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第二十五話 頂上へ

翌朝。

三人は、巨大なタワーの前に立っていた。


見上げても、頂上が見えない。


壁面を覆っていたガラスはほとんど失われ、無数の黒い窓が空へ向かって積み重なっている。


その入口には、鉄骨を積んだ荷車が何台も並んでいた。


この廃墟も、下の階では採掘が続いているらしい。


「行くぞ!」


フォンが先に歩き出した。


「ちょっと待ってよ!」


アルスも慌てて後を追う。


壁から配管を外す人。

鉄板を荷車へ積む人。

階段を上り下りする職人たち。


最初の十階ほどは賑やかだった。


カン!カン!


あちこちから金属音が響いている。


「……ほら、全然怖くない!」


アルスは明るく言った。


「そういう割に、ずっと壁側を歩いてるじゃん」


フォンが笑う。


「歩きやすいからだよ!」


「へぇ」


だが、十五階へ差しかかった時だった。


「……え?」


階段が、途中でなくなっていた。

崩れた床の向こう側に、続きの階段が見える。


その間には、一本の太い鉄骨が渡されていた。


フォンが覗き込む。


「……ここを渡るしかないな」


「嘘でしょ!?」


「下の階から回る道は、もう塞がってる」


フォンは鉄骨の端を確かめ、慎重に足を乗せた。

反対側へ渡る。


続いてスカラも、ゆっくりと足を進めた。

両手を広げ、無事に渡り終える。


そして、アルス。


「……」


鉄骨の幅は、靴二足分ほど。下は何階分も吹き抜けになっている。


はるか下で働く人々が、小さく見えた。


「……無理」


「怖いなら戻ってもいいぞ」


フォンが声をかける。


「怖くない!」


アルスは勢いで一歩踏み出した。


だが。


「……うっ!」


足が止まる。


下から風が吹き上げた。


背負った荷物が揺れただけで、身体ごと引っ張られたような気がした。


「……どうしたらいいの!?」


「膝を少し曲げて、足元を確認しながら進んで」


スカラが言う。


「え……え……?」


「あんまり一度に言うと、余計怖がるぞ」


フォンが笑った。


「おい、ゴム!」


「何!?」


「こっち見ろ」


アルスが顔を上げる。


フォンが手を振っていた。


「一歩ずつでいい」


「……分かった」


アルスは息を吸った。


一歩。


二歩。


その時、風が吹いた。


身体が揺れた気がして、思わずしゃがみ込む。


「……動けない」


「だったら、手もつけ」


フォンが言った。


「落ちるよりマシだろ」


「……絶対、人に言うなよ」


アルスは四つん這いになった。


ゆっくり。


ゆっくり。


フォンが腹を抱えて笑う。


「笑うな!」


ようやく向こう側へ着いた頃には、全身汗だくだった。


アルスは床へ座り込んだ。


「……絶対、もうやらない」


「何を?」


「高いところで、細いものの上を歩くこと!」


フォンが笑う。


「旅してたら、またあるだろ」


「ない!あっても断る!」


「じゃあ、その時は俺が引っ張ってやるよ」


「……絶対だぞ」


「約束!」


三人は、再び階段を上り始めた。


二十階。


三十階。


階を上がるにつれ、人の気配が消えていった。下から響いていた金属音も、ほとんど聞こえない。代わりに聞こえるのは、風の音と、時々どこかから響く鉄が軋むような音だけ。


「……うわ」


アルスが足を止めた。


壁の割れ目から、小さな木が伸びていた。

根が床を押し上げ、コンクリートに長い亀裂を作っている。


「こんなところにまで木が……」


スカラがしゃがみ込んだ。


「雨水が入り込んでいるんだろう。植物の根が隙間を広げれば、さらに水が入りやすくなる」


「……それって?」


「中の鉄が錆びれば、建物はもっと傷む」


アルスは天井を見上げた。


「……昇ってる途中で崩れたりしないよね?」


「危険な場所は避けるしかない」


「そ、そうだよね……」


「そしたら助けてやるよ」


