第二十八話 黒い火
救助作業は昼も夜も続いた。
崩れかけた壁を支える柱が組まれ、作業員たちが安全な通路を探した。
廃墟漁りたちも駆けつけた。
「あっちの梁はまだ生きてる!」
「そこは動かすな!」
長年の経験を生かし、崩れた建物の構造を調べていく。
やがて、瓦礫の奥に人が生き延びられる空間が残っていることが分かった。
小さな隙間から空気が通っている。そこへ細い管を通し、水や柔らかい食料を少しずつ届けた。
だが、人が通れる大きさの道は、どうしても開けられなかった。
スカラは、現場の見取り図を広げた。
「……ここだ」
「何が?」
アルスが覗き込む。
「外側の壁。この部分なら、内部の空間から離れている」
「壊せるの?」
「まだ分からない。周囲を補強して、衝撃がどこへ伝わるか調べる必要がある」
「……どれくらいかかる?」
スカラは図面を見つめた。
「七日ほど、時間をもらいたい」
「一週間……?」
アルスの顔が強張る。
「フォンたちは、それまで……」
「生きていてもらう」
スカラは、まっすぐアルスを見た。
「そのためにも、今できることをしよう」
アルスは頷いた。
そして壁へ駆け寄った。
「フォン!」
耳を近づける。
「聞こえるか!?」
コン。
「一週間だ!」
アルスは叫んだ。
「一週間だけ、頑張ってくれ!」
しばらくして。
コン。コン。
二度、返事があった。
***
一日目。
アルスは壁の前に座り、フォンへ話しかけた。
「今日、ヤナから手紙が来たんだ」
コン。
「また新しいゴムの使い道を考えてるんだって」
コン。
「すごいよな、あいつ」
二日目。
声は聞こえなくなった。
だが、金槌の音は続いていた。
三日目。
アルスは、コタの魚市場の話をした。
「アグレオってさ、怒るとすごく怖いんだよ」
コン。
「……今度、一緒に行こうな」
四日目。
返事が、少し遅くなった。
五日目。
「フォン、今日は何人起きてる?」
コン。コン。コン。
三人。
まだ、生きている。
六日目。
アルスは、壁に手を当てた。
「なあ、フォン」
返事はない。
「俺たち、ダルカに行くんだ」
少し間があって。
コン。
「約束しただろ。一緒に行こうって」
長い沈黙。
やがて。
コン。
小さな音が返ってきた。
アルスは、その場に座り込んだ。
「……絶対、死ぬなよ」
その頃、スカラはほとんど眠っていなかった。
救助隊と壁の構造を調べ、職人たちと必要な道具を用意した。
そして、人が簡単に近づけない作業場で、ある物質を試していた。
黒い粉。
硝石。
硫黄。
木炭。
旧文明では、これらを利用して強い力を生み出していた。
だが、スカラに必要なのは、壁をむやみに吹き飛ばす力ではない。閉じ込められた人々を傷つけず出口を開く、そのための準備に何度もやり直しが必要だった。
アルスが訪れた時、スカラは図面を見つめていた。
「……何を作ってるの?」
「火薬だ」
「かやく?」
「急激に燃えて、大きな力を生み出す物質だよ」
「それで壁を?」
「ああ。ただし、周囲を支えてから、救助隊と慎重に使う」
アルスは、黒い粉を見た。
「……失敗したら?」
スカラはすぐには答えなかった。
「中の人間を傷つける可能性もある」
アルスは息を呑んだ。
「……成功するよね?」
スカラは図面を閉じた。
「成功させたい。だから、最後まで確かめる」
その声には、いつもの迷いのなさがなかった。
アルスは何も言わず、スカラの隣へ座った。
しばらくして、スカラが立ち上がる。
「明日だ」
「……うん」
「明日、フォンたちを助ける」
アルスは頷いた。
壁の向こうから、かすかな音が聞こえた。
コン。
まるで、その言葉に答えるように。
七日目。
崩落現場の周囲から、人々が退けられた。
救助隊の指示で、近くの通りも封鎖されている。
丘の上では、王と大臣が現場を見守っていた。
「救助すると言いながら、兵まで退けるとは」
王が目を細める。
「あの者たちは、何を始めるつもりだ?」
「新しい技術を使うそうですが……」
大臣も首を傾げた。
「詳しいことまでは、分かりません」
王は、崩れた建物を見つめた。
「あれほどの壁を、人の力で壊せるものなのか」
現場では、最後の確認が行われていた。
崩れた建物の周囲には、倒壊を防ぐための支えが組まれている。
瓦礫の奥に残された空間。そこにいるフォンたちの位置。救助隊が七日かけて調べた情報を、スカラはもう一度確かめた。
「……大丈夫?」
アルスが尋ねる。
「ああ。準備はできている」
そう答えたものの、スカラの目は図面から離れなかった。
アルスは壁を見た。
「フォン!」
返事はない。
「今から助けるからな!」
しばらくして。
コン。
弱い音が返ってきた。
アルスは胸の前で拳を握った。
「……絶対だぞ」
スカラがアルスの肩へ手を置く。
「離れよう」
二人は救助隊とともに、安全を確保した場所へ移動した。
兵士が声を張り上げる。
「全員、退避完了!」
スカラは頷いた。
その手には、用意した火薬を作動させるための道具が握られている。
アルスがその手を見た。
わずかに震えていた。
「……スカラ?」
彼女は答えなかった。
これまで読んだ本に、何度も登場した技術。
その力も、危険性も知っている。
だが、本に書かれた知識を、実際の人間の命に使うのは初めてだった。
うまくいけば、人を救える。
失敗すれば。
スカラは一度、目を閉じた。
――きっと、知識があなたを導いてくれるはず。
あの人の声が蘇る。
「……」
目を開ける。
「アルス」
「何?」
「耳を塞いで、身体を低くしていてくれ」
アルスは頷いた。
スカラは最後の操作を行った。
一瞬。
辺りが静まり返った。
そして。
ドォォォォォン!!
