第十五話 呪いとの闘い
村人たちが呪いと呼んでいた病気との、本当の戦いが始まった。
ただし、スカラが最初に指示したことは、誰もが予想しないものだった。
「ゴミを拾おう」
「……は?」
村人たちが顔を見合わせた。
「その割れた壺も」
「これか?」
「ココナッツの殻も」
「呪いと闘うんじゃなかったのか?」
「闘っているよ」
スカラは当然のように答えた。
村人たちは首を傾げながらも、広場や家の周りに転がった物を拾い始めた。
「次は、ここの窪みを埋める」
土を運び、地面をならす。水が溜まりやすい場所には細い排水路を掘り、家々の水瓶には蓋をした。
「今度は何だ?」
「雨が降れば分かる」
「……ますます分からんぞ」
スカラは空を見上げた。
その時。
ざざざ……。
遠くの森で、木々が一斉に揺れ始めた。
冷たい風が村を抜ける。
次の瞬間。
ザアアアアアッ!
大粒の雨が降り注いだ。
「うわっ!」
村人たちが軒下へ駆け込む。
雨はたちまち地面を濡らし、屋根を叩いた。
だが。
「あ……」
一人が声を上げた。
「水が、流れていく」
今までなら水たまりになっていた場所を、雨水が溝に沿って流れていた。
「おお……!」
「こんなに違うのか!」
アルスも目を輝かせた。
「スカラ!水たまりができてない!」
「正確には、できにくくなった。雨がやんだら、ほかの場所も確かめよう」
「でも、なんで水たまりをなくすの?」
スカラは雨を避けて軒下へ飛んできた小さな虫を指さした。
「蚊を増やさないためだ」
「……蚊?」
村人たちが顔を見合わせた。
「この虫が、病気を運んでいる可能性が高い」
「はぁ!?」
「蚊が!?」
「そんな馬鹿な!」
スカラは頷いた。
「蚊は人間の血を吸う。その時、病気の原因になる寄生虫を運ぶ種類がいる」
一人の男が、自分の腕を見た。
いくつもの虫刺されの跡。
「……こんな小さなやつが?」
「ああ。ただし、どの蚊が関わっているのか、まだ確かめる必要がある」
スカラは地面に落ちた割れた壺を拾うと、底には雨水が少し溜まっている。
「蚊の幼虫は水の中で育つものが多いから、そうした水溜まりを減らすんだ」
「それでゴミ拾いか!」
「そう」
村人たちは、もう一度水の流れを見た。
自分たちが毎日見ていたものが、病気と繋がっているかもしれない。
「……なあ」
一人が口を開いた。
「ほかにも、できることはないのか?」
スカラは顔を上げた。
「あるよ」
***
「それ、山で採ってた草だよね?」
アルスが籠を差し出すと、中には細長い緑の葉が入っていた。
「レモングラスだ」
「休憩ついでに採ってたやつ!」
「……休憩ついでは余計だ」
スカラは葉を一本取り出した。
「この植物には、蚊が嫌う成分が含まれている」
「じゃあ、これで蚊を追い払える?」
「多少の効果は期待できるが、これだけでは不十分だ」
「……そっか」
アルスは考え込んだ。
その時、広場の隅に積まれた網が目に入った。
「……あれ?」
「何?」
「蚊って、網を通り抜けられる?」
「目が大きければね」
「じゃあ、小さくすれば?」
スカラが顔を上げた。
「……そうだね」
アルスの目が輝く。
「だったら、俺にも作れるよ!」
「本当?」
「父さんに散々教わったからね!」
その日の夕方。
広場には、細かな網を編む村人たちの姿があった。
アルスが手本を見せる。
「ほら、ここをこう通して……」
「おっ、できた!」
「もう少し細かく!」
「そうそう!」
ヤナも隣に座り、小さな指で網を編んでいた。
最初はうまくいかなかった。糸が絡まり、目の大きさも揃わない。それでも、何度もやり直すうちに、少しずつ形になっていった。
「できました!」
ヤナが編み上げた網を持ち上げる。
「すごいじゃん!」
アルスが笑った。
「……えへへ」
その夜、村には初めて、蚊帳に囲まれた寝床ができた。
***
それから、村の暮らしは少しずつ変わり始めた。
雨が降れば、水の溜まる場所を確かめる。水瓶には蓋をし、夜には蚊帳を張る。
破れた網は、村人たちが自分で直した。
病気になった人を隠すことも、少しずつ減っていった。
「熱が出たら、我慢せずに知らせて」
スカラが言った。
「脚が腫れている人は、皮膚を清潔に保ち、傷がないか確かめよう」
アルスとヤナも家々を回った。
寝込んでいる人へ食べ物を届け、水を運ぶ。歩くのが難しい人には、必要なものを届けた。
そのうち、スカラが何も言わなくても、村人たちは動くようになった。
長い間、彼らは病気になるたび神に問いかけてきた。
なぜ自分なのか。
なぜ罰を受けたのか。
だが、今は違う。