フォンが笑った。


「そしたらじゃ遅いって!」


三十五階。


フォンが突然、足を止めた。


「……ん?」


床から伸びていた鉄骨の一本が、途中で切断されている。


「……これ、切っちゃ駄目なやつだ」


スカラが隣へ来た。


「分かるのか?」


「だいたいな」


フォンは近くの鉄骨を、金槌の柄で軽く叩いた。


コン。


少し離れた別の鉄骨。


カン。


耳を澄ませる。


「……音が違う」


「どう違う?」


「こっちはまだ、しっかり繋がってる感じがする。でも、あっちは変に響く」


スカラも軽く叩いてみた。


コン。


カン。


「……同じに聞こえる」


フォンが笑った。


「毎日鉄を叩いてるからな。音で分かることもある」


スカラは首を傾げる。


「ただし、音だけで安全かどうかは判断できない」


「でも、怪しいところを見つける手がかりにはなる」


「……なるほど」


スカラは、もう一度叩いた。


コン。


「……やっぱり分からない」


フォンが吹き出した。


「お前、耳悪いな!」


「耳の問題ではない」


「……お前、負けず嫌いだな!」


アルスは思わず笑った。


三人は、さらに上へ進んだ。


四十階を越えると、外壁が大きく失われていた。その向こうに、シェンクゥの街が広がっている。


港。工場。煙突。数えきれないほどの屋根。その中に、コタから来た船も見えた。


「……すごい!」


フォンが身を乗り出す。


アルスは三歩下がった。


「そんなところ立つなよ!」


「平気だって!」


「見てるこっちが怖い!」


スカラは街を見渡した。


「あれを見て」


街の一角を指さす。


何棟かの建物が、周囲とは少し違う角度で傾いていた。


「……あの辺」


フォンの顔が変わった。


「最近、採掘が増えてるところだ」


「それに、あの壁」


スカラは指した別の建物は、上から下へ、長い亀裂が走っている。


「外から見える傷みだけでは断定できない。でも、詳しく調べる必要がある」


「……上から見ないと分からないことがあるんだな」


フォンが呟いた。


その時。


カン。


上の階から、音がした。


カン。カン。


金属を外すような、規則的な音。


「……誰かいる」


三人は顔を見合わせると、音のする方へと階段を上っていった。


***


五階ほど上ったところだった。


カン!カン!


数人の男たちが、壁から銅線や機械部品を取り外していた。


背中には、大きな袋。


フォンが眉をひそめた。


「……廃墟漁りだ。許可のない場所まで入って、鉄や部品を取っていく連中だよ」


一人の男が振り返った。


「……何だ、お前ら」


険しい声と共に、男は手にした鉄棒を一斉に持ち上げた。


フォンが一歩前へ出る。


「おい!あんたたちが柱まで抜くから、採掘場が崩れてるんだよ!」


男が鼻で笑った。


「証拠は?」


「……何?」


「俺たちが抜いたせいで崩れたって証拠があるのか?」


フォンは言葉に詰まった。


男は周囲を指さした。


「安全な下の階なんか、とっくに掘り尽くされてるんだよ」


「……」


「俺たちが上まで来なきゃ、鉄が足りなくなる。むしろ感謝されたいぐらいだ」


フォンは唇を噛んだ。


「……だからって許可無くどこでも掘っていいわけじゃない。それにこのままだと、あんたらもいつか事故に――」


「知ってるよ」


男は即答した。


「危ないことくらい、最初から分かってる。でも、そうしなきゃ食っていけねぇ」


背後には、フォンと変わらないくらいの年の少年もいた。


スカラが男を見た。


「死んだら、金を稼ぐ意味もなくなる」


「じゃあ」


男は即座に返した。


「明日の飯、お前がくれるのか?」


「……」


スカラは答えられなかった。


男は鼻で笑った。


「お前ら平和だよな。正しいこと言ってりゃ、腹が膨れると思ってる」


スカラは口を閉じた。


以前、村長のオサにも似たことを問われた。


――あなたが去った後、この村で暮らしていくのは誰です?


