4「再開と疑念」
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馬車を乗り継いで四日。王都にたどり着いた俺は、城門前で白い石壁を見上げていた。王都をぐるりと囲むようにそびえ立つ城壁は久しぶりに見てもやはり高い。
七年前——十六のとき初めて王都に来た俺も、こうして見上げていた。見上げすぎて首が痛くなったことまで今も覚えている。
あの頃の王都はどこか張り詰めていた。旅人より兵士の方が目立ち、下を向いている人間も珍しくなかった。いまは違う。街道を絶えず荷車と人が行き交っている。
街のほうから商人たちが声を張りあげるのがここまで聞こえてくる。門の向こうで親に手を引かれた子どもが、屋台の焼き菓子を指さしている姿が見えた。
世界は本当に息を吹き返しているのだ。そう思っただけで肩の力が抜けていく。
しかし、どうしたものか。
エステルからの返事を待たずに来てしまった。「行きます」とだけ書いたのだから、返事を待つもなにもないのだが。
どうやって彼女と落ち合えばいいのだろう。ひとまず中に入って式典の受付なりを探す。もしくは城まで行ったら入れてもらえたりしないだろうか。一応、王様とだって顔見知りではあるわけだし。
そんなことを考えながら入場手続きの列に並んだ。
順番がくると、名乗る前に衛兵の背筋が伸びた。その目がただの旅人を見るものから、肖像画の中の誰かを見るように変わる。その変化がちょっと苦手だった。
「申し訳ございません。こちらへお越しいただけますでしょうか」
「……ああ」
そう言われると何もしていなくても、何かまずいことでもしただろうか、そんな気持ちになる。
俺は詰め所の奥にある部屋に通された。簡素ながら清潔な部屋。進められるまま椅子に腰を下ろすと、茶まで出された。扱いが丁寧すぎて、かえって落ち着かない。
「少々お待ちください」
そう言われ、一人残された俺がしばらくそわそわしていると、扉が開いた。
「お待ちしておりました、アレン様」
入ってきたのは王城勤めらしい文官。胸元に王国の紋章があしらわれていた。知った顔だ。三年前に城で会った覚えがあった。
「お久しぶりです」
俺は立ち上がって、挨拶をする。
「覚えていてくださり、光栄です」
「もちろんです」
「エステル様よりアレン様が到着され次第、すぐに知らせるよう申しつかっております」
「……そうですか」
「こちらからご案内いたします」
部屋よりさらに奥の扉へ案内される。扉の先には長い通路が伸びていた。
「ここは?」
「裏道です。エステル様が街中で目立つのを嫌がるだろうからこちらからご案内するようにと」
どうやら考えが足りなかったのは俺だけらしい。
人の多い表通りとは違って城壁内の通路は静かで、窓から差し込む陽が床に伸びていた。
そのまま城壁を抜け、王城内の一室まで案内されたのだった。
「こちらでお待ちください」
通されたのは、応接室のような整えられた部屋だった。ソファに腰を掛けると、給仕が紅茶を出してくれた。
正直、落ち着かない。三年前の式典のときもそうだった。俺がもともと田舎の出だからだろうか、こういう扱いはどうも性に合わない。
またしばらくそわそわしていると、ノックの音がして、
「久しぶり、アレン」
懐かしい。嬉しい。姿を見た瞬間、思いが胸に湧き出てきた。俺は立ち上がって彼女に歩み寄る。入室してきたのはエステルだった。
三年前、別れたときの彼女はどこか少女らしさを残していた。けれど今、目の前にいるエステルは少し違っていた。
背筋が伸びていて、表情も落ち着いている。赤い髪は肩より下まで伸び、襟元に王国の紋章があしらわれた外套を羽織っていた。
凛々しい。そう思って見ていると、彼女が不安そうに笑った。
「……そんなに見られると、緊張するんだけど」
「ああ悪い。髪、伸ばしたんだな」
「うん。変……かな」
「いいや。似合ってる」
エステルはほっとしたように笑った。
「よかった。少し勇者っぽくなくなったでしょ」
「勇者っぽさって、髪の長さで決まるのか」
「公の場ではそう言われるよ。昔の方が勇ましかった、とか」
「勝手なものだな」
「本当に」
笑い合う。思っていたより自然に笑えた。同時にエステルの視線が一瞬だけ俺の手に落ちた気がしたが、すぐに顔へ戻ったので気づかないふりをした。
「ごめんね。王都まで来てもらって」
「いいや、勇者様はお忙しいからな」
俺が肩をすくめて見せると、エステルが頬を膨らませた。
