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第二十九話 王の裏切り

ドォン!!


翌朝。


アルスは大きな音で飛び起きた。


「……何!?」


外へ飛び出すと、採掘場から黒い煙が上がっていた。


「スカラ!」


「おはよう」


「おはようじゃないよ! 何事!?」


その先では職人たちが歓声を上げていた。


崩れかけた巨大な建物が、瓦礫の山になっている。


「うまくいったぞ!」


「これなら危ない壁を先に壊せる!」


「……もう使ってる」


昨日まで人命救助に使われていた火薬が、今日は廃墟の解体に使われていた。


「こんな便利なもの、使わない職人がいるかよ!」


男が笑う。


スカラは煙を見つめた。


「……便利、か」


ドォン!!


その声は、次の爆音にかき消された。


それからシェンクゥは、猛烈な勢いで変わり始めた。


危険な廃墟には立入禁止の印がつけられ、職人たちは建物の構造を調べながら鉄を回収するようになった。


火薬によって硬い壁が砕かれ、新しい道が開かれていく。


だが、事故も起きた。


「危ない! 離れろ!」


思わぬ場所が崩れ、職人たちが逃げ出す。


「勝手なことするな! 人が死ぬぞ!」


火薬の使い方は、すでにスカラの手を離れていた。


人々は失敗し、教え合い、また試す。


その速さは、スカラの予想を超えていた。


***


一方、工房も注文に追われていた。


「もっと速く作れないのか!?」


親方が山積みの注文書を叩く。


ゴムを巻いた金槌。荷車の車輪。工場で使う部品。


「これ以上は腕が足りねぇんだ!」


フォンが頭を抱えた。


工房では水車の力で機械を動かしていたが、離れた機械まで回そうとすると、長い鉄の軸が重さやねじれに耐えられなかった。


床には折れた鉄棒が転がっている。


アルスはそれを眺めながら、手元のゴムを伸ばした。


びよん。


「……ねえ」


「何だよ」


「鉄でつなぐ必要って、ある?」


フォンが顔を上げた。


「……は?」


「水車と向こうの車輪に、これを巻きつけたら? 引っ張られて一緒に回るんじゃない?」


フォンは水車を見た。


離れた機械を見た。


そして、アルスのゴムを見た。


「……やってみよう」


最初は失敗だった。


バチン!


「駄目だ! 滑る!」


次は伸びすぎ、その次は熱で傷んだ。


「……やっぱり無理かな」


「まだだ」


フォンは切れたゴムを拾った。


「ゴムだけじゃ弱い。芯を入れてみよう」


職人たちは丈夫な布とゴムを組み合わせ、車輪の溝も作り直した。


「回すぞ!」


ゴゴゴゴゴ――。


帯が動く。


離れた車輪が、ゆっくりと回り始めた。


「……!」


やがて、その先の機械まで回り始める。


「動いたぞ!!」


職人たちが歓声を上げた。


アルスも飛び跳ねる。


「やったぁ!」


フォンが笑った。


「やるじゃねぇか、ゴム!」


「だからアルスだって!」


アルスはスカラへ駆け寄った。


「見た!? 俺が考えた!」


「フォンたちが形にしたけどね」


「そこは褒めてよ!」


スカラは小さく笑う。


「……いい発想だったよ」


アルスが目を丸くした。


「今、褒めた!?」


「褒めたけど」


「もう一回!」


「嫌だ」


「何で!?」


***


ゴムの帯は工房を変えた。


一つの水車で、離れた何台もの機械を動かせる。


やがて職人の一人が、回る帯に荷物を載せた。


ガラガラガラ――。


鉄の部品が、向こうの作業台まで運ばれていく。


「……勝手に運んでる!」


アルスがその横を走った。


「俺より速い!」


「競争するか?」


フォンが笑う。


「する!」


「やめておけ」


スカラが言った。


「機械は疲れないよ」


「……やめとく」


工房では、仕事も分けられるようになった。


一人が鉄を切り、一人が叩き、一人が柄をつけ、最後にゴムを巻く。


ガタン!


一個。


ガタン!


二個。


ガタン!


三個。


「昨日は十個だったのに……」


アルスは完成品の山を見た。


「今日は百個!?」


フォンが得意げに笑う。


「まだ増やせるぞ」


「まだ!?」


アルスが思いついたことをフォンが形にする。それを見た職人が、また新しい使い方を考える。


一つの工夫が、次の工夫を呼んでいく。


まるで小さな火が、人から人へ燃え移るようだった。


***


季節が巡るにつれ、街の風景も変わった。


廃墟の間に新しい工場が建ち、港には商船が並ぶ。


ガン! ガン! ガン!


