3「勇者ごっこと旅立ち」
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手紙を出してから数日後、俺は村を回った。王都に出向くことを知らせるために。
しばらく診療所を空けること。常備薬と紹介状を村長に預けておくこと。
急ぎの病人が出たら、東の街の薬師に診てもらうこと。
どうしても魔法での治療が必要なら、神殿所属の回復術師へ紹介状を出すこと。
一軒ずつ伝えていくと村人たちは驚き、心配し、それから嬉しそうな顔をした。
「先生、二週間もいないのかい? そりゃさみしいね」
先日野菜をくれた農婦——マーサさんは眉を下げた。
「いい機会なので、仲間に会ってこようかと」
「勇者様たちも先生に会うの楽しみにしているさ」
そう言いながら包んだ干し肉と焼き菓子をどんどん俺のカバンへ詰めていく。
断っても無駄だと、俺は礼を言ってカバンを閉じようと右手を伸ばす。しびれや違和感が来ることを想像したが、腕はスムーズに動いた。
まだ大丈夫だ。
最初の頃は無理をした反動だと思った。実際そう考える方が自然で、強い魔法を使えば反動がくる。魔法を使う者なら誰でも知っていることだ。
けど明らかに俺の力量を超えた傷を治すことができた。どう考えてもおかしいことはわかっていた。
見ようと思えば見える。けれど見ないままでも歩ける。俺はずっとそうしてきた。
「先生?」
黙り込んだ俺の顔をマーサさんが覗き込んでいた。
「やっぱり、腕の具合が悪いんじゃないのかい」
「少し疲れが出ているだけです」
「それ、この前も言ってたよ」
彼女の声は叱るというより心配に近かった。
「気をつけます」
俺がそう答えると、マーサさんはまだ納得していない顔でため息をついた。
気をつけます。便利な言葉ではある。嘘ともならない。聞いた人だけが少し安心できる。俺はカバンを担ぎ直し、礼をして家を出た。
「あ、先生! この前はありがとう! お礼に一緒に勇者ごっこしよ!」
広場の端に置かれたベンチで一休みしていたら、子どもたちが声をかけてきた。
傷を治してあげた少年——ルカだった。
木剣を持ったまま寄ってくる。その後ろで前回は魔王のお面をつけていた女の子が、今日は勇者のお面を持っていた。
「こらっ! なに言ってるの。先生は明日から旅なんだから」
近くにいた母親が慌てて止める。
「構いませんよ。少しだけなら」
「先生、無理しなくていいんですよ」
「大丈夫です。見ているだけですから」
俺がそう言うと、ルカはぱっと顔を明るくした。
「じゃあ、先生は回復術師ね!」
「わかった」
女の子——エマが、木剣を胸に抱えながら尋ねてくる。
「先生、勇者様にはなんて呼ばれていたの?」
「アレンだよ」
言った途端、エステルが俺を呼ぶ声が頭の中に蘇る。彼女の豊かな表情に合わせて、声音も豊かに変わる。
「じゃあ、わたしもそう呼ぶ!」
「それは少し困るかな」
「なんで?」
「恥ずかしい……かな」
俺が頬を掻いていると、ルカが得意げに言った。
「じゃあ俺が剣聖やる! エマが勇者で、先生が回復術師!」
「今日はわたしが勇者って決まってるの!」
「だからそう言ってんだろ!」
二人は言い合いながら、すぐに陣形を組み始めた。この前よりさらに人数が増えている。それぞれが自分の役のお面をつけ、広がっていく。
俺は勇者側、その最後尾。かつての定位置だった場所に立つ。
「魔王、覚悟!」
エマが木剣を構え駆け出していく。エステルもああやって飛び出しては「盾より前に出るな!」と何度も言われていた。
ルカが大げさに剣を振った。魔王役の子も、大げさなくらいに効いたふりをする。賢者役の子が枝を杖にして、呪文らしきものを叫ぶ。
「くっ……手強いっ」
魔王の攻撃を受けたらしいエマがひざをつく。君たち今、相当押し込んでなかったか、と俺は内心でツッコんでしまう。
旅をするうち、後ろから戦況を見るのが癖になっていた。それが出てしまったのかもしれない。
そういえば俺も昔は、正義の魔法使いごっこをよくしていた。そんなことを思い出していると、
「勇者様が怪我をした!」
誰かがそう叫んだ。
「分かった」
俺は返事をして、膝をついてエマの差し出した手を見る。もちろん本当に怪我などはしていない。土がついているだけだ。
「これは……大変だ」
少し深刻そうな声を出す。
「治る?」
「すぐ治るよ」
左手をかざして淡い光をほんの少しだけ灯すと、近くにいた子どもたちが歓声を上げた。
「すげえ!」
「先生、やっぱり本物だ!」
「昔はね。ほら、治ったよ」
エマは光の消えた自分の手を見つめて、それから真剣な顔で言った。
