第十四話 黒い箱の言葉
村の広場。
スカラとアルスは、背中合わせに縛られていた。
周囲には大勢の村人たち。広場の中央には、村長のオサが座っている。その目に、昨日までの穏やかさはなかった。
「恩人であるあなた方を、このような目に遭わせたくはありませんでした」
「その割には、結構きつく縛ってるけどね」
「スカラ!挑発しないで!」
アルスが小声で囁く。
オサは気にせず続けた。
「ですが、我々の掟を破り、病人の家へ勝手に入り込んだ以上、見過ごすわけにはいきません」
「ヤナの母親には許可をもらった」
スカラが答えた。
「病気についても、いくつか分かったことがある」
村人たちがざわつく。
「これは呪いじゃない。病気だ」
その瞬間、広場が静まり返った。
オサは拳を握りしめた。
「……黙りなさい」
「原因を調べれば――」
「黙れと言っている!!」
怒声が響いた。
アルスがびくりと身をすくめる。
オサの目は血走り、握った拳が震えていた。
「仮に……」
低い声だった。
「仮に、それが病気だったとして、何が変わるのです?」
「原因が分かれば、対策できるかもしれない」
「そうではない!」
オサが立ち上がった。
「この村が病に冒されていると知れれば、島の人間たちはどうすると思いますか!?」
スカラは黙った。
「今でさえ我々は忌み嫌われている!近づくな、触れるな、災いが移ると!」
声が震える。
「これが病気だと知れれば、今度こそ病がうつると恐れ、我々を追い払うでしょう!」
広場の村人たちが俯いた。
「かつて、この村を焼き払おうとした者たちもいたのです」
アルスが顔を上げた。
「……焼き払う?」
「ええ。病が島へ広がると恐れたのです」
オサは唇を噛んだ。
「我々は呪われた、哀れな者たち。神の罰を受け、ここから出ることを許されない。そう言い続けることで、ようやく静かに暮らせるようになったのです」
「……」
「誰も近づかない。誰も関わらない。だが、誰も我々を追い出さない」
オサはスカラを見た。
「それが、この村の百年の平穏なのです」
アルスは言葉を失った。
呪いという言葉が、人々を苦しめている。
だが同時に、その言葉が村を外の世界から守ってもいた。
「だから」
オサは声を落とした。
「お願いです。半端な希望で、我々の暮らしを壊さないでいただきたい」
スカラはしばらくオサを見つめた。
「それなら、一つ聞きたい」
スカラは顔を上げた。
「このまま病気が続いても、村は生き残れるのか?」
「……!」
「村を守るために、村人が病気で苦しみ続けることを受け入れる。それは本当に、村を守っていることになるのか?」
オサは答えなかった。
やがて、絞り出すように言った。
「……では、あなたが去った後は?」
「……?」
「病のことが知れ渡り、再び島の人間たちが我々を追い払おうとしたら」
オサはスカラを見つめた。
「あなたの知識は、我々を救うかもしれない。ですが、その結果起きることまで、あなたは引き受けてくださるのですか?」
「……」
「……よそ者のあなたに」
オサが呟く。
「この百年の孤独が、分かるはずがない」
その時。
チリッ。
スカラの腕に刺激が走った。
「……?」
袖の下に、淡い光が浮かぶ。
一本。
二本。
そして、三本。
「……三本?」
オオカミ岩以来だ。
スカラは周囲を見回した。
家々。
広場。
祭壇。
そこで、目が止まった。
花や布に飾られた祭壇の上に、黒い立方体が置かれていた。
「……あれは」
滑らかな黒い表面。角には細い溝が走り、ところどころに古い文字が刻まれている。
スカラは目を凝らしたが、布に隠れて、その大部分が見えない。
『――我々は、罪を背負っている』
突然、声が響いた。
アルスが振り返る。
「……あっ!」
峠で聞いた、あの声だ。
『――罰から、逃げてはならない』
村人たちが一斉に頭を垂れた。
「神の声だ……」
「原罪から逃げてはならない」
「我々は罰を受けている」
『――運命に、逆らってはならない』
黒い箱が、同じ調子で言葉を繰り返す。
アルスが眉をひそめた。
「……なんか、おかしくない?」
「何が?」
「さっき村長が言ってたことと、同じだよね」
確かに、声の調子こそ違うが、語られているのは村人たちが口にしていたものばかりだった。
「……旧文明の音声装置か」
「音声装置?」
「人間の声や音楽を記録して、再生するための機械だ」
「じゃあ、神様の声じゃないの!?」
「少なくとも、機械から出ている声だ」
スカラは黒い箱を見つめた。
「ただ、誰がこの言葉を記録したのかは、分からない」
『――罰から、逃げてはならない』
オサも、村人たちも、当たり前のように頭を垂れている。生まれた時から、この声を聞いてきたのだろう。
「……もし」
スカラが呟いた。
