↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/63

第三十四話 水泥棒の少女

ミラという名の少女は、村人たちに囲まれ俯いている。


「お前が水泥棒だったのか!」


「どういうつもりだ!」


「みんな水が足りないんだぞ!」


ミラは何も答えなかった。


そこへ、小太りの男が現れた。


「ミラ……」


困ったように眉を下げる。


「こんなことをするとは」


その声は、妙に優しかった。


「いくらうちの田に水が足りないからといって、勝手にこんなことをしてはいけない。苦しい時ほど、皆で助け合うんだと教えただろう?」


アルスが小声で尋ねた。


「あの人、誰?」


「おそらく地主だ」


スカラが答える。


「ミラに田畑を貸している。雇い主のようなものだよ」


村人たちも口々に叫ぶ。


「拾ってもらった恩を忘れたのか!」


「きちんと罰を与えろ!」


地主は皆をなだめるように手を上げた。


「まあまあ。これも私のしつけが悪かったせいだ」


そう言って、一本の鞭を取り出した。


ヒュッ。


ミラの顔が強張る。


パシン!


鞭が身体を打った。


「やめろ!」


アルスが飛び出す。


「ヨソ者は黙ってろ!」


村人たちに押さえられた。


再び鞭が振り上げられる。


だが、その腕が途中で止まった。


「……何だ?」


地主が振り向く。


スカラが腕を掴んでいた。


「女!何のつもりだ!」


「聞きたい事がある」


「は?こんな時に何を……」


「その鞭のことだよ」


スカラは静かに尋ねた。


「なぜ、そんなものを都合よく持ってきた?」


地主の顔がわずかに固まった。


「まるで最初から、水泥棒が捕まると知っていたみたいだ」


「何を馬鹿な――」


「それと、もう一つ」


スカラは手を離すと、地面へしゃがみ込んだ。


指で線を引いていく。


畑。


水路。


取水口。


ここへ来るまでに見た地形を、迷いなく描いた。


「ミラの田は?」


村人が指さす。


「ここだ」


スカラは水路を見る。


「やはりおかしい」


「何が?」


「この仕切り板を外しても、ミラの田にはほとんど水が届かない」


指を滑らせる。


「水が流れ込むのは――」


その指が止まった。


「地主さん。あんたの田だ」


ざわっ。


村人たちの空気が変わる。


「そ、それが何だ!」


「それに、あの仕切り板」


スカラは水路を指さした。


「ミラ一人で持ち上げられる重さか?」


沈黙。


その時。


「おい! 足跡があるぞ!」


村人の一人が叫んだ。


水路の泥には、大きな靴跡が残っていた。


皆の視線が地主の足元へ集まる。


同じ形の靴。


「……あんたも、水路にいたのか?」


アルスが尋ねる。


地主は答えない。


スカラが立ち上がった。


「ミラに仕切り板を外させ、あんたが手伝った。そして、彼女一人の罪にしようとした」


「違う!」


地主が叫ぶ。


だが、村人たちが詰め寄ると、やがて後ずさるのをやめた。


「……じゃあ、どうしろっていうんだ」


「?」


男は、水路を指さした。


「この水路ができて何年だと思う?」


誰も答えない。


「四十七年だ!」


地主は乾いた田を見渡した。


「上の村が田を増やした。水が減った。昔なら三日で満ちた田に、今じゃ一週間かかる」


スカラも水路を見る。


「今年の水量じゃ、もう足りないんだ!」


男は声を張った。


「全員に平等に分ければ、全員の田が半分ずつ枯れる!だったら、一枚でも多く生かすしかないだろ!」


誰も答えなかった。


「水が百あるなら、百二十にはできない!」


地主は吐き捨てた。


「誰かにやれば、誰かの分が減る。誰かを助ければ、誰かが困る!」


スカラの表情が変わった。


「お前の言う『平等』で、腹が膨れるのか?」


男がスカラを睨んだ。


「だったら教えてくれよ。足りない水を、どうやって全員に分ける?」


スカラは水路を見た。


答えられなかった。


今ある水をどう配れば、どの田がどれだけ実るか。条件が分かれば計算はできる。


だが、誰の田を諦めるべきなのか。

誰の暮らしを切り捨てるべきなのか。


そんな答えは、どの本にも書いていない。


「……」


沈黙を破ったのは、村人の一人だった。


「でも、ミラ一人に罪を押しつけるのは違うだろ」


地主が黙る。


ミラが震える声で言った。


「……私が天涯孤独だからでしょ?」


男の顔が歪んだ。


アルスは拳を握った。


「最低だ」


地主は鼻で笑った。


「だったら、お前たちだけでやってみろ!」


村人を見渡す。


「水路の水が昼と夜でどれだけ変わるか。山で雨が降った翌日、どの田へ先に水を入れるべきか。誰が知っている?」


誰も答えられなかった。


「どうせ、私がいなければ何もできんくせに」


男は背を向けた。


そして。


「ミラ!お前はクビだ!」


ミラの肩が震える。


「待ってよ!」


アルスが叫んだ。


「この子はあんたに命令されただけだろ!」


「だからだ」


地主は冷たく答えた。


「もう村中に知れた。こいつを雇い続ければ、今度はうちが水を回してもらえなくなる」


それだけ言って、立ち去った。


村人たちも、誰一人ミラへ声をかけなかった。


***


「……大丈夫?」


アルスが差し出した手を、ミラは振り払った。


「……え?」


すると、ダルカの言葉でまくしたて泣き始めた。


「スカラ、何て言ってるの?」


「土地を追い出された。これからどう生きればいい。あんたたちなんて助けなければよかった。象に踏み潰されていれば――」


「ごめん。そのまま訳されると結構傷つく」


「聞いたのはそっちだ」


「そうだけど!」


すると、ミラはシェンクゥ語で叫んだ。


「仕事もなくなった!家だって地主の土地にあるのよ!今日からどこで寝ればいいの!?」


「……」


「最悪!全部あんたたちのせい!」


スカラはミラを見た。


「命令されたとはいえ、泥棒は泥棒だからな」


ミラが睨む。


「だけど」


スカラは続けた。


「仕事は、なくはない」


「……え?」


「アルス」


「何?」


「私たちは今、何に困っている?」


「……道が分からないこと?」


「そう。それに、この国の言葉も、水路の事情も十分には知らない」


スカラはミラを見る。


「一方、彼女は土地の道を知り、言葉を話し、水路についても詳しい」


「……」


「利害が一致している」


ミラは涙を拭った。


「……何が言いたいの?」


「私たちはダルカを旅している。この国を案内してほしい」


少女は二人をじっと見た。


「……いくら?」


「え?」


「安くないわよ」


アルスは思わず笑った。


「たくましいなぁ……」


だが、ミラは笑わなかった。


「それと、先に言っとくけど」


「何?」


「この国、あんたたちが思ってるほど豊かじゃないから」


スカラは、遠くの田を見た。


朝日に輝いていた、どこまでも続く緑。


だが、その足元にはひび割れた土が広がっていた。


「……そうみたいだね」


三人の旅が始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。