第三十四話 水泥棒の少女
ミラという名の少女は、村人たちに囲まれ俯いている。
「お前が水泥棒だったのか!」
「どういうつもりだ!」
「みんな水が足りないんだぞ!」
ミラは何も答えなかった。
そこへ、小太りの男が現れた。
「ミラ……」
困ったように眉を下げる。
「こんなことをするとは」
その声は、妙に優しかった。
「いくらうちの田に水が足りないからといって、勝手にこんなことをしてはいけない。苦しい時ほど、皆で助け合うんだと教えただろう?」
アルスが小声で尋ねた。
「あの人、誰?」
「おそらく地主だ」
スカラが答える。
「ミラに田畑を貸している。雇い主のようなものだよ」
村人たちも口々に叫ぶ。
「拾ってもらった恩を忘れたのか!」
「きちんと罰を与えろ!」
地主は皆をなだめるように手を上げた。
「まあまあ。これも私のしつけが悪かったせいだ」
そう言って、一本の鞭を取り出した。
ヒュッ。
ミラの顔が強張る。
パシン!
鞭が身体を打った。
「やめろ!」
アルスが飛び出す。
「ヨソ者は黙ってろ!」
村人たちに押さえられた。
再び鞭が振り上げられる。
だが、その腕が途中で止まった。
「……何だ?」
地主が振り向く。
スカラが腕を掴んでいた。
「女!何のつもりだ!」
「聞きたい事がある」
「は?こんな時に何を……」
「その鞭のことだよ」
スカラは静かに尋ねた。
「なぜ、そんなものを都合よく持ってきた?」
地主の顔がわずかに固まった。
「まるで最初から、水泥棒が捕まると知っていたみたいだ」
「何を馬鹿な――」
「それと、もう一つ」
スカラは手を離すと、地面へしゃがみ込んだ。
指で線を引いていく。
畑。
水路。
取水口。
ここへ来るまでに見た地形を、迷いなく描いた。
「ミラの田は?」
村人が指さす。
「ここだ」
スカラは水路を見る。
「やはりおかしい」
「何が?」
「この仕切り板を外しても、ミラの田にはほとんど水が届かない」
指を滑らせる。
「水が流れ込むのは――」
その指が止まった。
「地主さん。あんたの田だ」
ざわっ。
村人たちの空気が変わる。
「そ、それが何だ!」
「それに、あの仕切り板」
スカラは水路を指さした。
「ミラ一人で持ち上げられる重さか?」
沈黙。
その時。
「おい! 足跡があるぞ!」
村人の一人が叫んだ。
水路の泥には、大きな靴跡が残っていた。
皆の視線が地主の足元へ集まる。
同じ形の靴。
「……あんたも、水路にいたのか?」
アルスが尋ねる。
地主は答えない。
スカラが立ち上がった。
「ミラに仕切り板を外させ、あんたが手伝った。そして、彼女一人の罪にしようとした」
「違う!」
地主が叫ぶ。
だが、村人たちが詰め寄ると、やがて後ずさるのをやめた。
「……じゃあ、どうしろっていうんだ」
「?」
男は、水路を指さした。
「この水路ができて何年だと思う?」
誰も答えない。
「四十七年だ!」
地主は乾いた田を見渡した。
「上の村が田を増やした。水が減った。昔なら三日で満ちた田に、今じゃ一週間かかる」
スカラも水路を見る。
「今年の水量じゃ、もう足りないんだ!」
男は声を張った。
「全員に平等に分ければ、全員の田が半分ずつ枯れる!だったら、一枚でも多く生かすしかないだろ!」
誰も答えなかった。
「水が百あるなら、百二十にはできない!」
地主は吐き捨てた。
「誰かにやれば、誰かの分が減る。誰かを助ければ、誰かが困る!」
スカラの表情が変わった。
「お前の言う『平等』で、腹が膨れるのか?」
男がスカラを睨んだ。
「だったら教えてくれよ。足りない水を、どうやって全員に分ける?」
スカラは水路を見た。
答えられなかった。
今ある水をどう配れば、どの田がどれだけ実るか。条件が分かれば計算はできる。
だが、誰の田を諦めるべきなのか。
誰の暮らしを切り捨てるべきなのか。
そんな答えは、どの本にも書いていない。
「……」
沈黙を破ったのは、村人の一人だった。
「でも、ミラ一人に罪を押しつけるのは違うだろ」
地主が黙る。
ミラが震える声で言った。
「……私が天涯孤独だからでしょ?」
男の顔が歪んだ。
アルスは拳を握った。
「最低だ」
地主は鼻で笑った。
「だったら、お前たちだけでやってみろ!」
村人を見渡す。
「水路の水が昼と夜でどれだけ変わるか。山で雨が降った翌日、どの田へ先に水を入れるべきか。誰が知っている?」
誰も答えられなかった。
「どうせ、私がいなければ何もできんくせに」
男は背を向けた。
そして。
「ミラ!お前はクビだ!」
ミラの肩が震える。
「待ってよ!」
アルスが叫んだ。
「この子はあんたに命令されただけだろ!」
「だからだ」
地主は冷たく答えた。
「もう村中に知れた。こいつを雇い続ければ、今度はうちが水を回してもらえなくなる」
それだけ言って、立ち去った。
村人たちも、誰一人ミラへ声をかけなかった。
***
「……大丈夫?」
アルスが差し出した手を、ミラは振り払った。
「……え?」
すると、ダルカの言葉でまくしたて泣き始めた。
「スカラ、何て言ってるの?」
「土地を追い出された。これからどう生きればいい。あんたたちなんて助けなければよかった。象に踏み潰されていれば――」
「ごめん。そのまま訳されると結構傷つく」
「聞いたのはそっちだ」
「そうだけど!」
すると、ミラはシェンクゥ語で叫んだ。
「仕事もなくなった!家だって地主の土地にあるのよ!今日からどこで寝ればいいの!?」
「……」
「最悪!全部あんたたちのせい!」
スカラはミラを見た。
「命令されたとはいえ、泥棒は泥棒だからな」
ミラが睨む。
「だけど」
スカラは続けた。
「仕事は、なくはない」
「……え?」
「アルス」
「何?」
「私たちは今、何に困っている?」
「……道が分からないこと?」
「そう。それに、この国の言葉も、水路の事情も十分には知らない」
スカラはミラを見る。
「一方、彼女は土地の道を知り、言葉を話し、水路についても詳しい」
「……」
「利害が一致している」
ミラは涙を拭った。
「……何が言いたいの?」
「私たちはダルカを旅している。この国を案内してほしい」
少女は二人をじっと見た。
「……いくら?」
「え?」
「安くないわよ」
アルスは思わず笑った。
「たくましいなぁ……」
だが、ミラは笑わなかった。
「それと、先に言っとくけど」
「何?」
「この国、あんたたちが思ってるほど豊かじゃないから」
スカラは、遠くの田を見た。
朝日に輝いていた、どこまでも続く緑。
だが、その足元にはひび割れた土が広がっていた。
「……そうみたいだね」
三人の旅が始まった。




