第十三話 初めての反抗
明け方、アルスは鶏の声で目を覚ました。
横を見ると、スカラが穏やかな寝息を立てていた。昨夜、あれほど考え込んでいたのが嘘のようだ。
外には、まだ見張りの気配がある。
朝になれば、この村を追い出される。
スカラには、病気の原因について何か考えがあるらしい。だが、村人が話を聞いてくれなければ、確かめることさえできない。
「……どうすればいいんだろう」
その時。
コン。
コンコン。
床の下から、小さな音がした。
「……?」
竹と竹の隙間を覗き込むと、そこにヤナがいた。
「ヤナ!?」
ヤナは慌てて唇に人差し指を当てた。
「しーっ!」
それから、扉の方を指す。
アルスがそっと外を覗くと、見張りの男たちが二人そろって地面に寝転がっていた。
傍らには、空になった芋酒の壺。
「……何があったの?」
「昨夜、お酒を届けたんです」
「ヤナが?」
「はい。夜は冷えるからって」
「それで、二人とも飲んじゃったんだ……」
ヤナは小さく頷いた。
「私……初めて村長の言いつけを破りました」
その声は震えていた。
「見つかったら、きっと怒られます」
「だったら――」
「でも!」
ヤナが顔を上げた。
「お母さんを、助けたいんです」
アルスは口を閉じた。
昨日まで、村の掟に逆らうことすら考えられなかった少女が、今は自分たちを助けに来ている。
「……分かった」
アルスは頷いた。
「ちょっと待ってて」
スカラの肩を揺する。
「スカラ!起きて!」
瞼をゴシゴシしながら目を覚ます。少しボーとしているようだ。
「……何だ?」
「ヤナが来た!」
スカラはようやく目を開けると、床の隙間からこちらを見ている少女に気づいた。
「……なるほど」
すぐに起き上がる。
「では、行こう」
「ちょっとは驚いてよ!」
三人は見張りを起こさないよう、そっと小屋を抜け出した。
***
村の裏手。
朝靄の残る細い道を進み、ヤナは人目のない木陰で足を止めた。
「……あの」
「どうしたの?」
アルスが尋ねる。
ヤナは二人を見た。
「昨日の話、本当なんですか?」
「病気のこと?」
「はい」
小さな声が震える。
「あれは……本当に、呪いなんかじゃないんですか?」
スカラが口を開こうとした。
だが、その前にアルスが答えた。
「俺は、呪いなんかじゃないと思う」
「……!」
「病気のことは俺には分からない。スカラみたいな知識もないし、神様のことだってよく知らない」
アルスは少し考えた。
「でも、一つだけ聞いていい?」
「……はい」
「ヤナは、何か悪いことした?」
「え?」
「誰かを傷つけたり、困らせたり」
ヤナは首を振った。
「……してません」
「ヤナのお母さんは?」
「お母さんは……すごく優しい人です」
「だったらさ」
アルスは笑った。
「二人が罰を受けなきゃいけない理由なんて、俺には思いつかないよ」
「……」
「ヤナはいい子じゃないか」
まっすぐに目を見た。
「少なくとも、俺はそう思う」
ヤナの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「えっ!あ、ごめん!俺、変なこと言った?」
ヤナは何度も首を振った。
涙が次々と溢れ、顔がくしゃくしゃになる。それでも、笑っていた。
「違うんです……」
「え?」
「そんなこと……」
息を詰まらせる。
「そんな優しいこと、初めて言われたから……」
アルスは何も言わなかった。
ヤナが涙を拭うのを、じっと待った。
しばらくして、そっと尋ねる。
「お母さんに会わせてくれないか?」
ヤナが顔を上げる。
「スカラと一緒に、何かできないか考えたいんだ」
スカラも頷いた。
「私も診てみたい。もちろん、お母さんが許してくれるなら」
「……!」
ヤナの目が大きくなった。
「それに、私が探している素材も、この森にあるようだからね」
「……スカラ」
アルスが振り返る。
「今、それ言う?」
「事実だ」
「ほんっと、そういうところなんだよなぁ……」
ヤナが思わず笑った。
スカラは不思議そうに首を傾げた。
ヤナの家は、村の外れにあった。
小さな竹の小屋。壁はところどころ朽ち、屋根にも穴が開いている。
ヤナがそっと扉を開けると、薄暗い室内へ朝の光が細く差し込んだ。
ゴホ。
ゴホ……。
咳が聞こえた。
蒸し暑い朝なのに、布団の上に横たわる女性は厚い毛布を巻きつけて震えていた。
「お母さん!」
