↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/61

第三十三話 緑の国ダルカ

月明かりだけが、細い道を照らしていた。


響くのは虫と蛙の声。そして、二人分の足音だけ。


スカラとアルスは、真っ暗なダルカの道を歩き続けていた。


シェンクゥの国境を強行突破してから、何時間経ったのかも分からない。


目的は一つ。


ダルカはなぜ、シェンクゥへの食糧輸出を減らしたのか。


その理由を突き止めること。


答えを持ち帰れなければ――次にこの国境を越えるのは、二人ではない。


軍隊だ。


「今ごろ、シェンクゥは大騒ぎかな」


アルスが暗闇の向こうを振り返った。


「俺たちのせいで、コタのみんなに迷惑がかかってないといいけど」


「問題ない」


スカラは前を向いたまま答えた。


「シェンクゥもコタのゴムや商品を必要としている。あの王は現実主義者だ。感情だけで貿易を止めるようなことはしない」


「そっか。よかった……ところでさ」


「何?」


「俺たち、何時間歩いた?」


「知らない」


「知らないの?」


「測っていないからな」


「スカラでも知らないことあるんだ」


「当たり前だろ」


アルスは辺りを見回した。


「……ここまで一軒も家なくない?」


答えるものは虫と蛙だけ。


喉も渇いてきた。だが、水場も人家も見つからない。


「本当にこっちで合ってる?」


「たぶん」


「たぶん!?」


その時だった。


「うわっ!」


アルスが畦道を踏み外した。


咄嗟にスカラの袖を掴む。


「私の袖につかまるな!」


「だって落ちる!」


「私まで道連れにする気か!」


「助けてよ!」


「離せ!」


そんなやり取りをしているうちに、遠くから鶏の声が聞こえた。


東の空が、ゆっくりと白んでいく。


「……夜が明ける」


朝もやの向こうから一筋の光が差し、世界を覆っていた闇が少しずつ剥がれていく。


そして、二人は立ち止まった。


目の前に、果てしない大平原が広がっていた。


緑の田畑。

その間を縫う水路。

のんびりと草を食む牛。


はるか遠くには、朝日を浴びて銀色に輝く巨大な川まで見える。


「……すごい」


アルスの目が輝いた。


「これ、全部田んぼ?」


鉄と煙の国シェンクゥとは、まるで違う。


どこまでも土と水と緑が続く、巨大な農業国家ダルカ。


朝風が吹くたび、稲の葉が波のように揺れていた。


アルスは思わず笑った。


「なんだよ」


辺りを見渡す。


「食べ物、いっぱいあるじゃん!」


だが、スカラは答えなかった。


「……おかしい」


「え?」


「これほどの耕作地があるのに、なぜ食糧輸出が減る?」


アルスの笑顔が消えた。


昨夜まで闇に隠されていたダルカ。


朝日が昇って現れたのは、答えではなく、もっと大きな謎だった。


***


「……これ、どっちに進む?」


スカラが足を止めた。


畦道の先には赤い小さな石像。そこから左右へ道が分かれていた。


「右じゃない?」


「根拠は?」


「なんとなく」


「最悪だな」


「じゃあ聞くなよ!」


右へ進む。


するとまた分かれ道。


さらに分かれ道。


その先にも分かれ道。


そして――。


「ねえ」


アルスが立ち止まった。


「この石像、さっきも見なかった?」


「見た」


「……俺たち、迷子になってない?」


「なってない。右の可能性を潰したから、次は左へ行けばいい」


「ほんっと負けず嫌いだな……」


アルスは呆れたあと、ふと思い出した。


「そうだ。地図は?」


「地図?」


「ほら、いつもみたいに魔法で出すやつ」


「魔法ではない」


スカラは即座に訂正した。


「地図の表示、位置の測定、暗視、放電。旧文明では珍しくなかった技術だ」


「だったら、それで道を――」


「無理だ」


「なんで?」


「近くにホットスポットがない」


「……前から気になってたんだけどさ」


アルスが首を傾げる。


「そのホットなんとかって、結局何なの?」


「ホットスポット」


スカラは少し考えた。


「旧文明には、世界中を見えない糸でつなぐ巨大な情報網があった」


「蜘蛛の巣みたいな?」


「ああ。文明の崩壊でほとんどは失われたが、一部には今も動いている設備がある。そこへ近づくと、私の端末も機能する」


「じゃあ、オオカミ岩とか、ヤナの村の祭壇も?」


「そうだ」


アルスの表情が曇った。


オオカミ岩で、恐怖を感じる人間を追い続けた機械。


ヤナの村で、何百年も呪いの言葉を聞かせ続けた声。


「どっちも……人を苦しめてたね」


「ああ」


旧文明から与えられた役割を、何百年経っても繰り返している。


本来の目的すら、とうに失われているのに。


スカラは袖の下へ目を落とした。


シェンクゥの夜、突然現れた光の地図。何も操作していないのに、腕輪が勝手に反応した。あれは一体、何だったのか。


自分が旧文明の機械を動かしているのか。


それとも、機械の方が自分に何かを求めているのか。


アルスが、その腕を見る。


「それって、スカラも……?」


スカラの足が止まった。


「……」


自分の身体に埋め込まれた、旧文明の何か。


ホットスポットへ近づくと現れる光。

勝手に流れ込んでくる情報。

自分でも仕組みの分からない力。


あの機械たちも、自分が何をしているのか知らなかった。


――では、自分は?


