5「アレン、キミは何者なんだろうね?」
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エステルと別れた俺は案内された迎賓館の一室のベッドに腰掛け、ぼんやりと高すぎる天井を見上げていた。王都に来てから見上げてばかりだ。
昼間、エステルの前でカップを倒してしまったときのことをずっと考えていた。
疑念を持たれてしまっただろうか。魔王討伐の旅であれだけ傷ついて、それでも前に進んだ彼女にこのことを知られたくなかった。
エステルの腕が斬られたあのとき、治すと決めたのは俺だ。感謝をして欲しいわけでも同情して欲しいわけでもない。そんなものはいらない。
窓の外を見てみると、夜の街並みに灯りが揺れていた。灯りは村よりずっと多いのに星はずっと少なく見えた。
このままでは眠れそうにない。俺は部屋から出た。
迎賓館の廊下は夜でも仄かに明るかった。壁の灯が一定の間隔で淡く輝いている。
「ん?」
廊下の先、扉がわずかに開いていて明かりが漏れていた。
たしか、あそこは書庫があると言っていた。
誰かいるのだろうか。掃除……にしては時間が遅すぎるか。
中を覗いてみるとそこまで広いわけではないが書架が並んでいた。
そんな部屋の真ん中、小柄な人影が長椅子に腰かけ本を広げていた。
その姿を見た途端、エステルと再会したときと同じものが胸に込み上げてくる。
俺の気配に気づいたのか人影は顔を上げると温かな微笑みを浮かべて、
「やあ、アレン。久方ぶりだね、待っていたよ」
「久しぶりだな。リーシャ」
書庫にいたのは賢者と呼ばれた人物、リーシャだった。
背は俺の肩ほどしかなく、顔立ちには少女のあどけなさが残っている。けれど魔法使いとしては、今まで見てきた人間の中で圧倒的に秀でていた。
初めて出会った日からリーシャは俺が欲しかったものをだいたい持っていた。
炎も、氷も、風も、支援も、おまけに治癒魔法さえも使いこなす。
幼い頃の俺が絵本の中で探していた正義の魔法使い。それはたぶん彼女のような顔をしているのだろう。
「そのうち来ると思っていたよ。キミなら眠れない夜は書庫を探すと思った」
「部屋はどうも落ち着かなくてな」
「キミは安宿のほうがぐっすり眠れるタイプだからね」
「まぁな」
「とりあえず座りなよ。ちょうどキミに聞きたいことがあったんだ」
言われるまま中に入ると古い紙と本棚の木が混ざりあった匂いがした。「聞きたいこと」という言葉に引っかかりつつも、俺は向かいの椅子に腰を下ろした。
俺が着席したのを見るとリーシャはそっと本を閉じた。
頬杖をつき昔を懐かしむような様子で言った。
「元気にしてたかい?」
「ああ」
返事をすると、確認するように俺に視線を走らせるリーシャ。
彼女の声は記憶のものより柔らかかった。なのに好奇心と疑念が交じっているような、探られているような嫌な感覚があった。それを再会の喜びのせいだと俺は思うことにした。
「もう来ていたんだな」
「エステルからキミが来たと聞いてね。ボクは王都にいるからね、迎賓館までは歩けばあっという間さ」
問いかけるとリーシャは視線を戻し、目を合わせてくれる。
「今はなにをしているんだ?」
「王都の機関で魔法研究をしているよ。けど、どうにも燃えない」
「あんなに魔法好きのお前が?」
「思えばキミとセラと三人で夜な夜な魔法談義しているときが、一番充実していたよ」
「ばあさんみたいなこと言うな。一番若いだろ」
リーシャは無邪気な笑みを浮かべた。
あの頃、リーシャと俺、そして聖女と呼ばれたセラはよく日が昇るまで魔法の話をしていた。俺が書きためた拙い魔法を三人で覗き込んでは笑う。
実用的な魔法以外にも「濡れた髪を乾かすために適切な風の魔法」なんてものまで考えていた。リーシャは「必要ない」と鼻で笑い、セラは「旅には必要だ」と真剣な顔で訴えた。
海に入ったあとに使ったら、ただ乾かしただけのせいでみんな塩まみれになったオチまでついている。魔法を発動したリーシャが天を仰いで、セラが笑って、それを見た全員で笑いあったことまで覚えていた。
あの時間が好きだった。
回復以外の魔法を使えない俺の言葉を、魔法の才に溢れた二人がまじめに聞いてくれたあの時間が。たぶん俺は治すだけではなく、考える仲間として扱われることにも飢えていたのだろう。
セラが俺の意見を求め俺が応える。たいした答えでなくても三人で笑う。
あの中にいるとき、俺はたしかに英雄譚の中の一人だった。
「キミはなにをしているんだい」