夜になっても鉄を叩く音が止まない。


仕事を求め、各地から人が集まった。


「人、増えたね!」


アルスが笑う。


「仕事があれば人は集まる」


スカラも街を見渡した。


だが、フォンは売店の値札を見つめていた。


「……また上がったのか」


「何が?」


「米だよ。仕事は増えたのに、飯はどんどん高くなる」


「そうなの?」


「最近じゃ、工房の連中も昼飯を減らしてる」


「……大丈夫?」


「まだ平気さ。そのうち船が来るだろ」


フォンは笑った。


アルスも笑い返した。


だが、フォンが手にしたパンが以前の半分ほどになっていることには、気づかなかった。


港には今日も船が着く。


積み下ろされるのは、ゴム、金属製品、布、道具。


その横で商人たちは、米を積んでくるはずの船を待ち続けていた。


***


そんなある日。


「アルス」


スカラが一枚の紙を渡した。


「……何これ?」


「会社の今月の利益」


アルスは数字を見た。


桁を数える。


「……え?」


もう一度。


「えぇぇぇぇぇ!?」


椅子から転げ落ちた。


「こんなに!?」


「そう書いてある」


「俺たち、大金持ちじゃん!」


「そうだね」


「もっと喜ぼうよ!」


「なぜ?」


「お金持ちになったんだよ!?」


スカラは帳面を閉じた。


「会社の持ち分と確保した資金を合わせれば、旅の目標だった二千万シェンカに、もうすぐ届く」


「……!」


アルスの顔が輝いた。


「じゃあ!」


「ああ。旅を再開できる」


二人は窓の外を見た。


工場。港。行き交う荷車。


そして、さらに先の大陸。


「……次はダルカだね」


「そう。王との約束の一年も、もうすぐ終わる」


「もう一年かぁ……」


フォンと出会い、ゴムを売り、会社を作った。


ヤナから手紙が届き、一度はフォンを失いかけた。


長かったような、一瞬だったような。


「……フォンも一緒に来るかな」


アルスが呟いた。


「あの子自身が決めることだよ」


「……うん」


アルスは頷いた。


***


二人は王宮へ向かった。


「よく来た!」


王は上機嫌だった。


「聞いているぞ。工場でまた新しい機械を作ったそうだな。火薬も見事だ。そなたたちが来てから、この国は変わった!」


「その件ですが」


スカラが口を開く。


「今日はお別れを言いに来ました」


王の笑顔が止まった。


「……別れ?」


「約束の一年が経ちました」


アルスも続けた。


「俺たち、ダルカへ向かいます!」


広間が静かになる。


「……ダルカへ? なぜだ」


「旅をしているからです」


「ここにいればいい。屋敷も、金も、望むなら地位も与えよう」


「必要ありません」


スカラは即答した。


「もうちょっと言い方ない?」


アルスが小声で囁く。


「事実だよ」


王の笑みが消えた。


「……そうか。ならば仕方ない」


アルスはほっとした。


「ありがとうございます!」


だが、王は続けた。


「この国から出ることは許さない」


「……え?」


「そなたたちはシェンクゥに残れ」


「でも、一年という約束だったはずです」


スカラが問い返す。


「ああ。そのつもりだった」


「なら……」


「状況が変わった」


王は窓へ歩いた。


眼下には、煙を吐く工場と巨大な倉庫。


「そなたたちが来てから、この街は恐ろしいほど豊かになった。ゴム、株式会社、火薬、大量生産……」


王が振り返る。


「そなたの頭には、まだどれほどの知識が眠っている?」


スカラは答えない。


「そしてアルス。そなたは、その知識を人々の暮らしへ変える」


「……」


「そなたたちは今や、この国に欠かせない。よりによってダルカなどに――」


「なぜ、そこまでダルカを敵視するのですか?」


スカラが尋ねた。


王は一冊の帳簿を取り出した。


「これを見ろ」


人口。


食料の消費量。


輸入量。


残された備蓄。


「この一年、工場で仕事が増え、人口は一割増えた」


王は別の数字を指す。


「だが、ダルカから届く米は三割減った」


「……輸送に問題が?」


「分からん。使者にも商人にも調べさせたが、返事がない。国境で荷を止められたという話もある」


王は帳簿を閉じた。


「今の消費が続けば、備蓄は四か月で尽きる」


「……四か月!?」


アルスが叫んだ。


「ほかの国から買えば――」


「すでに試した。だが、何万人分もの食料は急に集められん」


王はスカラを見た。


「そなたの知識は、膨大な数の本を読んで得たのだろう」


「……」


「だが私は、この街の倉庫があと何日で空になるかを、毎朝見ている」


スカラは帳簿を見つめた。


これまでの計算には、入っていなかった数字だった。


「……だから、私たちを利用するのですか?」


「そなたの知識なら、食料を長く保存する方法も、新しい輸送手段も考えられるだろう」


王は否定しなかった。


「飢えを前にして、その可能性を手放せると思うか?」


「だからって、閉じ込めるのは違う!」


アルスが叫ぶ。


「ああ」


王は頷いた。


「正しいとは思っていない」


「じゃあ!」


「だが、正しい選択だけで国が守れるなら、王など必要ない」


アルスは口を閉じた。


「私は、そなたたち二人の自由と、この国に住む何万人もの食事を天秤にかけた」


王は少しだけ目を伏せる。


「そして私は、後者を選んだ」


王が手を上げると、兵士たちが入ってきた。


「牢には入れん。金も会社も、これまで通り自由に使え」


スカラが静かに尋ねる。


「……ただし、シェンクゥからは出るなと?」


「そういうことだ」


***


帰り道。


アルスはずっと黙っていた。


新しい店、工場、行き交う荷車。


自分たちが少しだけ作る手伝いをした街。


なのに今は、巨大な檻のように見えた。


「……スカラ」


「何?」


「俺たち、本当に出られないの?」


スカラは答えなかった。


その時。


ガラガラガラ――。


米袋を積んだ荷車が、二人の横を通った。


「米だ!」


「俺にも!」


「子どもが待ってるんだ!」


人々が殺到する。


「押すな!」


「金ならある!」


「俺が先だ!」


アルスは立ち止まった。


一年前、この通りでは誰もが商品を売ろうと大声を上げていた。


今は、同じ人々が食べ物を求めて叫んでいる。


工場は増えた。


荷物も増えた。


働く人も増えた。


それなのに。


「……なんで」


アルスが呟いた。


「こんなに豊かになったのに」


いつの間にか、この街から食べ物の匂いが消え始めていた。

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