第三十一話 強行突破
夕方。
アルスはフォンを探していた。
工房。市場。港。どこにもいない。
ようやく見つけたのは、兵舎の前だった。
「……フォン?」
振り返った少年を見て、アルスの足が止まった。
兵士の制服。磨かれた靴。腰には、金槌ではなく銃。
「……何してるんだよ」
「見れば分かるだろ」
「兵士になったの?」
「ああ」
「何で!?」
フォンはアルスを見た。
「ダルカと戦うためだよ。俺たちが飢えてるのを知りながら、食料を止めやがった」
「だからって、戦争なんて!話し合えば――」
「……まだ言ってるのか」
フォンは鼻で笑った。
「一か月待った!」
通りに声が響く。
「船が来るたび、みんな港へ走った。今度こそ米が届いたんじゃないかって。でも、来なかった!」
「……」
「工房の連中は何人も倒れた。親方だって、自分の飯を俺たちに分けてる」
アルスは、フォンの顔を見た。
頬が少しこけていた。
「このままじゃ、死ぬんだよ」
フォンの声が震えた。
「ここにいる人間が、腹を空かせて死んでいくんだ!」
アルスは何も言えなかった。
「王様が言った。ダルカには広い土地も、川も、畑もある」
「……」
「向こうが分けてくれないなら、自分たちで取りに行くしかない」
「それは奪うってことだろ!」
「先に俺たちから食料を奪ったのは向こうだ!」
「本当にそうなのか分からないじゃん!」
「またそれかよ!」
沈黙。
少し前まで、言葉を覚えるのが楽しかった。
通じなかった言葉が一つ通じるたび、二人は笑った。
今は、互いの言葉がはっきり分かる。
それなのに。
「……なあ、アルス」
フォンが口を開いた。
「お前は、どっちの味方なんだ?」
「……え?」
「シェンクゥとダルカが戦ったら、どっちにつく?」
アルスは答えられなかった。
「……ほらな」
フォンが寂しそうに笑った。
「お前らは旅人だもんな。嫌になったら次の国へ行けばいい」
「違うよ!」
「俺は違う」
フォンは胸を叩いた。
「ここが俺の国なんだ!」
アルスは必死に言った。
「でも、ダルカはフォンが生まれた国でもあるだろ!」
フォンの顔が歪んだ。
「……知らねぇよ」
「あの塔の上で言ったじゃん! 三人で行こうって!」
「覚えてる」
目を伏せる。
一瞬、以前のフォンに戻ったように見えた。
「だったら!」
「覚えてるから、余計に腹が立つんだよ」
フォンは顔を上げた。
「お前と行きたかったんだ」
アルスの胸が詰まった。
「……じゃあ」
「でも、もう無理だ」
フォンは兵舎を振り返った。
同じ制服の若者たちが整列している。
「ダルカへ行くのは、お前とじゃない。ここにいる仲間たちと行く」
アルスは何も言えなかった。
フォンが腰から銃を抜いた。黒い銃口が、アルスへ向く。
「……フォン?」
身体が強張った。
「怖いか?」
フォンが尋ねた。
「……」
「これ、お前たちが届けてくれた知識からできたものだろ」
弾が入っていないことは分かっている。
それでも、アルスの顔は青ざめた。
「火薬も、ゴムも、鉄を大量に作る工場も」
フォンは銃を見た。
「あの時、お前が助けてくれなかったら、俺は今ここにいなかった」
「……」
「だから、感謝してる」
銃口を下ろした。
「今度は俺が、これで故郷を守る」
アルスの胸が締めつけられた。
ーー故郷。
以前はダルカを、そう呼んでいた。
今、フォンが守ろうとしているのはシェンクゥだった。
「……こんなの、間違ってるよ」
「間違ってる?」
フォンが笑った。
「正しさなんて、どっち側に立つかで変わるんだよ」
そして、ふと思い出したように言った。
「なあ、最初に会った時さ」
「……?」
「俺たち、言葉なんて一個も通じなかったよな」
アルスは唇を噛んだ。
――ゴム!
