第五話 獣たちの狙い
スカラが周囲を見ると、暗闇の中。
ぼうっ。
青白い光が浮かび上がった。
アグレオの顔から血の気が引いた。
「まさか……」
アルスが後ずさる。
「オオカミが……?」
青白い光が、一斉に揺れた。
その奥で、何かが動く。
スカラの目が細くなった。
「二人とも、伏せろ!」
次の瞬間。
闇の中から、黒い獣が飛び出した。
一匹。
二匹。
三匹。
さらにその後ろからも、次々と獣が姿を現す。
「うわああっ!」
アルスは足元に落ちていた木の棒を掴んだ。
黒い毛並み。鋭い牙。獲物を睨む不気味な目。
どう見ても、オオカミだった。
逃げたい。
今すぐここから逃げ出したい。
それでもアルスは、震える足を踏みしめた。
両手で棒を握り、スカラの前に立ちはだかる。
「スカラさん!俺の後ろに!」
「なぜ?」
「だって……!」
アルスは迫ってくる獣を睨んだ。
「君は父さんを救ってくれた人だから!今度は俺が守る!」
「……」
スカラは、その背中を見つめた。
アルスの足は震えている。呼吸も速い。
明らかに恐怖を感じている。
それなのに、逃げない。
「来るな!」
アルスが棒を振った。
ブンッ!
空を切る。
「来るな!スカラさんに手を出したら容赦しないぞ!」
獣たちが低く唸りながら、じりじりと距離を詰めてくる。
「来るなって!」
アルスが叫ぶ。
その瞬間、一匹の獣が大きく跳ねた。
「うわっ!」
思わず後ずさる。
また一匹が前へ出る。
「く、来るな!」
さらに一歩。
また一歩。
獣が吠えるたび、アルスの足は後ろへ下がっていく。
スカラはその動きをじっと観察していた。
「……妙だな」
獣たちは、アルスばかりを見ている。
すぐそばには自分もいる。アグレオもいる。
なのに、なぜアルスだけを追い詰める?
「来るな!」
アルスが棒を振り上げた。
その瞬間、獣たちが一斉に動いた。
スカラは、はっとした。
「アルス!下がるな!」
「え!?」
「足元を見ろ!」
アルスは恐る恐る下を見た。
――何もなかった。
踵から靴一足分ほど先は、奈落。
「うわあああっ!」
悲鳴を上げた瞬間、オオカミたちが一斉に吠えた。
「……なるほど」
スカラの目が細くなる。
「そういうことか」
「な、何が!?」
スカラはアルスの体を掴むと、地面へ引き倒した。
その頭上を黒い影が飛び越えていく。
「うおおおおっ!」
横からアグレオが飛び込んできた。
太い木の棒を振り回し、オオカミの一匹を吹き飛ばす。
「子どもばっかり狙いやがって! 卑怯者が!」
「父さん!」
だが、吹き飛ばされた獣はすぐに立ち上がった。
痛みを感じた様子もない。
再びアルスへ向かってくる。
「スカラさん!こいつら、一体何なの!?」
スカラは静かに答えた。
「恐怖だ」
「……え?」
「このオオカミたちは、恐怖を感じている人間を狙うように造られている」
アルスの顔が強張った。
「造られた……?」
「旧文明の機械だ。おそらく、侵入者を排除するための警備装置だろう」
スカラはオオカミの動きを追う。
「直接殺傷するのではなく、恐怖を煽って危険な場所へ追い込む仕組みらしい」
「じゃあ……」
アルスは黒い獣を見た。
「こいつらが俺ばっかり狙うのは……俺が怖がってるから?」
「そうだ」
その一言が、胸に突き刺さった。
「俺が……怖がりだから……?」
棒を握る手が震える。
「スカラさんを守るって、言ったのに……」
「十分役に立った。おかげで行動原理が分かった」
スカラは淡々と続ける。
「恐怖を感知して追跡するなら、恐怖を感じなければいい」
「……え?」
「危険の正体は分かった。もう怖がる必要はないだろう?」
アルスは大きく息を吸った。
「そ、そうだよね……」
オオカミを見つめる。
「怖くない……怖くない……」
ドクン。
心臓が鳴った。
「こいつらは機械……ただの機械なんだ……」
ドクン。ドクン。
