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第三十五話 正しい事

どこまでも、田園地帯が続いていた。


三人になった旅。だが、空気はひどく重かった。


先頭のミラは仏頂面。その隣のスカラは無表情。後ろを歩くアルスだけが、二人を交互に見ている。


やがて、耐えきれなくなった。


「ねえ」


返事はない。


「せっかく一緒に旅するんだから、仲良くしようよ」


「私は雇われてるだけ」


ミラは前を向いたまま答えた。


「案内以外の仕事はしない。お話してほしかったら追加料金」


「ミラの言う通りだ」


スカラも頷く。


「会話は雇用条件に入っていない」


「もう!」


アルスは頭を抱えた。


「二人はよくても、俺がやりづらいの!」


ミラがちらりと振り返る。


「っていうか、二人って何なの?」


「何が?」


「アルスはスカラのお供?」


「概ね合っている」


「合ってない!」


ミラは少し考えると、にやりと笑った。


「分かった。許嫁だ」


「いいなづけ?」


スカラが説明する。


「私とアルスが、将来の結婚を約束した仲ではないかと言っている」


アルスの顔が真っ赤になった。


「違う!なんでそうなるの!?」


「そうだ」


スカラも淡々と頷いた。


「アルスには、コタにヤナという恋人がいる」


「違う!」


ミラの目が輝いた。


「へえ。恋人いるのに、別の女と旅してるんだ」


「だから違うって!」


必死なアルスを無視して、ミラは道端の木から赤い実を三つもぎ取ると、ひょいと投げる。


一つをアルス。


一つをスカラ。


残りを自分で食べようとする。


「食べたら?」


アルスは実を見た。


喉が渇いている。


だが、スカラは木を見上げた。


「それ、勝手に取っていいのか?」


「……はぁ」


ミラは大きなため息をついた。


そして。


ぽとっ。


わざと実を地面へ落とした。


拾って、袖で拭く。


「道に落ちてた物は、誰の物でもない」


かぶりついた。


「これでいい?」


アルスも実をかじる。甘くて、少し酸っぱくて、乾いた喉に染みる。


「スカラってさ」


ミラがもぐもぐしながら言った。


「正しいことばっかり言うよね」


「?」


「水を盗むな。他人の木の実を取るな。ルールを守れ」


ミラは食べかけの実を見る。


「全部、正しいけどさ」


少し間があった。


「正しいことって、お腹いっぱいの人が言うことじゃないの?」


アルスの足が止まった。


「水泥棒なんて、やっちゃいけないって私だって知ってる」


ミラの声が強くなる。


「あの時、命令を断ったら、その場でクビになってた。それでも断れって?」


スカラは黙った。


「仕事を失って、食べるものもなくなって、それでも盗むなって?」


スカラが口を開いた。


「だとしても、社会規範を――」


そこで止まった。


――理屈じゃねぇんだよ。


オオカミ岩で聞いた、アグレオの声が蘇った。


スカラはミラを見る。


昨日まで暮らしていた家を失い、今は自分たちを案内している少女。


法律も、倫理も、社会の仕組みも知っている。けれど、ミラが昨日までどんな暮らしをしていたのかは知らなかった。


「……分からない」


「え?」


「私が同じ状況なら、それでも盗まないのか」


「……分からない」


「え?」


ミラが顔を上げた。


「私が同じ状況なら、それでも盗まないのか」


スカラは少し考えた。


「経験したことがないから、分からない」


ミラは黙った。


スカラは続ける。


「ただ知らないくせに、知っているように言うべきではなかった」


「……」


「それは訂正する」


ミラはしばらくスカラを見つめた。


「……変な謝り方」


「謝ってはいない。訂正しただけだ」


「それ、普通は謝ってるっていうの」


後ろでアルスが笑った。


「スカラ、また一個勉強したね」


「うるさい」


三人は歩き出した。


***


一時間ほど歩くと、巨大な市場へ出た。


「うわぁ……!」


アルスの目が輝いた。


香辛料。果物。豆。茶。家畜。


様々な品々と、それを売り買いする声が通りを埋め尽くしている。


強烈な日差しを遮るため、頭上には色とりどりの布。


赤、青、黄色。歩くたび、三人の身体を鮮やかな影が横切った。