その顔は昔とほとんど変わっていなかった。
「やめてよそういうの。アレンに勇者様って呼ばれると、なんだかむずむずする」
「立ち話もなんだから」とエステルは席を勧めて、俺たちは向かい合って座った。
給仕がエステルにもカップを差し出し、仕事が終わると一礼して退出していく。エステルはそれに慣れたように応対していた。
おお。田舎の出だと言っていて、格式張った空間は緊張すると言っていたのに成長したな、なんて思っているとエステルはカップに口をつけ、一息ついてから切り出した。
「アレンは今、何をしているの?」
「田舎で医者の真似ごと」
「似合うね」
「褒めてるのか、それ」
「もちろん。怪我した子供とか、お年寄りとか、放っておけないでしょ?」
「まあ……そうだな」
俺が認めると、エステルは柔らかく笑った。昔からそうだ。彼女は俺たちのそういう言葉にしていない性格のようなところまで当たり前のように見ている。
「みんなも会いたがってたよ」
「連絡、取ってるのか?」
「うん、たまに王都に集まることもあるから。まあ誰かさんは田舎に引っ込むし、エルザはどこにいるかいまいち分からないけど」
拗ねた調子で言うエステル。
剣聖エルザ。剣に愛され、それ以上に剣を愛した人物。剣の技量だけで言えば、横に並ぶ人間はいないだろう。
そういえば三年前に王都で別れるとき、「魔法を斬れるようになりたいから旅に出る」とか言っていたな。剣で魔法は斬れないだろ、と思ったが彼女の目は本気だった。
「あいつらしいな」
「アレンもね」
「かもな」
懐かしさが胸に広がると同時に、右腕にわずかにしびれが奔った気がした。
「そうだ」
違和感をごまかすように俺はカバンを引き寄せた。
「村の子供から預かってきたんだ。勇者に渡してくれって」
「私に?」
中から紙を取り出す。村でエマから預かった絵だ。
エステルは両手で受け取り、そっと広げた。
「その子、勇者役が好きなんだ。君によろしくと言っていた」
「そっか。上手だね」
彼女はしばらく慈愛のような微笑みを湛えたまま絵を見つめて、
「街でね、子供たちが勇者ごっこをしているんだよ」
やがて絵を見つめたまま、愛おしそうにつぶやいた。
「ああ。うちの村では魔王役の取り合いをしていた」
「魔王役を?」
「強そうだし、勇者と戦えるって意外と人気だ」
「平和だね」
「だな」
平和。その言葉は今でも少し重い。俺たちの間に静寂が流れた。嫌な沈黙というより、平和を噛みしめるような。俺は自然にカップに右手を伸ばした。
——そのときだった。
ガシャン。
カップが傾き注がれた紅茶が机の上にこぼれた。カップの取っ手を掴み損ねてしまった。
「悪い。掴み損ねた」
俺が慌てて左手で布巾を取って机を拭いていると、膝の上に置いた右腕に視線を感じた。
「大丈夫? アレン」
「ああ。少し寝不足で」
「また朝まで魔法の本でも読んでたんでしょ」
エステルは冗談めかして笑った。だから俺も冗談めかして笑い返した。
「昔から変わらないんだから。それ以上魔法を使えるようになってどうするの?」
「いいだろ趣味なんだから。回復魔法しか使えないからせめて本で楽しむくらい」
そう返すと彼女は笑った。笑ってくれた。けれど視線だけは俺の右腕から離れていなかった。
「……右手、どうかしたの?」
「なにが」
「さっきから、左手ばかり使ってる」
「なんともない。ほらこの通り」
俺は右手を持ち上げ、握って開いて見せた。一瞬の違和感があったが、見た目上は問題なく動いているように見えるはずだ。
「な?」
「……うん」
エステルは納得しきっていない様子でうなずいた。
「本当に、無理してない?」
「してない」
「アレンの『してない』は信用できない」
「ひどいな」
「旅の間、何度も聞いたかわからないし」
言い返せなかった。エステルは絵を丁寧に畳み、胸元に抱えた。
「迎賓館を手配してあるの。今日はそこまで案内するね。長旅で疲れたでしょ」
「ああ。助かる」
「式典までは少し時間があるから、まずは休んで。みんなも近々到着するから」
「それは待ち遠しいな」
俺は笑ってから立ち上がる。カバンを持とうとして、また左手を伸ばした。
エステルがそれを見ていた。俺がまた左手を使っていることを気づいていないふりをしてくれている。そう分かった。
午後の陽が差し込む王城の廊下を二人で並んで歩いた。
迎賓館につくまでとなりを歩くエステルは口を開かなかった。
俺も右腕を揺らしながら何も言わずに歩いた。