「……」


スカラは、男たちを見た。


「では、頂上に昇らせてもらうだけでいい」


「駄目だ」


「なぜ?」


「お前らが危険だって騒いだら、ここも立入禁止になるだろ」


男は鉄棒を握り直した。


「帰れ。俺たちの仕事を邪魔するつもりなら、ただじゃ済まねぇぞ」


その時だった。


フォンが、スカラの腕を引いた。


「……行くぞ!」


「どこへ?」


「別の階段がある!」


「おい!」


男たちの怒鳴り声を背に、三人は走った。


階段を上る。崩れた床を飛び越える。古い部屋を突っ切る。


「右!」


フォンが叫ぶ。


「そっち行き止まり!」


アルスが言う。


「じゃあ左!」


「左は床がない!」


「もっと早く言え!」


背後から足音が迫っていた。


その時。


チリッ。


スカラの腕に、微かな刺激が走った。


「……?」


袖の下に、淡い光の輪が一本浮かび上がる。


「……ホットスポット?」


スカラは足を止めかけた。


旧文明の通信設備が、この建物のどこかでまだ生きている。


スカラは走りながら腕を上げた。指先で操作すると、目の前に淡い光の枠が浮かび上がった。


フォンが目を丸くする。


「……何だ、それ!?」


「出た!魔法!」


アルスが叫ぶ。


「魔法ではない。旧文明の通信を利用して――」


「説明はあと!どっち!?」


スカラは光の枠を見た。古い文字と、見取り図が表示されている。


「建物の図面か!そんなもの、どこから!?」


「近くの設備が応答したんだ。保存されていた情報の一部を読み出した」


フォンもアルスも言葉の意味は分からないが、それ以上聞かなかった。


スカラは図面を確かめる。


「……こっち!」


三人は廊下を曲がった。


その先に、一枚の金属扉。


フォンが取っ手を引く。


「……開かない!」


スカラが古い錠前を調べる。


「機構が錆びている」


「急いで!」


フォンが金槌を振り上げた。


ガンッ!


錠前の周囲へ亀裂が走る。


もう一撃。


ガンッ!


金属が外れ、扉が開いた。


「入って!」


三人が飛び込む。


フォンが扉を閉め、アルスが倒れた棚を引き寄せて押さえた。


廊下の向こうから、男たちの怒鳴り声が聞こえた。


やがて足音が遠ざかる。


「……行った?」


アルスが囁いた。


「まだ分からない」


スカラは光の図面を見た。


上層階へ続く、別の通路がある。


「……この先だ」


「本当に?」


「図面では、ね」


「その言い方やめてよ!」


三人は、慎重に歩き始めた。


その時だった。


スカラの視界の端に、別の文字が浮かんだ。


『上層通信設備――応答』


「……?」


図面の右上で、小さな印が明滅している。


どうやら、通信の発信元はさらに上にあるらしい。


スカラは、思わず天井を見上げた。


その瞬間。


白い光が、頭の中をかすめた。


長い通路。規則正しく並ぶ扉。その奥に、誰かの足音。


「……っ」


目を閉じると、もう今の景色は、図面には表示されていなかった。


あの村でも、頭の中に入り込んできた妙に既視感のある風景。

ここは初めて来た場所のはずなのに。


「スカラ?」


アルスが振り返る。


「……どうしたの?」


「いや」


スカラは首を振った。


「行こう」


さらに階段を上ると、突然アルスの前の視界が開けた。


「……うわぁぁぁ!」


外壁が丸ごと失われていた。


そこには空しかない。


はるか下に、シェンクゥの街。その向こうには、青い海。


建物の外側には、細い作業用の足場がさらに向こうの別の入口まで続いている。


「……違う道、探そう」


アルスが言った。


フォンは背後を振り返る。


「もう戻れないぞ」


遠くから、男たちの声が聞こえる。


スカラは図面を見た。


「……ここを渡れば、上へ行ける」


「……本当に?」


「図面上はな。足場の状態までは、図面では分からない」


「そこが一番大事だよ!」


フォンが足場の付け根を調べた。


金槌で軽く叩く。


コン。


少し離れたところを叩く。


「……怪しいな」


「何が?」


「端の方、かなり錆びてる。急に力をかけるなよ」


「やっぱり引き返そう!」


「戻ったら、さっきの連中がいる。どうする、ゴム?」


アルスは唇を噛んだ。


怖い。


本当に怖い。


だが、ここまで来た。


「……行く」


小さく呟いた。


「絶対、ゆっくりだからね!」


三人は、安全を確かめながら足場へ進んだ。


フォンが先。


スカラが続く。


最後尾にアルス。


強い風が、服を叩いた。


アルスは足を止めた。


さっきの鉄骨より、ずっと細い。


それでも、今度は引き返さなかった。


「アルス!」


フォンが声をかける。


「俺を見ろ!」


アルスが顔を上げる。


フォンが向こうから手を伸ばしていた。


「下を見るな。俺を見て歩け」


「……お前の顔も、今はあんまり見たくない」


「減らず口叩けるなら大丈夫だ!」


一歩。


また一歩。


フォンだけを見る。


その時だった。


ガンッ!


背後から金属音が響いた。


「いたぞ!」


振り返ると、さっきの廃墟漁りの少年が足場へ出てきていた。


手には鉄棒。


「……うそ!」


アルスが思わず立ち止まる。


ギィィィ……。


足元から、嫌な音がした。


フォンの顔が変わる。


「二人とも動くな!」


錆びた足場の付け根が、わずかに沈んでいる。


少年が気づいた時には遅かった。


「……え?」


バキンッ!


接合部が弾けて、足場が大きく傾く。


「うわっ!」


アルスの足が滑った。


身体が、宙へ投げ出された。


「アルス!!」


フォンが手を伸ばした。


指先が、アルスの腕を掴む。


だが。


その重みに引かれ、フォンの身体まで足場の外へ傾いた。

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