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第十六話 不思議な森のカップ

「ここです!」


森の奥から、ヤナの声がした。


「カップを見つけた場所!」


スカラとアルスが駆け寄る。


足元には、小さな陶器のカップが転がっていた。


一つ。


二つ。


目を凝らすと、さらに奥にも。


まるで誰かが、一定の間隔で置いていったかのようだった。


「……何だこれ?」


アルスが一つ拾い上げる。


「なんで、こんな山奥に食器が?」


「あっ!」


ヤナが一本の木を指さした。


「こっちにもあります!」


見ると、陶器のカップが木の幹に半分ほど埋まっていた。


「ええ!?」


アルスが目を丸くする。


「どうやったら、こんな硬いものが木の中に入るの?」


「逆だ」


スカラが近づいた。


「カップが木に入ったんじゃない」


「え?」


「カップが先にあったんだ」


陶器と樹皮の境目へ指を這わせる。


「その周りを、木が長い年月をかけて成長した」


アルスはもう一度カップを見た。


「じゃあ、これって……」


「かなり古いね」


スカラは表面の土を払うと、カップの縁には小さな印が刻まれている。


「……!」


スカラの目が細くなった。


「旧文明のものだ」


アルスとヤナは、思わず森を見渡した。


ざわざわと、無数の葉が揺れる。


スカラは一本の木へ近づいた。


樹皮には、斜めに走る古い傷跡がある。隣の木にも、さらに隣の木にも。


よく見ると木々はほぼ等間隔に並んでいた。

同じ種類の木ばかりが、森の奥まで続いている。


「……なるほど」


スカラが呟いた。


「アルス。このカップは、食器じゃない」


「え?」


「木から出る液体を集めるための器だ」


「木から?」


「そう」


スカラはヤナを見た。


「この木から白い汁が出るんだね?」


「はい!昔から籠に塗ったり、雨よけに使ったりしています」


スカラは小さく頷いた。


そして、古い傷跡の近くへナイフを当てた。


樹皮をごく薄く削る。


すると。


白い液体が、ぷくりと膨らんだ。


一滴。


ゆっくりと幹を伝う。


ポツン。


カップの底へ落ちた。


「わぁ……!」


ヤナが目を輝かせる。


スカラは指先に、ほんの少しだけ液体を取った。


白く、粘り気がある。


水とは、明らかに違う。


「……やはり」


「何が?」


アルスが尋ねる。


スカラはヤナの籠を見た。


水を弾く内側の膜。

乾いた膜に残る弾力。

そして、目の前の白い液体。


ばらばらだった情報が、一つにつながった。


「……ゴムだ」


「ゴム?」


「加工すれば、伸び縮みして、水を通しにくい素材になる」


アルスは白い液体を見た。


「水を通さない……?」


次の瞬間、目を見開いた。


「それって!」


「ああ」


三年間、二人がずっと探していたものだった。


荒れた海で、船体の継ぎ目から入り込む水。

強い波を受けるたび、わずかに動く木材。


その動きに合わせて形を変え、水の侵入を防ぐ素材。


「これなら、船に使えるかもしれない」


「じゃあ……!」


アルスの顔が輝いた。


「船が完成する!?」


「まだ試験が必要だ。熱や海水にどこまで耐えられるかも分からない」


スカラはもう一度、白い液体を見た。


「でも、今までで一番有力な材料だよ」


「やったじゃん!」


アルスが笑った。


「三年間探してたんでしょ!?」


「ああ」


スカラも、ほんの少し笑った。


だがアルスは、不意に口を閉じた。


船が完成する。

それは、スカラがコタを出ていくということだ。


「……」


スカラは気づかず、周囲の木々を見渡していた。


等間隔に並ぶ幹。

繰り返された傷跡。

朽ちかけた採液カップ。


「……ここは、ただの森じゃない」


「え?」


アルスが顔を上げる。


「昔は、ゴムを採るための農園だったんだ」


「農園?」


「ああ。人が植えて、育てて、液体を集めていた」


スカラは森の奥を見た。


「長い年月が経って、森に戻ったんだろうね」


アルスは改めて木々を見渡した。