「誰かがこの機械に言葉を残し、それを次の世代が聞き、また同じ言葉を残してきたのだとしたら……」
アルスはヤナを見た。
小さな少女が、村人たちの中で俯いている。
病気の母親を看る時も、一人で市場へ行く時も、誰にも近づいてもらえなかった時も、きっとこの言葉を聞いてきた。
「……みんな、ずっとそう教えられてきたんだ」
アルスにも覚えがある。
繰り返される言葉は、知らず知らずのうちにそれを真実だと思い込ませる力がある。
スカラはオサを見た。
「ただ、この言葉を信じることで村を守ってきた人もいる。自分で選んだつもりの人もいるだろう」
アルスはもう一度ヤナを見た。その小さな肩が、震えていた。
その時。
スカラの腕の輪が、淡く明滅した。
「……?」
頭の奥に、かすかな音が響いた。
『――接続を確認』
「……!」
今までの声とは違う。誰かが広場へ向けて話しているのではなく、自分だけに届く短い通知のような声。
スカラは顔を上げたが、誰も反応していない。
『――照合中』
「……誰だ?」
思わず呟くが、返事はない。
代わりに、一瞬だけ白い通路が頭をかすめた。
規則正しく並ぶ扉。
明るい天井。
峠で見たあの奇妙な景色。
「……っ」
今の通信と、関係があるのだろうか。スカラは目を閉じて、記憶を探る。
だが。
確かめる間もなく、オサの怒声が響いた。
「ヤナ!」
少女の肩がびくりと動いた。
「なぜ、よそ者を家へ招いた?」
「……」
「村の掟を、忘れたのか?」
「……」
「答えなさい!」
ヤナは俯いたまま、声が出ない。
『――罰から、逃げてはならない』
黒い箱が繰り返す。
村人たちの視線が、ヤナへ集まった。
逃げたい。怖い。何も言わず、頭を下げればいい。今まで、ずっとそうしてきたのだから。
「ヤナ!」
アルスが叫んだ。
少女が顔を上げる。
「昨日、話したよね!」
「……!」
「怖くてもやるって!」
オサがアルスを睨む。
「よそ者は黙っていなさい!」
「でも!」
アルスは声を張った。
「俺は、ヤナがどうしたいのか聞きたい!」
広場が静まった。
「決めるのは、ヤナ自身でしょう!」
スカラは、その間もゆっくりと手首を動かした。ずっと結び目の形を確かめていた。濡れて少し緩んだ縄を、指先で引き寄せる。
するり。
片方の手が抜けた。
「……よし」
「え!?いつの間に!?」
アルスが目を丸くする。
スカラは素早くアルスの縄も解いた。
「ほどき方か?結び目の構造を利用すれば――」
「今は説明いい!」
二人が立ち上がると、村人たちがざわついた。
スカラはヤナへ歩み寄る。
「ヤナ」
少女が顔を上げた。
「ここを出たいなら、私たちと一緒に逃げる方法もある。お母さんも一緒に」
「……!」
「ここに残るなら、その方法を考えよう」
スカラは、静かに尋ねた。
「君は、どうしたい?」
ヤナは俯いた。
村を出て、ここから逃げれば、もう呪いの声を聞かずに済むかもしれない。
誰にも責められない場所で、母親と暮らせるかもしれない。
でも。
この村に残る人たちは?
十年後。百年後。また誰かが、自分と同じ場所で泣くのだろうか。
『――運命を受け入れなさい』
黒い箱が呟いた。
ヤナの拳が震えた。怖い。
村長の顔。
村人たちの目。
子どもの頃から聞かされてきた言葉。
全部が、自分を座らせようとする。
――黙っていなさい。
――お前たちは呪われている。
――罰から逃げてはならない。
その時、アルスの声が浮かんだ。
――怖くてもやる。
ヤナは、母親の手を思い出した。
毎晩、痛みに耐えながら、自分の頭を撫でてくれた手を。
ヤナは大きく息を吸った。
「……スカラさん」
「何だ?」
「ありがとうございます」
小さな声だった。
「私……」
顔を上げる。
「逃げたくない……です」
オサが眉を寄せた。
「……ヤナ?」
少女の唇が震える。
「……違う」
誰にも聞こえないほどの声だった。
「何?」
オサが聞き返す。
ヤナは、もう一度息を吸った。
「違うと思います!!」
広場に声が響いた。
村人たちの注目が集まる。
ヤナの足は震えていた。それでも、もう俯かない。
「私たちは、呪われてなんかいない!」
「ヤナ!」
オサが叫ぶ。
「お前、自分が何を言っているか――」
「だって!」
ヤナの目から涙が溢れた。
「私たち、何も悪いことしてない!お母さんだって!村のみんなだって!ずっと一生懸命生きてきた!」
声が震える。
「なのに、どうして自分たちが悪いって思わなきゃいけないんですか!?」
オサが立ち上がった。
「それが、我々の運命だ!」
「だったら!」
ヤナも叫び返した。
「そんな運命、変えます!」
広場が静まり返った。
ヤナは涙を拭った。
「失敗するかもしれない。病気が治らないかもしれない。もっとつらい思いをするかもしれない」
「……」