地面が震えた。
腹の底に響く、巨大な音。
アルスは思わず頭を抱えた。
「うわぁぁっ!」
灰色の煙が、崩れた建物を包み込む。
ぱらぱらと小さな石が落ちた。
やがて、煙の向こうで何かが動いた。
ガラッ。
ガラガラガラ――!
「……!」
アルスが顔を上げる。
厚い壁の一部に、大きな亀裂が入っていた。
「……開いた?」
煙が薄れていく。
壁の向こうに、黒い空間が見えた。
「開いたぞ!」
救助隊の一人が叫んだ。
だが、すぐには飛び込まない。残った壁が崩れないことを確かめ、支えを追加していく。
「通れるぞ!」
合図とともに、待機していた人々が動き出した。
「急げ!」
「足元に気をつけろ!」
石を退ける。
折れた鉄骨の隙間を広げる。
誰もが手を伸ばした。
アルスは、開いた穴を見つめていた。
「……フォン」
暗い建物の奥から、かすかな声がした。
「……おい」
アルスの身体が震えた。
「……ゴム」
「……!」
煙の向こうに、一人の少年が座っていた。
頬はこけ、唇は乾き、服は埃まみれ。
それでも手には、黒いゴムを巻いた金槌が握られている。
「……フォン」
少年が顔を上げた。
「ゴム……」
アルスの目から涙が落ちた。
「誰がゴムだよ!」
フォンが笑う。
そして。
「……アルス」
アルスの足が止まった。
初めてだった。
フォンがちゃんと自分の名前を呼んだ。
「……遅いよ」
アルスは駆け出した。
「フォン!!」
救助隊に身体を支えられながら出てきたフォンへ、思い切り抱きつく。
「よかった……!」
声が震える。
「本当に……生きててよかった!」
フォンも、弱々しく腕を回した。
「……今度は、助けられたな」
「……え?」
「塔では、俺がお前を引っ張り上げたのに」
アルスは鼻をすすった。
「借り、返しただけだよ」
「まだ足りない」
「何でだよ!」
フォンが笑った。
アルスも、泣きながら笑った。
すぐ近くでは、小さな子どもが母親の胸へ飛び込んでいた。
「お母さん!」
「よかった……!」
抱き合う親子。
運び出される負傷者。
水を渡す救助隊。
生存者の名前が呼ばれるたび、集まった人々から歓声が上がった。
やがて、誰かが手を叩いた。
ぱち。
ぱち、ぱち。
拍手が広がっていく。
アルスは人々の間を抜け、スカラへ駆け寄った。
「スカラ!」
そのまま抱きつく。
「ありがとう!」
「……苦しい」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「分かったから、離れてくれ」
「嫌だ!」
スカラは困ったように眉を寄せた。
だが、押し返そうとはしなかった。
***
丘の上。
王は今まさに崩れたばかりの壁を見下ろしていた。
「……何という力だ」
大臣も、言葉を失っている。
「あれほどの壁を、一瞬で……」
王は視線を上げた。
救い出された人々が、家族と抱き合っている。その向こうで、アルスたちが笑っていた。
「……見事だ」
王は小さく呟いた。
***
歓声が続く中、スカラは一人、崩れた壁の前へ戻った。
黒く焦げた石。砕け散った破片。
そこに、火薬が生み出した力の跡が残っている。
「……今のは何だ?」
少し離れたところで、職人たちが話していた。
「あんな硬い壁が、一瞬で割れたぞ」
「火薬って言ってたな」
「俺、材料を運んだぞ」
「どうやって、あんな力を出したんだ?」
「採掘にも使えるんじゃないか?」
スカラは顔を上げた。
もう、始まっている。
一度知った人間は、もっと知ろうとする。
知ったことを試し、改良し、別の使い道を見つける。
それは、ゴムの時と同じ。だが、今度は違う。
人を救うために使った力が、別の誰かを傷つける力になるかもしれない。
スカラは足元の黒い燃えかすを見つめた。
一度伝えた知識は、もう消せない。
遠くでは、アルスとフォンが笑っていた。
スカラは、その姿を見た。
二人を助けられたことが、嬉しくないわけではない。
ただ。
喜びだけでは済まない何かが、胸の奥に残っていた。
空へ昇る黒煙が、シェンクゥの街をゆっくりと覆っていった。