「田舎で子供の擦り傷を治したり」
「『史上最高の回復術師』と呼ばれたわりにはずいぶんと慎ましやかだ」
「かもな」
そう言って視線が交わって笑いあう。ひとつ会話を重ねるたびに、懐かしさが止めどなく湧き出てくる。
話題が一段落したところでふと、リーシャが背を預け宙を見つめながらつぶやいた。
「しかし、キミに会うまで、ボクには分からないことはないと思っていたよ」
「羨ましいくらい優秀だしな、お前」
俺には爆炎も、氷柱も、暴風もなかった。彼女にはその全部があった。そのうえ、俺の専門であるはずの回復魔法まで彼女は使う。
そんな彼女が俺を「分からない」と言う。その言葉が俺の心をくすぐった。
「まあね」
誇らしげに笑うリーシャ。旅の中でも何度もこの顔を見た。俺に褒められるのが嬉しいかのように笑うのだ。
「ねえ、アレン」
閉じた本の表紙を撫でたかと思うと突然、リーシャの顔から柔らかさが消えた。
「ボクはこの三年、ずっとキミについて考えていた。正確にはキミの『回復魔法』についてだ。アレン——キミは何者なんだろうね」
「なんだ、突然?」
「エステルには会ったかい?」
「え……あ、ああ」
いきなり話題が切り替わった。話の意図がまったく掴めない。
「この三年、ボクは回復魔法の研究をしていた」
「お前、専門は攻撃系だろ」
「そうだね。だから最初はキミへの劣等感だった」
「嫌な研究動機だな」
俺は笑って見せるが、リーシャの顔は真剣なままだ。
「でも、調べれば調べるほど分からなくなった」
「……なにが」
「どう解釈してもキミの魔法は、現代の回復魔法としては説明がつかない領域にあるという結論になる」
「…………」
咄嗟に膝の上で俺は右手を握った。彼女の目がそこを見ていないことを俺は祈った。机の下なのだから見えているはずがないのに。
「最初の一年は単に悔しかった。二年目は再現しようとした。三年目で再現できない理由を探した。けれど謎のままだ」
俺には回復魔法の適性が本当にあった。子供の擦り傷も、年寄りの腰も、たいていは指先ひとつで足りる。
リーシャのように魔法使いとして万能ではないが、こと傷を治すことにかけては、誰にも負けない自負があった。それは嘘ではない。
——だからこそ、なのかもしれない。
ちゃんと治せる。現にこうして治してきた。
その手応えがあるぶん、その先にあるはずのなにかを確かめずに済んでしまう。
考えかけて、いつものように途中でやめた。
霧の奥へ手を伸ばすのは、明日でもいい。
毎日、そう思った。
「エステルに会ったんだったね」
「ああ……」
「どうだった?」
「どうって……普通に元気そうだったな。髪を伸ばしていたのは驚いた——」
「そう元気だ。それが……ボクにはずっと分からない」
「……なにが言いたい」
問い返してもリーシャはすぐには答えなかった。
書庫の灯りを映して揺れる瞳が、ただまっすぐに俺を見据えている。
その瞳には責める色も、疑う色もない。
あるのはたぶん、純粋な問いだけ。それが一番、こわかった。
「北の山脈で一度、エステルは死んだ。もちろんこれは『勇者として』の話だよ。魔王軍の幹部につけられた傷。普通なら動くようになるだけでも奇跡だ。また剣を振れるようになるなんてありえない。それがこの三年でボクの出した結論だ」
「……だから勇者の仲間に選ばれたんだろ」
「確かに。そういう見方もできるね——一応は。まあ、一度だけなら奇跡で片づけてもよかった」
俺は視線を逸らした。合わせていると、彼女に全てを見透かされてしまいそうで。
「ボクはキミを疑っているわけじゃないよ。仲間だからね、もちろん信じているさ。ただ仲間だからこそ、分からないままにはできない」
信じている。
仲間だと思っている。
優しい言葉だ。
優しすぎて刃のようだった。
俺は笑おうとした。昔のように、なんでもないふうに、肩を竦めて笑おうとした。けれど頬がうまく動いてくれなかった。
俺が固まっていると、ふっと張り詰めていた糸が切れるような気配がした。
「ま、今日はここまでにしておくよ。別にキミを尋問したいわけじゃないからね」
リーシャは話は終わった、とでもいうようにまた本を開きページを繰り始める。
「……ああ」
かろうじて言えたのはそれだけ。その場に残る気分にはなれなかった俺は立ち上がり書庫を出た。それ以上はなにも訊かなかった。
廊下の灯は来たときと同じ顔で、ただ等間隔に光っている。
その光の下を歩きながら、背中で彼女の声がまだ問うていた。
——キミは何者なんだろうね。