「そこの異国のお嬢ちゃん!」


店主が声を上げた。


金色の髪と白い肌のスカラは、どこでも目立つ。


「せっかくだ! 食べていきな!」


差し出されたのは、串に刺した肉。真っ赤な粉が、これでもかと振りかけられている。


アルスが一歩引いた。


「それ……食べ物?」


「唐辛子」


ミラが答えた。


「外国人には無理よ。やめときなさい」


そう言いながら、串を奪った。


ぱくり。


「おい!」


もぐもぐ。


「……まあまあね」


「なんだよ。異国のお嬢ちゃんに食わせようと思ったのに」


「……だそうだ」


スカラが串を奪う。


「ちょっと!」


「唐辛子に含まれるカプサイシンは発汗を促す。暑い地域で辛い物を食べるのは理にかなっている」


ぱくり。


もぐもぐ。


アルスが恐る恐る尋ねた。


「……辛い?」


「全然」


数秒後。


スカラの顔が赤くなった。


隣を見ると、ミラも汗だくだ。


「最後の一個……譲ってあげる」


「いや、ミラが食べればいい」


「私はいつでも食べられるし」


「私もだ」


真っ赤な肉を、二人で押しつけ合う。


「じゃあ、俺が食べるよ」


「「どうぞ」」


「なんで急に息ぴったりなの?」


ぱくり。


もぐもぐ。


「……」


次の瞬間。


「辛ぁぁぁぁ!!」


アルスが飛び上がった。


「何これ!!」


「大袈裟だ」


「そうよ」


「二人とも絶対我慢してたよね!?」


ミラが吹き出した。


「あんた、情けないわね」


スカラも少し笑った。


「全くだ」


そこへ店主が戻ってきた。


「あ、悪い。間違って激辛三十倍のやつ出しちまった」


三人の動きが止まった。


「水!」


「早く!」


「……水をくれ」


三人は差し出された水を一気に飲み干した。


ようやく一息つくと、ミラが口元を拭った。


「本当は、これをいっぱいのお米と一緒に食べるの」


その声が、少しだけ沈んだ。


「まあ……今は、お米なんてなかなか手に入らないけど」


スカラが市場を見渡した。


果物はある。香辛料もある。豆もある。だが、穀物を売る店が見当たらない。


「……ミラ」


「何?」


「今年の収穫は?」


ミラは黙った。


「……ほとんどない。水が来なかったから」


スカラの脳裏に、朝の田園風景が蘇った。


一面の緑。風に揺れる稲の葉。だが、よく思い返せば穂はほとんど実っていなかった。


「そうか。ダルカは、シェンクゥへの食糧輸出を止めたんじゃない」


アルスが振り向いた。


「え……?」


スカラは言った。


「送れなかったんだ」


ミラが目を見開いた。


「……当たり前でしょ」


低い声だった。


「うちの村は、ずっとシェンクゥへ売るために米を作ってきた。自分たちが食べる分まで売った」


ミラは空の米袋を見つめた。


「昔は、米以外も作ってたんだって。豆とか野菜とか。森ももっとあった」


「なぜやめた?」


「シェンクゥに売れるから」


米を売った金で鉄の農具を買い、新しい井戸を掘る。暮らしが豊かになる。だから、もっと米を作る。


そのために、森を切り田を増やす。水が足りなくなれば井戸を掘る。枯れればもっと深く掘る。


そして。


「今年、とうとう水が足りなくなった」


ミラは拳を握った。


「村同士で、水の取り合いになったの」


「……」


「ダルカだって飢えてるのに」


声が震えた。


「全部、シェンクゥのためなのに……向こうでは、私たちが嫌がらせしてることになってるの?」


誰も、悪人だったわけではない。


農民は、家族を豊かにしたかった。

ダルカは、国を豊かにしたかった。

シェンクゥも、生きるために食料を必要とした。


それだけだったのに今、二つの国は戦争を始めようとしている。


「だったら!」


アルスが顔を上げた。


「これをシェンクゥに伝えればいいじゃん!」


スカラを見る。


「わざと食べ物を止めたんじゃない。攻め込んだって米なんかない。そしたら戦争する意味ないよね?」


「……おそらく、それだけでは止まらない」


「なんで?」


「シェンクゥ王が真相を知ったとしても、食料不足は解消しない」


スカラは続けた。


「民衆はもう『ダルカが食料を止めた』と思っている。事実を告げただけでは、空腹も怒りも収まらない」