さっき見た、足元の奈落が頭から離れない。
落ちたら。
あそこへ落ちたら――。
「怖くない……!」
そう唱えるほど、足の震えが激しくなった。
オオカミたちの唸り声が大きくなる。
「おい、嬢ちゃん!」
アグレオが叫んだ。
「そんなこと言われたって、怖いもんは怖ぇだろうが!」
「……?」
スカラはアルスを見た。
顔は青ざめ、額から汗が噴き出している。
「危険ではないと理解しているのに?」
「頭で分かったからって、怖さが消えるわけねぇだろ!」
スカラは眉をひそめた。
「……そういうものなのか?」
だが、アルスにはその声さえ届いていなかった。
「怖い……」
一歩。
「やっぱり、怖い……」
また一歩。
「逃げたい……!」
まるで獣たちに誘導されるように、足が崖へ向かっていく。
「アルス!止まれ!」
アグレオが叫ぶ。
しかし、アルスは止まらない。
スカラは素早く周囲を見た。
オオカミの数。アルスと崖の距離。
このままでは、あと数秒で落下する。
「……なるほど」
恐怖は、知識によって簡単に消せるものではない。
本人の意思でさえ、制御できないことがある。
ならば。
「……これしかない」
スカラは右手を上げた。
袖の下で、三本の光の輪が脈打っている。
腕に青白い電気がまとわりついた。
「アルス」
「……え?」
「少し痺れるが、我慢してくれ」
その瞬間。
黒い獣がアルスへ飛びかかった。
同時に、スカラの指先から電撃が走る。
バチン!
「――っ!」
アルスの体がびくりと跳ねた。握っていた棒が手から落ち、膝が折れ、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「アルス!?」
アグレオの叫びが響く。
だが、スカラは倒れた少年を見下ろしていた。
呼吸はある。脈もある。
だけど、これなら恐怖を感じることはない。
その時。
腕の光が激しく明滅した。
三本あった輪のうち、一本がふっと消える。
「……?」
頭の奥で、何かが途切れたような感覚がした。
だが、今はそれどころではない。
標的を見失ったオオカミたちが、混乱していた。
右へ。
左へ。
互いにぶつかりながら、同じ場所をぐるぐると回っている。
「やはりな」
スカラは一匹へ近づいた。
「動作が単純すぎる」
掌を突き出す。
バチッ!
青白い閃光が走り、黒い獣が地面へ叩きつけられた。
硬い外皮が砕け、その下から金属の骨組みが覗く。
「やはり機械か」
もう一匹が背後から飛びかかる。
スカラは身を沈め、頭上を通過する牙をかわした。
振り向きざまに、その胴体へ掌を押し当てる。
「――放電」
バチィィン!
激しい火花が夜を照らし、獣が吹き飛んだ。
その瞬間、腕の輪が再び明滅した。
二本目の光が消える。
「……っ」
視界がわずかに揺れた。
さっきまで頭の奥にあった奇妙な感覚が、急速に遠ざかっていく。
一本。
最後に残った輪も、頼りなく点滅していた。
スカラは自分の腕を見た。
「通信が……切れかけている?」
また一匹、獣が飛びかかってくる。
スカラは咄嗟に身をかわした。
今度は放電しない。
できないわけではないが、何かがおかしい。
腕の輪が消えるたび、自分の中から何かが抜け落ちていくような感覚がある。
初めて経験する、不快な違和感だった。
その時。
最後の輪が、ふっと消えた。
「……?」
頭の奥にあった奇妙な感覚が、途切れた。
雨の音も、雷鳴も変わらない。
なのに、何かが急に遠ざかったような気がした。
その時。
最後の一匹が、ゆっくりとこちらを向いた。
「……?」
奇妙だった。
黒い獣はスカラだけを見ていた。
他の獣とは、明らかに動きが違う。
低く唸る。
一歩。
また一歩。
まるで、何かを確かめるように。
――私を、識別している?
何のために。
だが、その理由を考えている暇はなかった。
獣が地面を蹴った。
スカラは身を翻し、崖へ向かって走り出した。




