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第四十九話 再会

明け方の空。どこかで、鳥が鳴いた。


一声。


そして。


「誰か来たぞ!」


村の入口から声が上がった。


ミラが飛び起きる。


「どこ!?」


街道を見る。


朝日の向こうに、人影があった。


一人ではない。


十人。


二十人。


さらにその後ろには、何台もの荷車が続いている。


アルスも立ち上がった。


「……何だろう?」


荷車には、大きな布がかけられていた。先頭には、見慣れない旗。シェンクゥの印だ。


「……シェンクゥ?」


近くにいた村人が顔を強張らせた。


「また来たのか?」


「撤退したんじゃないのか!」


男たちが道へ出る。


槍を持つ者もいた。


「待て!」


ラージャの声が響いた。


「武器を下ろせ!」


だが、誰も動かない。


つい数日前まで、あの国の兵士がこの村を攻めていた。


家を壊した。畑を踏み荒らした。人を殺した。旗が変わらないだけで、昨日の光景が蘇る。


その時。


「……あ」


ミラの目が止まった。


隊列の先頭。


泥と埃にまみれた少年が歩いている。


疲れ切った顔。破れた軍服。

だが、その腰には銃ではなく、一本の金槌が下がっていた。


「……」


ミラの唇が震える。


「お兄ちゃん……?」


フォンだった。


フォンも、ミラに気づいた。


足が止まる。


何年も前に離れ離れになった妹。


ようやく見つけたと思ったら、怒鳴られた。

銃を向けた。

傷つけた。


それでも。


――今度は、ちゃんと帰ってきて。


その言葉が、ずっと胸に残っていた。


フォンはゆっくり歩み寄り、ミラの前で立ち止まる。


そして、少しだけ笑った。


「……ただいま」


ミラは答えなかった。


ただ、フォンを見ていた。


その顔。


泥だらけの服。


疲れ切った目。


首元には、半分の鳥が残っている。


「……遅い」


やっと、声が出た。


フォンが頷く。


「うん」


「遅すぎ」


「……うん」


ミラの目から、涙が落ちた。


「また、帰ってこないかと思った」


フォンは唇を噛んだ。


「……ごめん」


「謝らないでって言ったでしょ」


「……うん」


ミラは、袖の下の糸飾りを握った。


しばらくして。


「……おかえり」


小さな声だった。


フォンの顔が歪んだ。


「……ただいま」


それだけだった。


抱き合いはしなかった。


何年分もの時間が、たった一言で埋まるはずはない。


それでも、フォンはちゃんと帰ってきた。


その後ろから。


「アルス!!」


突然、聞き覚えのある声が響いた。


アルスが振り向く。


「……?」


荷車の向こうから、一人の少女が顔を出した。


少し背が伸びていた。髪も長くなっている。


だが、笑った顔は、あの頃と何も変わらなかった。


「……え?」


アルスの目が大きく開いた。


「……ヤナ?」


「うん!」


「嘘だろ……」


一歩。


また一歩。


近づく。


「本当に?」


「本当に!」


「ヤナ?」


「だからヤナだってば!」


次の瞬間。


アルスは駆け出した。


「ヤナ!!」


思い切り抱きしめる。


「ちょっ……!」


「会いたかった!」


「私も!」


笑いながら、泣いた。


コタの海。

オオカミ岩。

呪われた村。

一緒に見た月。


一年以上、離れていた。何百もの知らない景色を見てきた。


なのに。


ヤナの声を聞いた瞬間、あの南の島がすぐそばに戻ってきたようだった。


「……元気だった?」


ヤナが尋ねる。


「うん!」


「怪我は?」


「いっぱいした!」


「いっぱい!?」


「でも大丈夫!」


ヤナは呆れたように笑った。


「……全然変わってない」


「ヤナこそ!」


その時。


ぬっ。


二人の背後に、巨大な影が現れた。


「……おう」


アルスの顔が引きつった。


「……父さん?」


アグレオだった。


日に焼けた顔。太い腕。何も変わらない。


「父さん!?」


「久しぶりだな」


アルスは目を潤ませた。


「父さん……」


アグレオが近づく。


「久しぶ――」


ゴツン!