スカラは腕を握った。


「……私は、何なんだろう」


「え?」


「いや」


顔を上げる。


「何でもない」


袖を下ろした。


北の果てへ行けば、分かるのだろうか。


それとも――。


その時。


「あ!」


アルスが声を上げた。


畦道の向こうに、一人の少女が立っていた。


ダルカの民族衣装。年齢はアルスたちと、それほど変わらない。腕には、古びた糸で編まれた小さな飾り。


「地元の子かな」


アルスが近づく。


「ねえ! ちょっと道を聞きたいんだけど――」


少女がこちらを見た。


目が合った瞬間、血相を変えて走り出す。


「えっ?」


「逃げたな」


「なんで!?」


アルスも追いかけた。


「待って!変な者じゃないんだ!道を聞きたいだけで――」


ガサガサガサ!


突然、目の前の草むらが揺れた。


「うわっ!」


ぬうっ。


長い何かが伸びてくる。


太い。灰色。


先端には、穴が二つ。


「……何これ?」


空中で、ぶらぶらと揺れている。


「アルス」


追いついたスカラが袖を引いた。


「下がれ」


「え?」


「危険だ」


視線を上げる。


そこにいたのは、牛ほどの大きさの見たこともない動物だった。


大きな耳。


太い脚。


そして、長い鼻。


黒い瞳をくりくりと動かしながら、こちらを見つめている。


「な、なんだこいつ……」


「象」


「ぞう?」


「陸上最大の動物だ」


「これが?」


どう見ても牛くらいしかない。


「かわいいじゃん」


「危険なのはそいつではなく――」


アルスは象の頭を撫でた。


「ほら、平気――」


ドシン。


地面が揺れた。


「……え?」


ドシン。ドシン。


草むらの向こう。朝空を背にして、巨大な影が立ち上がった。


長い鼻。


大きく広がった耳。


牛どころではない、見上げるほど巨大な象が、こちらを睨んでいる。


アルスの顔から血の気が引いた。


「……母親だ」


さらに草むらが揺れた。


二頭。


三頭。


群れだ。


「スカラ!」


「何?」


「こういう時の知識は!?」


「ある」


「何!?」


「子どもへ近づくな」


「もう近づいちゃったよ!」


「それと、象は人間より足が速い」


「役に立たない!!」


親象が大きく耳を広げ、突進してきた。


「逃げろ!」


二人は走り出した。


少し離れた物陰で、先ほどの少女がその様子を見ていた。


逃げようとして、一歩進む。


だが、足が止まった。


象に追われている二人。


「……もう!」


少女は舌打ちした。


「こんな時に!」


そして叫んだ。


「こっち!」


アルスが振り向く。


「え?」


「こっち、来い!」


「シェンクゥ語!?」


「驚いてる場合じゃない!」


少女が指さしたのは、道の分かれ目にある赤い石像。


その裏には、人間一人がようやく通れるほどの狭い隙間があった。


三人は滑り込んだ。


直後。


ドシン!


親象が石像の前で立ち止まる。


長い鼻を伸ばしてきたが、身体が大きすぎて入れない。


しばらく警戒するように鼻を鳴らしたあと、群れはゆっくり去っていった。


「……助かった」


アルスは、その場にへたり込んだ。


「ありがとう!」


少女は何も言わない。


「君、シェンクゥ語が話せるんだね」


「……少しだけ」


それだけ言って、立ち去ろうとした。


その時だった。


「何の騒ぎだ!」


遠くから男たちの声。


「象だ!」


「そんなことより、また水泥棒だ!」


少女の身体が固まった。


「……水泥棒?」


村人たちが水路へ集まっている。


大きな仕切り板が外され、水が本来とは違う田へ流れ込んでいた。


アルスは少女を見た。


「……まさか」


少女は俯いた。


目に涙が浮かぶ。


「盗みたくて……盗んだんじゃない」


「じゃあ、どうして?」


少女は答えず、ただ水路の先を見つめていた。


水は幾つもの田を通り過ぎ、遠くの広い農地へ向かっている。その周囲では、乾いた土に亀裂が走っていた。


朝日に輝く緑の平原。


その足元で、土は乾き始めていたのだ。


「……え?」


アルスが目を凝らした。


その時。


「ミラ!」


男の怒声が響いた。


少女の身体がびくりと震える。


「そんなところに隠れて、何してる!」


男たちが走ってくる。


少女――ミラは、ひび割れた田を見た。


そして、小さく呟いた。


「……水がないと」


拳を握る。


「みんな、死んじゃうから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。