どこまでも深い緑は、人の手が入っていたとは到底思えない。それでも、木々は今も規則正しく並んでいる。


「……すごいな」


アルスが呟いた。


「こんな昔の人たちが、残してくれたんだ」


スカラは頷いた。


「でも、見つけられたのはヤナのおかげだ」


「……私?」


ヤナが驚いて顔を上げる。


「最初に会った時、君の籠が雨を弾いていた」


スカラは籠を指さした。


「私はゴムという素材を知っていた。でも、この森にあることは知らなかった」


「……」


「君たちは、ずっと使っていたんだね」


ヤナは籠を見下ろした。


「これ……普通のものだと思ってました」


「そうだろうね」


スカラは小さく笑った。


「私が知らないことを、君たちは知っていた」


ヤナが顔を上げる。


「……私たちが?」


「ああ」


スカラは頷いた。


「だから、ありがとう」


ヤナは少し驚いたようにスカラを見つめていた。


やがて、照れくさそうに笑った。


「……どういたしまして!」


ポツン。


また一滴、白い液体がカップへ落ちた。


スカラはその音を聞きながら、もう一度森を見渡した。


旧文明の人々が植えた木。

何世代にもわたって受け継がれてきた村の知恵。


その二つが、今になって船を造る力になろうとしている。


「……さて」


スカラが顔を上げた。


「少し、持ち帰って試してみよう」


「うん!」


アルスが頷く。


「今度こそ、うまくいくといいね!」


「ああ」


三人は採取した液体を慎重に容器へ移した。


その背後では、古いカップが何も知らないまま、静かに木々に抱かれていた。


***


森から採れた液体は、少しずつコタへ運ばれるようになった。


スカラと職人たちは、乾燥の仕方や混ぜる材料を変えながら、試験を重ねる。


水は弾くが、熱でべたつく。


柔らかく仕上がっても、日差しを浴びるとひび割れる。


うまく継ぎ目を塞げたと思っても、木材を曲げると剥がれてしまう。


失敗するたびに、アルスは試した材料と結果を書き留めた。


「……これもダメか」


「完全にダメというわけじゃない」


スカラが答える。


「どんな条件で使えるか、一つ分かった」


「……スカラって、本当に諦めないよね」


「三年間、諦めなかったからね」


アルスは笑った。


「……そうだね」


試験は続いた。


乾燥させただけのゴムは、熱で柔らかくなり、思うように使えなかった。


それでも配合や加工方法を変え、ほかの材料と組み合わせるうちに、ようやく船体の継ぎ目へ使える見込みが立ち始めた。


同じ頃、村の人々も新しい使い方を考え始めていた。


籠の防水。

雨具。

水を運ぶ袋。


一方のコタからは、魚や塩、道具が山へ届けられるようになった。

山の人々は、ゴムや薬草を海辺の町へ運んだ。


かつて、互いを恐れていた二つの村。その間の山道を、今では人と物が行き交っている。


ある日。

試作品を水に沈めていたアルスが、顔を上げた。


「……スカラ!」


「何だ?」


「見て!」


継ぎ目を塞いだ木片を持ち上げる。裏側には、水が染み込んでいない。


「……どう?」


スカラが近づいた。


木片を曲げ、継ぎ目を確かめる。


しばらくして、頷いた。


「……これなら、次の試験に進めそうだ」


「本当!?」


「ああ」


アルスは思わず拳を握った。


「やった!」


スカラも笑った。


三年間、探し続けてきた素材。何度も失敗した船の防水。


ようやく、先へ進めるかもしれない。


アルスは、作業場の向こうを見た。


浜辺には、造りかけの船がある。


ずっとそこにあった船。毎日、少しずつ完成へ近づけてきた船。それが今、初めて本当に海へ出られるかもしれない。


「……そっか」


アルスが小さく呟く。


「どうした?」


スカラが尋ねた。


アルスは振り返った。


「ううん」


そして、笑った。


「もう少しだね」


「ああ」


スカラは頷いた。


「もう少しだ」


アルスは、もう一度船を見た。


三年間、ずっと待ち望んでいた言葉だった。なのに、今は少しだけ、違って聞こえた。

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