。
知った上で怪しい部分を……こう、しらみ潰ししていこう。
あなたの人生ローラー作戦だ。
少し不安になって地井さんの方をチラリと見てみるが、やはり腕を組み瞑目したままだった。
大仏かな?
***
「……私は日本の地方都市の生まれです」
転生者佐藤さんは少しばかり逡巡していたようだったが、こちらがじっと待っていると、おずおずと口を開いた。
「特筆することのない幼少期でした。小中高と家の近くの公立校に通い、大学はそれなりに勉強して近くの国公立に入りました。特段部活や習い事で賞をもらったりすることもなかったので、普通といって差し支えないと思います」
とか言って実は近くの国公立が東大でした、とかいうオチですか? と聞いてみたいような気がした。
違うと言われたら馬鹿みたいなので聞かないけどね。
「就職先は大企業というわけではないですがそれなりに給料のよい会社でした。残業は結構多かったですがブラックというほどでもなく、ほどほどの会社でした」
給料が良くてブラックじゃないなら良いのではないかと思うのは、俺が社会人一年目だからですかね。
「実際悪くない会社でしたな。今にして思えば会社も会社なりに私のことを大事にしてくれていたのだなと……」
佐藤さんは僅かに生えている顎髭を撫でながら、遠くを見つめてそう呟く。
今のところ特に気にかかるところもない。自分で言っている通り普通の、いや中の上くらいのサラリーマンといった感じだ。
普通か。
「三十代になると、周りから早く結婚しろとせっつかれるようになったので、お見合いをして結婚しました」
あっさりかつ順風満帆では?
「心映えのよい女性でした。柔らかな春にそよぐ風のような人で、私には勿体無いようなあたたかい女性でしたな」
佐藤さんの表情や声色から奥さんのことを愛していたことがよく伝わってくる。
もしここに明槻さんがいたら喜んだのだろうと何となく思った。
「子供は二人。そうですね……子育ては難しかった。うまくいったことも、いかなかったこともありましたな」
なんか深そうだという浅い感想を覚えた。あわれ彼女のいない新入社員が蓄えた経験では、残念ながら言葉になるものなどなかったというわけである。
「それから時間が経って子供たちは巣立ち、ようやく私も定年退職。さて老後の趣味でも探しますかねなんて思っていたら、これですわな」
佐藤さんはやれやれといった様子で首をすくめた。
おそらく一通り彼の人生について聞いたのだろうが、内容にしろ語り口にしろ悔いや心残りといったものは感じられない。
はて、どうしたものか。
俺がしばらくうんうん唸っていると、佐藤さんがさも今思い出したといった風に呟いた。
「……そういえば、死の寸前に思ったことがありました」
俺はうんうん唸るのをやめた。
「走馬灯、というやつですかな。薄れ行く意識の中で思考だけはやけに鮮明になっていたように思います。そんな状態で数分か、数十分か、私は考え続けました。……そして思ったのです」
佐藤さんはいつの間にか閉じていた瞼を薄く開いた。
「私の人生は平凡に過ぎなかった、と」
平凡。
「話を聞く限り、充実した生涯を送られていたように思うのですが」
そうではなかったのだろうか。
「ええ。自慢のように聞こえるかもしれませんが、世間一般でいう幸福な人生と照らし合わせても、それほど外れていないのではないかと思います」
「では……」
佐藤さんはそこで俺のことをじっと見つめてきた。
重ねてきた年月の重みがそこにあるような気がして、少しばかり気圧されそうになる。
「しかしながら、世間一般で言われている“幸せ”とは、本当に私の幸せだったのでしょうか」




