第五十七話 星の道標
それからも、ひたすら砂漠を進んだ。
朝は西へ。
昼間は休憩。
そして、夕方も西へ。
目の前を太陽が沈んでいく。
一面が燃えるように真っ赤に染まり、旅人たちの影が反対側へ、どこまでも長く伸びていく。
アルスは足を止めた。
「……ああ」
「何?」
スカラが振り向く。
「分かった」
「何が?」
「赤い砂漠って、こういうことか」
砂そのものは、昼間には白っぽく見えていた。だが今は、夕陽を受けて赤く輝いている。
「きっと、この景色を見た人が名前をつけたんだね」
スカラも振り返った。
「……そうかもしれないな」
日が落ちると、砂漠から色が消えた。
代わりに、空に光が増えていく。
一つ。
十。
百。
数えることを諦めても、まだ増えていく。
***
火を囲んでの食事は、平たいパンに干した肉、豆を煮たスープ。
昼間の暑さが嘘のように消えた夜。冷たい風が頬を撫でる。
アルスは靴を脱ぎ、砂の上に寝転んだ。裸足を砂に埋めると、表面の下にはまだ昼間の温もりが残っていた。さらさらとした砂が、足の指の間をくすぐる。
目の前には、いつの間にか空を埋め尽くしていた星々。
「……すごい!星って、こんなにたくさんあるんだな」
「昼間もある。見えないだけだ」
「そうなの!?」
「ああ」
少し離れたところで、ハキムが笑った。
「お前ら、毎日そんな話してるのか」
「大体」
「疲れないか?」
「疲れます」
「私は疲れない」
「スカラはね」
ハキムは焚き火へ枝を一本放り込んだ。火の粉が上がると、星の中へ吸い込まれていった。
「砂漠じゃな、昔から星が道なんだ」
アルスが起き上がる。
「道?」
「砂漠じゃ地面の道は消える。風が吹けば一晩だ。でも空の道は消えない」
ハキムは北を指した。
「見えるか」
「どれ?」
「ほとんど動かない星が一つある。あの二つの星を繋いだ先を見てみろ」
「北極星」
スカラが即答した。
ハキムが見る。
「知ってるのか」
「もちろん」
「じゃあ黙ってろ」
「なぜ?」
「坊主に聞いてる」
「坊主じゃない!」
アルスが空を探す。
やがて。
「あった!あれかな?」
一つの星を指す。
ハキムが頷いた。
「それが北だ」
アルスは感心した。
「すごい」
「私も知っていた」
「今はハキムさんの話」
スカラがむっとすると、ハキムが笑った。
「お前さん、相当負けず嫌いだな」
「違う」
「じゃあ何だ」
「知識を共有しているだけ」
「それを世間じゃ張り合ってるって言うんだ」
ハキムは星空を見上げた。
「昔はな、空の上から道を教えてくれるものがあったそうだ」
「人工衛星か?」
スカラが尋ねる。
「さあな。だが、そいつが黙ってから、人間はまた星を頼るようになったんだと」
ハキムは北極星を指した。
「昔の道具がどれほど賢くても、今、歩くのは俺たちだからな」
スカラは北極星を見た。
「……でも、星が見えない時は?」
ハキムが振り向いた。
「何?」
「曇っていたり、砂嵐だったり。星が見えない時は、どうやって方角を知る?」
ハキムは少し笑った。
「まず、止まる」
スカラは意外そうにした。
「止まる?」
「当てずっぽうに歩けば、それだけ水と体力を失う。それから、最後に確かだった場所を思い出す」
ハキムは砂を一握り取った。
「山でも、井戸でも、星でもいい。そこから、何が変わったかを考える」
「風向き?」
「それもある」
「砂丘の形?」
「それもな」
ハキムは砂を落とした。
「風が吹けば、砂丘は動く。昨日まで見えていた岩も、今日は砂に埋まっているかもしれん」
ハキムは遠くの岩山を指した。
「逆に、砂の下に隠れていたものが、顔を出すこともある」
スカラは顔を上げた。
白い塔で見た地図を思い出す。山の麓から、砂漠へ延びていた細い線。
「……地図に描かれたものも、今は違う姿をしているかもしれない」
ハキムは頷いた。
「俺は五十年、砂を読んできた。それでも、見落とすことはある」
「あなたでも?」
「ああ。まだ知らんことだらけだよ。だから見るんだ」
ハキムは空を見上げた。
「世界は広い。本一冊に収まるようなもんじゃない」
スカラはしばらく黙っていた。
その時、一人の子どもがスカラの隣へ座った。
「ねえ、お星様の話してるの?私も聞かせて」
「星が好きなのか?」
「うん。おじいちゃんがいるから」
「おじいちゃん?」
子どもは頷いた。
「死んだおじいちゃんは、お星様になったの」
スカラは即答した。
「違う。人間が恒星になるなんてこと――」
アルスが肘で突いた。
「痛い」
「夢!」
子どもは空を見ている。その横顔を見て、スカラは黙った。
子どもが一つの星を指した。
「あれ、おじいちゃん」
「どうしてその星?」
「私が決めたから」
スカラはしばらく星を見た。
そして。
「……そう」
否定しなかった。
ハキムが笑った。
「人はいなくなった後に、星になる」
スカラが見る。
「残された人が、迷わないための道標としてな」
スカラは北極星を見た。
「……道標」
その言葉を、静かに繰り返した。
少し離れたところで、鈴の音がした。
ちりん。
ライラが、膨らんだお腹に小さな鈴を近づけていた。
「……もうすぐだね」
スカラが尋ねた。
「誰に話している?」
ライラは少し笑った。
「……待ってくれている人に」
ちりん。
鈴がもう一度鳴った。
子どもが眠った後も、スカラは空を見ていた。
焚き火の向こうでは、ハキムが古い革袋を繕っている。
「明日も歩く。寝ておけ」
焚き火の火が小さくなる。
スカラは毛布にくるまり、もう一度だけ北の空を見る。
そこには、ほとんど動かない星があった。
誰かが迷わないための、道標。
スカラは目を閉じた。