ヤナが駆け寄る。
「市場で会った、アルスさんとスカラさん」
女性はゆっくり体を起こそうとした。
「ヤナが……大変お世話になりました」
苦しそうに、それでも頭を下げる。
「どうお礼を申し上げたら……」
「そのまま寝ていていい」
スカラは傍らに座った。
「少し、体の状態を確かめてもいい?」
女性は戸惑っているが、ヤナがそっと手を握る。
「お母さん……」
しばらくして、女性は小さく頷いた。
毛布がめくられる。
アルスは息を呑んだ。
片脚が、大きく腫れ上がっている。皮膚は厚く硬くなり、まるで木の皮のようにごわついていた。
思わず、一歩下がりそうになる。
その瞬間、ヤナの言葉が浮かんだ。
――私が近くに行くと、みんなが嫌がります。
アルスは足を止めて、もう一度前へ出た。
スカラは母親に痛む場所を尋ね、腫れの様子を確かめていった。
「熱が出るのは、ずっと?」
「いえ……何日かすると下がります」
「そして、また?」
「……はい」
「脚が腫れ始めたのは?」
「何年も前です」
スカラは頷いた。
次に、部屋を見回す。
水瓶。開け放した窓。軒下に溜まった雨水。夜に使う寝具。
「……なるほど」
「何か分かったの?」
アルスが尋ねる。
「まだ断定出来ないが疑っている病気はある」
「本当!?」
スカラは母親へ向き直った。
「その病気なら、触れただけで人から人へ直接うつることはない」
「……え?」
ヤナは母親の手を見た。
ずっと、触れることさえ禁じられたその手を、ぎゅっと握り直す。
「治せるの?」
アルスが尋ねた。
スカラは少し間を置いた。
「長年続いた脚の腫れは、元に戻らない部分があるかもしれない」
ヤナの顔が曇る。
「でも」
スカラは続けた。
「苦しさは和らげるかもしれない。それに、原因が分かれば、これ以上病気になる人が減らせる」
「……本当ですか?」
「試す価値はある」
ヤナの瞳が揺れた。
スカラは室内を見渡した。
「そのためには、村の人たちの暮らしを知りたい。水の使い方も、病気が出た時期も、どんな虫がいるのかも」
「……」
「私一人では分からないことばかりだ」
アルスが頷いた。
「そのためにも村のみんなの協力が必要なんだ」
ヤナは母親の手を握ったまま俯いた。
村長にも、村人にも、昔からの言い伝えにも逆らうことになる。
「……無理です」
小さく呟いた。
「私が何を言っても、きっと誰も聞いてくれません」
「ヤナ」
アルスが傍へしゃがんだ。
「市場まで何時間も歩いて、村のみんなの食べ物を買ってきたのは誰?」
「……私です」
「病気の人の家へ、食べ物を届けているのも?」
「……私です」
「だったら」
アルスは笑った。
「この村のみんなが、どんなに困ってるか。一番近くで見てきたのはヤナじゃないか」
「……私が?」
ヤナは母親を見た。
熱に苦しみながらも、娘を心配そうに見つめている。
「……怖いです」
ぽつりと呟いた。
「村長に逆らったことなんて、一度もないから……」
「うん」
アルスは頷いた。
「怖いよね」
「……」
「俺も、オオカミ岩じゃ死ぬほど怖かった」
アルスは笑った。
「でもさ。怖くても、やってみるしかない時ってあるんだよ」
ヤナの瞳に、迷いが浮かんだ。
長い沈黙。
やがて、小さく頷く。
「……分かりました」
アルスが笑う。
ヤナも、ほんの少し笑った。
その時だった。
「いたぞ!」
外から怒鳴り声が響いた。
三人が振り返る。
開け放された扉の向こう。小屋へ続くぬかるんだ道に、いくつもの足跡が残っていた。
「……来たか」
アルスが呟く。
何人もの男たちが走ってくる。先頭にいたのは、村長のオサだった。
「ヤナ!」
低い声が響いた。
ヤナの顔から血の気が引く。
オサは室内を見た。
病に伏せる母親。その手を握るヤナ。そして、二人のよそ者。
「……お前」
オサの表情が変わった。
「病を見せたのか」
ヤナは震えていた。だが、今度は俯かなかった。
「……はい」
オサが目を見開く。
ヤナは母親の手を握ったまま、もう一度言った。
「私が、お願いしました」
「……」
「お母さんを、助けてほしかったから」
その瞬間、オサの顔からすべての表情が消えた。
「……連れていけ」
男たちが動き出す。
「二人ともだ」
「村長!」
ヤナが叫んだ。
だが、オサは答えず、ただ低い声で告げた。
「村の掟を破った者には、償ってもらわねばならない」