「いってぇ!!」


アルスが頭を押さえた。


「何すんだよ!」


アグレオが怒鳴る。


「何だ、その細っせぇ身体は!」


「はぁ!?」


「ちゃんと飯食ってんのか!」


「会って最初に言うことそれ!?」


ヤナもうんうんと頷いた。


「私も思った」


「ヤナまで!?」


「前より細い」


「二人してうるさいな!」


アルスは頭を抱えた。


アグレオは、そんな息子を見つめた。


少し背が伸びた。顔つきも変わった。だが、怒る時の顔は昔のままだ。


「……まったく」


アグレオが呟いた。


そして、太い腕でアルスを抱き寄せた。


「……よく生きてたな」


アルスが止まる。


「……父さん」


「心配かけやがって」


「……うん」


アルスも、父の背中へ腕を回した。


「……ただいま」


アグレオが少し笑った。


「おう」


そして。


「飯食え」


「結局それ!?」


スカラは、少し離れた場所からその光景を見ていた。


「……アグレオらしい」


その声に、ヤナが振り向く。


「スカラ!」


走ってくる。


「久しぶり!」


勢いよく抱きついた。


「うわっ」


スカラの身体が少しよろけた。


以前なら、どうすればいいか分からず、固まっていただろう。


今も、少し固まった。


けれど。


押し返さなかった。


「会いたかった!」


ヤナが言った。


スカラの腕が、ほんの少しだけ動いた。ヤナの背中へ触れる。


「……私も」


小さな声。


「会いたかった」


ヤナが顔を上げた。


「……本当?」


「嘘をついてどうする」


「ふふっ」


ヤナは笑った。


それから、スカラの髪を見る。


「髪型、変えた?」


「一時的だ」


「かわいい」


「……そうか」


ヤナは、もう一度笑った。


「何だか、ちょっと変わったね」


「……何が?」


「ううん」


ヤナは首を振った。


「何でもない」


その様子を、ミラが少し離れて見ていた。


アルスが気づく。


「ミラ!」


手招きする。


「この子がヤナ」


ヤナはすぐに頭を下げた。


「はじめまして!」


「……はじめまして」


ミラも頭を下げた。


「アルスたちがお世話になりました」


「……別に」


ミラは少し照れたように答えた。


「仕事だったし」


アルスが笑う。


「そう言いながら、最後は全然お金の話しなくなったじゃん」


「うるさい!」


ヤナが笑った。


その時。


ミラの目が、後ろの荷車へ向いた。


「……でも」


フォンを見る。


「どうして、こんなに大勢?」


フォンが笑った。


「俺がシェンクゥへ着いた時、この人たちも港に着いたんだ」


アルスの目が動く。


「……もしかして」


アグレオが鼻を鳴らした。


「お前の手紙だ」


アルスが止まった。


「……届いたの!?」


「読んだ」


「じゃあ……」


アグレオは荷車を見た。


「『何かできることがあったら力を貸してくれ』なんて書かれちゃな」


少し笑う。


「親としては、来るしかねぇだろ」


アルスは何も言えなくなった。


遠いダルカの市場で書いた、一通の手紙。


届くかどうかも分からなかった。


それが海を越えた。


父さんへ届いた。


ヤナへ届いた。


そして今。


二人は、ここにいる。


「……ありがとう」


アルスは呟いた。


アグレオが笑った。


「礼はまだ早ぇぞ」


ヤナが荷車を指した。


「食べ物を持ってきたの」


「……食べ物?」


ミラの目が大きくなる。


「うん」


ヤナが頷いた。


「半分はシェンクゥへ。残りはダルカへ届けるために」


荷車の布が外された。


中には、米。雑穀。豆。干した魚。燻製。塩漬けした野菜。そして、銀色の容器が詰まった箱。


食べ物だった。


ミラは、しばらく動かなかった。


