第29話 聞かないまま、見る
翌朝、雨の匂いはなかった。
空は高く、
雲は薄く伸びている。
何事もなかった朝みたいに、
街は動き始めていた。
私は、礼拝所の前に立っていた。
壊れた床は板で覆われ、
円の形は、もう分からない。
装置は、撤去されたのか、
それとも、触れないまま封じられたのか。
誰も、説明しない。
説明しなくても、
日常は戻る。
それが、人の強さで、
弱さだ。
私は、耳を澄まさなかった。
それでも、見えてしまう。
石の隙間。
木の影。
人の集まった場所の端。
何かが選ばれた痕跡。
音じゃない。
光でもない。
ただ、
「ここで、決めた」という残り香。
マレナが、隣に来た。
「まだ、聞こえない?」
「うん」
「戻したい?」
少し考えてから、首を振る。
「……たぶん」
「戻したら、
また全部、背負う」
マレナは、小さく笑った。
「それ、
もう背負わないって決めた顔だよ」
私たちは、街を出た。
谷へ向かう道。
崩れた場所には、簡単な柵が立てられている。
危険、立入禁止。
それ以上の言葉は、ない。
その足元に、白い羽根が落ちていた。
拾い上げると、
胸の奥が、かすかに震える。
音は、聞こえない。
でも、分かる。
これは、
「力の欠片」じゃない。
役割の名残だ。
「……猫は、もう来ないと思う」
私が言うと、
マレナは、驚かなかった。
「引き継いだ?」
「ううん」
首を振る。
「真似ただけ」
判断しない。
介入しない。
でも、消さない。
「見ることだけ、続ける」
それが、私の選択だった。
世界を救わない。
壊しもしない。
ただ、
選ばれた痕跡を、
なかったことにしない。
谷の奥で、
一瞬だけ気配がした。
振り返っても、
何もいない。
足跡も、ない。
猫は、完全に姿を消した。
私は、少しだけ寂しくて、
でも、不思議と安心していた。
「……行こう」
マレナが言う。
私は、頷いた。
聞かないまま、
見る。
それが、
私の居場所だ。