「さっきから、何の話してるの?」


ミラの声が震えていた。


「戦争って、何?」


アルスが答えた。


「シェンクゥは、ダルカへ攻め込もうとしてる」


「そんな……」


ミラはスカラを見る。


「だから止めに来た」


「止めるって、どうやって?」


スカラは市場の向こうを見た。


「事実だけでは、人間は動かない」


アルスもスカラを見る。


「だから、解決策を探す」


「解決策?」


「ダルカもシェンクゥも、奪い合わずに生きていけると信じるに足る方法だ」


「そんなこと……できるの?」


「分からない」


ミラが眉をひそめた。


「だから調べる」


スカラは、市場の向こうに広がる大地を見た。


アルスも辺りを見回した。


穀物のない店。

空になった袋。

値段を聞いて、何も買わずに立ち去る人々。


「……でもさ」


アルスが呟いた。


「俺たちが調べている間、この人たちはどうするの?」


スカラが振り向く。


「……?」


「食べ物、なくなっていくんだよね」


「ああ」


「だったら、何とかしないと」


ミラが肩をすくめた。


「簡単に言うけど、誰が助けてくれるの?」


アルスは、少し考えた。


そして。


「あっ!」


突然、顔を上げた。


「……何?」


「コタだ!」


スカラが首を傾げる。


「コタ?」


「うん!」


アルスは勢い込んで続けた。


「今年は魚も戻ってきたし、畑も元気になった。父さんたちに頼めば、何か送ってくれるかもしれない!」


「……なるほど」


スカラが頷いた。


「ただし、コタからシェンクゥへ船で渡るだけでも何日もかかる。この国まで運ぶとなれば、さらに時間がーー」


「わかってる」


スカラは、少し驚いたようにアルスを見た。


「だから、できるだけ早くお願いするんだ」


アルスは紙を取り出した。


だが。


「……あれ?」


ミラが覗き込む。


「どうしたの?」


「いや……」


アルスは筆を持ったまま止まった。


「何から書こう」


「知らないわよ!」


スカラが呆れたように息を吐いた。


「まず、宛名を書け」


「それは分かってるって!」


アルスは紙へ向かった。



ヤナ、元気?


俺もスカラも元気だよ。


新しいゴム、シェンクゥですごく役に立ってる。

送ってくれてありがとう。


それと、父さんにも伝えてほしいことがある。


今、ダルカもシェンクゥも食べ物が足りなくて大変なんだ。

もしコタで何かできることがあったら、力を貸してほしい。


俺たちも、何とかする方法を探してる。


アルス



書き終えると、もう一度読み返した。


「……よし」


ミラが首を傾げる。


「ヤナって誰?」


「コタの友達!」


スカラが横から答えた。


「アルスの恋人だ」


「スカラ!」


ミラの目が輝いた。


「へえ!さっき言ってた子?」


「違うって!」


「こんな時にもっともらしい理由つけて恋文?」


「違う!大事な手紙!」


市場で船荷を扱う商人を訪ね歩き、ようやく一人の商人が手紙を預かってくれた。


「シェンクゥの港までは届けられる。だが、その先は船次第だ」


アルスは深く頭を下げた。


「お願いします!」


「いつ届くかは分からんぞ」


「……はい」


商人は手紙を荷物の中へしまうのを、アルスは見つめる。


小さな紙切れ。たった一通の手紙。それが海を越えて、コタへ届く。本当に届くのかも、分からないけど。


「……届くかな」


「わからない」


スカラはアルスを見た。


「だが、送らなければ絶対に届かない」


アルスは少し笑った。


「……そうだね」


その時だった。


「いたぞ!」


突然、兵士の声が響いた。


「例の二人組だ!」


三人が振り向くと同時に、兵士たちに取り囲まれた。


「お前らがシェンクゥからの不法入国者か?」


スカラは兵士たちを見た。


「……早いな」


アルスが青ざめる。


「何が!?」


「この国の情報伝達だ」


次の瞬間、黒い布が頭から被せられた。


「うわっ!」


視界が消える。


「ちょっと!何するんだよ!?」


誰かが腕を掴んだ。


そして、暗闇の向こうから声がした。


「七人の首長がお待ちだ」

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