「……これ全部?」


「全部じゃない」


アグレオが答えた。


「後ろから、まだ船も来る」


「……」


「巨大な国を、これだけで救えるとは思ってねぇ」


荷車を見る。


「でも」


ミラを見た。


「時間は稼げる」


ラージャが近づいてきた。


「……コタの人々か」


「そうだ」


アグレオが答えた。


「食料を届けに来た」


ラージャは、深く頭を下げた。


「感謝する」


だが、背後から声が上がった。


「待て!」


一人の村人だった。


「シェンクゥの兵も、一緒に来ているじゃないか!」


人々がざわめいた。


荷車の護衛には、シェンクゥの兵士も混じっている。


「また何を企んでる!」


「毒でも入ってるんじゃないのか!」


フォンの顔が強張った。


一歩前へ出る。


「違う!」


「お前もシェンクゥ兵だろ!」


「……」


フォンは何も言えなかった。


その時。


アグレオが荷車から一袋を下ろした。


「なら、俺が先に食う」


袋を開ける。


干した魚を一切れ取り出し、そのままかじった。


「……うめぇ」


アルスが呆れた。


「父さん……」


アグレオは村人を見る。


「俺たちはコタから来た」


声が響いた。


「ダルカもシェンクゥも、詳しいことは知らねぇ」


一度、息を吸う。


「でも、腹が減ってる奴がいるって聞いた」


荷車を指す。


「だから、飯を持ってきた」


村人たちは黙った。


「食うかどうかは、あんたたちが決めろ」


アグレオは袋を置いた。


最初に近づいたのは、小さな子どもだった。


「……食べてもいい?」


ヤナがしゃがみ込む。


「もちろん」


小さな手へ、食べ物を渡した。


子どもは、一口かじった。


もう一口。


「……おいしい」


母親が駆け寄り、子どもを抱きしめた。


その様子を見て。


一人。


また一人。


人々が荷車へ近づき始めた。


「こっちにも!」


「子どもからだ!」


「まだあるぞ!」


「一人分ずつ!」


食料が配られていく。


広場に人々が集まった。


誰もが黙々と食べた。


一口。


二口。


やがて。


「……うまい」


誰かが言った。


別の場所では、泣き出す人。


笑う人。


両手で椀を抱える子ども。


ミラは、その光景を見つめていた。


手には、小さな種袋。


今日食べるもの。


来年食べるもの。


ようやく、両方が揃った。


「……よかった」


声が震えた。


「本当に……」


スカラが隣へ来た。


「まだ十分ではない」


「……分かってる」


ミラは涙を拭った。


「でも」


もう一度、人々を見る。


「今日のご飯は、あるんだよ」


スカラは黙った。


そして、頷いた。


「……ああ」


その夜。

久しぶりに腹いっぱい食べたアルスは、地面へ大の字になった。


「……幸せ」


「食べてすぐ寝るな」


スカラが言った。


「今だけ」


「胃に負担がかかる」


「今だけ!」


ミラが笑った。


少し離れた場所で、フォンが金槌を磨いていた。


ミラが隣へ座る。


「……何してるの?」


「錆びてきたから」


「ふうん」


会話が途切れる。


何年分もの距離が、一日で埋まるはずはない。


ミラは、フォンの首元を見る。


半分の鳥。自分の腕にも、もう半分。


「……ねえ」


フォンが顔を上げる。


「何?」


「明日も、ここにいる?」


「……ああ」


フォンは頷いた。


「いるよ」


ミラは少し考えた。


「……そっか」


そして、膝を抱えた。


二人は並んで座っていた。


何も話さなかった。


それでも、もう街道を見つめて待つ必要はなかった。

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