「でも、何もしないでお母さんが苦しむのを見ているより、ずっといい!」
村人たちを見る。
「私は、闘いたい」
小さな拳を握りしめた。
「だから……誰か、力を貸してください!」
沈黙。
誰も何も言わない。
黒い箱だけが、同じ言葉を繰り返していた。
『――罰から、逃げてはならない』
その時。
「……ヤナ」
一人の女性の声がした。
村人たちが振り返ると、広場へ続く道に女性が立っていた。
「お母さん……?」
ヤナの母親だった。片手に杖を握り、もう片方の手で家の壁を支えている。ヤナたちが連れていかれた後、娘を追って来たのだろう。
腫れ上がった脚を、隠していない。
村人たちが目を逸らす。
それでも、母親は進んだ。
一歩。
また一歩。
「お母さん! 無理しないで!」
ヤナが駆け寄る。
母親は首を振った。
「……大丈夫」
苦しそうに息を整え、娘の肩へ手を置く。
「ずっと、ごめんね」
「……え?」
「お母さんが病気になったせいで、あなたにばかり苦労をかけて……」
ヤナが首を振る。
「違うよ!お母さんは悪くない!」
「……ありがとう」
母親は微笑んだ。そして、村人たちを見る。
「私も、この子と一緒に闘いたいんです」
誰も答えなかった。
長い沈黙。
やがて、一人の女性が口を開いた。
「……ヤナには」
声を震わせながら言う。
「うちの分まで、いつも市場で買い物してもらってた」
別の男も頷いた。
「うちもだ」
「いつも助けてもらってばかりだった」
一人。
また一人。
「ヤナがここまで言ってるんだ」
「俺たち大人が、何もしないわけにはいかねぇよな……」
だが、その時。
「待ってくれ!」
一人の男が声を上げた。
「俺だって、呪いだなんて思いたくねぇよ!」
村人たちが振り返る。
「でも、村長の言うことだって本当だろ!」
男はアルスを指さした。
「病気だって知れたら、島の連中はどうする?また追い出されるかもしれねぇんだぞ!」
その時、アルスが一歩前へ出た。
「……俺が、父さんに話す」
「……何?」
「コタのみんなにも話す!」
アルスは村人たちを見た。
「すぐには信じてもらえないかもしれない。でも、俺たちの村だって、オオカミ岩をずっと怖がってた」
「……」
「知らないから怖いんだ。だったら、ちゃんと知ってもらえばいい!」
男は腕を組んだ。
「……口で言うのは簡単だ」
「うん」
アルスは頷いた。
「だから、俺も手伝う」
「……」
「スカラがいなくなった後も、ヤナはここにいる。コタには父さんたちもいる」
アルスはヤナを見た。
「一人で闘わせたりしないよ」
ヤナの目から、また涙が落ちた。
しばらくして、一人の村人が立ち上がった。
「……だったら、俺もやる」
続いて、別の女性。
「私も」
「本当に病気なら、調べてみたい」
「子どもたちには、同じ苦労をさせたくねぇ」
声が少しずつ増えていく。
もちろん全員が賛成したわけではない。不安そうな顔も残っている。
それでも。
誰かが、ぽつりと言った。
「……変えられるかもしれねぇな」
『――原罪から、逃げてはならない』
黒い箱は、相変わらず古い言葉を繰り返しているが、もう誰も頭を下げなかった。
スカラは、その光景を見つめていた。
変わったのは、機械ではない。人間の方だ。
「……なるほど」
スカラは、ゆっくりと祭壇へ歩いた。
「何をする気だ!」
オサが叫ぶ。
スカラは答えず、黒い箱を見上げる。すると、花や布の隙間に擦り切れた文字が見える。
――音楽。
スカラは箱の側面へ手を伸ばした。
その瞬間、袖の下で三本の光の輪が淡く明滅した。
『――接続を確認』
頭の奥に声が響く。
「……!」
周囲の誰も反応しない。
『――照合中』
スカラは一瞬だけ眉を寄せたが、箱へ視線を戻した。
側面に残っていた小さな操作部を押す。
カチリ。
『――罰から、逃げては……』
声が途切れた。
静寂。
村人たちが息を呑む。
「……神の声が」
オサが呟いた。
スカラは別の操作部に触れた。
すると。
♪――
小さな音楽が流れ始めた。
明るい旋律。
笛のような音と、いくつもの弦の音。
やがて、子どもたちの笑い声が混じった。
『もう一回!』
『はいはい、次で最後ですよ!』
大人たちの拍手。
そして、また笑い声。
プツン。
音楽が途切れた。
誰も口を開かなかった。
オサは黒い箱を見つめていた。
「……こんな音が、残っていたのか」
スカラは、静かに頷いた。
「この機械は、呪いのためだけに造られたものじゃない」
ヤナたちを見た。隣には母親がいる。その後ろに、一人。また一人と、村人たちが集まっていた。
「……さて」
スカラが口を開いた。
「まず、この村のことを教えてほしい」
ヤナが顔を上げる。
「……はい!」
広場には、もう神の声は響いていなかった。
代わりに、人々の声が聞こえていた。