調べる。考える。試してみる。
それが、彼らの新しい戦い方になった。
もちろん、病気がすぐに消えたわけではない。
長年腫れた脚が、元に戻ることもなかった。
それでも、清潔な水で皮膚を洗い、手当てを続けることで痛みや炎症が和らぐ人もいた。
熱が出ても、隠さずに助けを求めるようになった。
さらに、スカラたちはコタの人々と協力し、治療に必要な薬を手に入れる方法も探し始めた。
数か月が過ぎた。
病気との戦いは、まだ続いている。それでも、一つだけ確かなことがあった。
村人たちはもう、自分たちを呪われた存在とは呼ばなくなっていた。
***
ある日。
スカラたちはオサの家へ呼ばれた。
オサは三人の前に座ると、深々と頭を下げた。
「あなた方のおかげで、村は変わり始めました」
「違う」
スカラの即答に、オサが顔を上げる。
「最初に立ち上がったのはヤナだ」
隣にいる少女を見る。
「その言葉を信じて動いたのは、村の人たち」
そして、アルスを見る。
「アルスもだよ」
「……俺?」
「アルスが雨の中でヤナへ声をかけなければ、私はここへ来なかった」
アルスは照れくさそうに頭を掻いた。
「俺は別に、大したことは……」
「大したことだよ」
スカラはまっすぐ少年を見ていた。
「知識だけでは、誰にも届かないからね」
アルスは、少し驚いたように笑った。
「……そう言われると、嬉しいな」
「事実を言っただけだ」
「うん。それでも嬉しいよ」
オサは二人の様子を見つめ、静かに微笑んだ。
「……本当に、ありがとうございました」
スカラは頷いた。
「ところで、一つ頼みがある」
「何でしょう?」
「あなたの奥さんを診せてほしい」
オサの表情が固まった。
「……なぜ」
かすれた声だった。
「なぜ、妻が病気だと?」
スカラは少し考えた。
「あなたが、あまりにも真剣だったから」
「……」
「村を守ろうとしていた。何かを失うことを、強く恐れているように見えた」
オサは目を伏せた。
長い沈黙。
そして。
「……妻が病に倒れた時」
ぽつりと話し始めた。
「私は、何度も神へ問いかけました」
「……」
「なぜ、私ではないのか。なぜ、彼女なのか」
オサは拳を握った。
「ですが、ある時、思ったのです」
顔を上げる。
「これは、私の醜い心への罰なのだと」
ヤナが息を呑んだ。
「私は……病気が怖かった」
オサは苦しそうに続けた。
「村の誰かが病に倒れたと聞くたび、心のどこかで……自分ではなくてよかったと安心していました」
誰も言葉を発しなかった。
「誰かが苦しんでいるのに、私は安心した」
オサの声が震える。
「そして妻が倒れた時、ようやく分かったのです。神は、そんな私を許さなかったのだと」
長い沈黙が落ちた。
スカラは黙って聞いていた。
かつてならすぐに否定しただろう。他人が病気になって安心したことと、妻が病気になったことに因果関係はない。それだけの話だと。
だが、今は少し違った。
「……オサ」
スカラが口を開く。
「奥さんが病気になったのは、あなたのせいではない」
「……」
「誰かが病気になって安心したからといって、それが病気の原因になるわけじゃない」
オサは俯いたままだった。
スカラは少し間を置いた。
「……怖かったんだね」
「……!」
「自分や、大切な人が同じようになることが」
オサの肩が震えた。
やがて、小さく頷く。
「……ええ」
スカラは静かに言った。
「だったら、今度は一緒に調べよう」
「……?」
「奥さんを診せてほしい。今できることを探したい」
オサは顔を上げた。
何かを言おうとして、言葉が出なかった。しばらくして、深々と頭を下げた。
「……お願いします」
スカラは頷いた。
そして。
「それと、もう一つ」
「……はい?」
スカラは窓の向こう、深い森へ目を向けた。
「あの森へ入る許可が欲しい」
「……森?」
「ヤナから聞いた。白い汁を出す木があるそうだね」
「ああ……」
オサが頷く。
「確かに、あります」
「調べてみたい」
スカラは続けた。
「その素材が使えれば、三年間造れなかった船が完成するかもしれない」
アルスが顔を上げた。
「……船?」
スカラは頷いた。
「そう。ようやく北へ行けるかもしれない」
部屋が静かになった。
ヤナが嬉しそうに微笑み、オサも頷いた。
だが、アルスだけは何も言わなかった。
三年間、スカラが一生懸命に造ってきた船。もちろん自分も完成してほしいと願っていた。
なのに。
「……そっか」
アルスは小さく笑った。
「よかったね、スカラ」
「ああ」
スカラも微笑んだ。
その笑顔が少しだけ寂しそうだったことに、彼女は気づかなかった。