そう呼ばれて、何度も笑った。
「なのに、何となく分かり合えてる気がした」
フォンは小さく笑った。
「一緒に飯食って、言葉を教え合って。話せるようになるのが嬉しかった」
「……」
「でもさ」
笑みが消えた。
「言葉を交わせば交わすほど、お前と俺は違うんだって気づかされた」
「……フォン」
「お別れだ」
背を向ける。
「一週間後に出発する」
「待って!」
アルスが叫んだ。
「フォン!」
振り返らなかった。
兵士たちの列へ、その背中が消えていく。
首元では、小さな石のお守りが揺れていた。
ダルカから持ってきた、あのお守り。
アルスには、それだけが昔のフォンのままに見えた。
***
日が沈んでも、アルスは兵舎の前から動けなかった。
やがてスカラが隣へ来た。
「……アルス」
「俺が、間違ってたのかな」
「……何が?」
「フォンを助けてって、頼んだこと」
アルスは俯いた。
「あの時、俺が頼まなかったら、火薬はここになかった。銃も、大砲も……」
「火薬を教えたのは私だ」
スカラが答えた。
「でも、頼んだのは俺だよ」
「……」
「じゃあ、やっぱり俺たちのせいじゃん」
スカラは自分の手を見た。
「火薬がなければ、フォンたちを助けられなかった」
崩落現場。
泣いていた母親。
壁の向こうから聞こえる金槌の音。
「私は、こうなるかもしれないと考えていた」
スカラは拳を握った。
「それでも、目の前の命を選んだ」
「……」
「その選択を、今になってなかったことにはできない」
アルスが顔を上げる。
「……じゃあ、どうすればよかったの?」
スカラは答えられなかった。
人を救った。それは確かだ。
だが、その知識が別の人を傷つけようとしている。
だからといって、救わなければよかったとも思えない。
「……分からない」
夜空を見上げる。
――きっと、知識があなたを導いてくれるはず。
あの人の声が蘇った。
ずっと信じてきた。
知識があれば、正しい道を見つけられる。
そう思っていた。
でも。
「……知識は」
スカラが呟く。
「本当に、私たちを正しい道へ導いてくれるのだろうか」
答える者はいなかった。
遠くで銃声が響いた。
ドン。
***
夜。
シェンクゥの空は、炉の火で赤く染まっていた。
アルスは窓辺で膝を抱えていた。
「……一週間後だって」
本を読んでいたスカラが顔を上げる。
「何が?」
「軍がダルカへ出発する。フォンも行く」
窓の向こうでは、兵士たちの松明が揺れていた。
「このままじゃ、本当に戦争になっちゃうよ」
スカラは本を閉じ、窓へ近づいた。
空には、丸い月。
「……満月か」
「……え?」
スカラはアルスを見た。
「ここで悔やんでいるだけでは、何も変わらない」
そして言った。
「ダルカへ行こう」
アルスが顔を上げる。
「……今、何て?」
「ダルカへ行く。本当に敵意で食料を止めたのか、それとも別の事情があるのか」
スカラは窓の外を見た。
「この目で確かめよう。そして、戦争を止める」
アルスは立ち上がった。
「でも、監視されてるんだよ!?」
「知っている」
「国境だって止められる!」
「知っている」
「じゃあ、どうするの!?」
スカラは少しだけ口角を上げた。
アルスは嫌な予感がした。
「……何、その顔」
「強行突破する」
「えっ!?」
スカラは扉へ向かった。
「来い」
「どこに!?」
「地下」
スカラは階段を降りていった。
アルスが追いかける。
「ちょっと待って! 何を隠してるの!?」
地下室には、大きな布をかぶせられた物体があった。
「……何これ?」
スカラが布を掴む。
バサッ!
現れたのは、鉄の骨組みと二つの車輪。
車輪には、黒いゴムが巻かれている。
「……あ!」
アルスが駆け寄った。
「これ、前にフォンと作ってたやつ!」
「ああ」
車体の中央には、錆びた金属の塊。
「塔で見つけた発動機!」
「フォンと直した」
よく見ると、新しく作られた部品がいくつも組み込まれている。
アルスは車輪を叩いた。
「ヤナの加硫ゴムも!」
そして、思わず笑った。
「……すごいね」
「何が?」
「俺たちが旅してきたもの、全部入ってる」
スカラも少しだけ笑った。
「そうだね」
アルスは車体を一周した。
「で、これ何?」
「旧文明では、バイクと呼んでいた」
「ばいく?」
「鉄の馬のような乗り物だよ」
「馬より速いの!?」
「ものによってはね」
アルスの目が輝いた。
「じゃあ、これで国境まで!?」
「ああ」
スカラは安全帽を投げた。
「被れ」
アルスは受け取り、ふと地下室の奥を見た。
会社の帳簿。
積み上げられた商品。
一年かけて手に入れたものが、そこにあった。
「……これ、全部置いていくの?」
「持っていけるものだけ持つ。会社は、この街の人間だけで動かせるようにしてある」
「せっかく大金持ちになったのに!」
「アルス」
スカラは振り返った。
「私たちは、金を稼ぐために旅をしているわけじゃないだろう?」
「……」
アルスは少し考え、笑った。
「……そうだったね」
スカラがバイクに跨がる。
「後ろへ」
アルスも跨がり、腰へ腕を回した。
「……こう?」
「もっと強く」
「え?」
「振り落とされるぞ」
「怖いこと言わないでよ!」
スカラは足元の踏み板を蹴り込んだ。
ガン!
……。
何も起きない。
「……壊れてる?」
「黙って」
もう一度。
ガン!
ドロッ。
ドロロロロロ――!!
地下室に、獣の唸り声のような音が響き渡った。
「うわぁぁ!何この音!?」
「発動機が動いている音だよ」
その時。
「何の音だ!?」
頭上から兵士の声が響いた。
「地下だ!」
階段を駆け下りる足音。
アルスが振り返る。
「……スカラ!」
地下室の扉が開いた。
兵士たちが飛び込んでくる。
「いたぞ!」
「逃がすな!!」
スカラは前を向いた。
「アルス」
「何!?」
「しっかりつかまれ」
ドロロロロロロ――!!
鉄の馬が、低く唸った。