「先生がいたから、勇者様は勝てたんだね」
「…………」
なんと答えていいのかわからなかった。子どもの言うことだし深い意味はないのかもしれない。なら「そうかもね」と言って笑えばいい。
そう思ったのにできなかった。
「だって、怪我しても治してくれるんでしょ?」
「治せる怪我ならね」
「じゃあ勝てるよ!」
子どもの理屈はまっすぐだった。俺も、昔はそう思っていたのかもしれない。傷は治せる。治せるならまだ進める。まだ進めるなら勝てる。たしかにその通りだった。
◇ ◇ ◇
「先生、これ!」
遊びが一区切りついた頃、エマが家の方へ走っていってすぐに戻ってきた。手に一枚の紙を持っている。
「勇者様に渡して!」
「勇者に?」
「うん。先生が会うんでしょ?」
手渡された紙には絵が描かれていた。
真ん中で赤髪の少女が剣を掲げている。これは勇者だろうか。周りにいるみんなも笑っていて、角の生えた黒く大きい塊がその足元で倒れていた。魔王だろうか。
「上手だね」
「先生もちょっと描いた」
「ちょっと?」
「だって先生、後ろにいるから」
エマに悪気はなかった。だから俺は笑った。
「うん。後ろにいたよ」
後ろにいて、ずっと見ていた。彼女たちの背中を、傷を、血を。そして自分が必要とされる瞬間を。
「必ず渡すよ」
「絶対だよ!」
絵を折らないようにカバンへ入れる。その時また、右手の動きが少し遅れた気がした。
ルカが首を傾げる。
「先生、右手痛いの?」
「少し寝違えただけだよ」
「? 手って寝違えるの?」
「たまにね」
ルカは納得したような、していないような顔をした。けれどすぐに、エマに木剣で肩を叩かれると走っていった。広場にまた木剣の音が響いていく。
◇ ◇ ◇
出発の朝。村近くにある馬車の停留所には多くの人が集まっていた。
「先生、これも持っていって」
「いや、もう入りませんから……」
「じゃあ膝に抱えていきな」
「馬車で迷惑になります」
俺が言うと、なんでもないことなのに笑い声が起きる。村人たちは楽しそうに笑いあっていた。
荷物は最初の予定よりずっと増えていた。干し肉、焼き菓子、薬草茶、包帯、瓶詰めの果物。旅の物資というには多すぎる。
馬車の御者が苦笑しながら荷台に空きを作ってくれる。
「人気者だな」
「ありがたいことです」
村人の集まりの中にはルカとエマもいた。二人は並んで立ち、なぜかひどく真面目な顔をしている。
「先生」
「うん?」
「勇者様によろしくね」
「伝えておくよ」
「あと、先生もちゃんと帰ってきて」
「もちろん」
その言葉は自然に出た。俺はこの村に帰ってくる。それは嘘ではない。
馬車に乗り込むと木の座席は硬く、車輪が動き出す前から腰に響いた。
御者が手綱を鳴らしゆっくりと馬車が動き出すと、村人たちが手を振る。俺も左手を振り返し応えた。
「行ってきます」
声が届いたかは分からない。けれど、村人たちはいつまでも手を振っていた。
村が遠ざかっていく。石造りの家々が小さくなり、やがて丘の向こうに隠れた。
俺は膝のカバンに手を置く。中には子どもたちの絵が入っている。
右手を見つめて握る。ぼーっとしているときに名前を呼ばれたように、一つ間を置いて指が動いた。。まだ動く。だから、大丈夫だ。
◇ ◇ ◇
王都。
エステル・アーデライトは、積み上がった書類の山から顔を上げた。
「アレン様からお手紙です」
補佐官が差し出した封筒を見た瞬間、彼女の表情が変わった。公務中の勇者ではなく、一人の少女の顔になる。
「ありがとう」
エステルは丁寧に封を切った。
中に入っていた便箋は一枚。そこに書かれていたのは、たった一言だった。
『行きます』
エステルは息を呑んだ。
アレンが来てくれる。三年ぶりに会える。胸の奥に温かいものが広がって、思わず笑みがこぼれそうになる。
けれど、笑みは途中で止まった。便箋を両手で持ち、もう一度その文字をじっくり見つめる。
「ん?」
歪んでいる。線が震えている。封筒の宛名の文字を改めて確認する。この字は間違いなくアレンのものだ。
旅の間、アレンが頻繁に魔法の記録を書いていた姿を思い出す。それを聖女と賢者の三人で覗き込んでは、笑い合っていた。
エステルは話自体にはまるでついていけなかった。
それでも仲間が笑っている姿を、微笑みながら眺めていた。
几帳面で読みやすく、少しだけ右上がりの字。けれど便箋に書かれているのは、そのときの字ではない。殴り書きのような、まるで字を初めて書くような。
「……アレン?」
会える。その喜びのすぐとなりに冷たいものがひとつ落ちて、その文字から目を離せなかった。




