第28話 役目を終えた人
雨の夜から三日が過ぎた。
街は、思ったより早く落ち着いた。
壊れた床は板で塞がれ、
礼拝所には近づくな、という札が立てられただけ。
谷の方でも、同じだった。
崩れた土はそのままに、
人は別の道を使い始めている。
誰も、大きな声で責任を問わなかった。
たぶん、
**問い続けるのが怖かった**のだと思う。
私とマレナは、谷に近い古い小屋で、追跡者と向かい合っていた。
彼は、立ったままだった。
椅子を勧めても、首を振った。
「……先代の話をしよう」
そう言った時の声は、淡々としていた。
怒りも、悔いもない。
ただ、記録を読むみたいな調子。
「最後の夜、あの人は——」
追跡者は、少しだけ間を置いた。
「**何もしなかった**」
私は、黙って聞いている。
驚きは、なかった。
どこかで、もう分かっていた。
「雨は、来ていた」
「止めることも、逸らすことも、できた」
彼は、事実だけを並べる。
「だが、あの人は耳を澄まさなかった」
「猫も、追わなかった」
「街にも、谷にも、行かなかった」
マレナが、静かに息を吸った。
「……じゃあ」
言葉を選びながら、聞く。
「逃げた、ってこと?」
追跡者は、すぐに首を振った。
「違う」
即答だった。
「逃げるなら、
もっと早く、もっと派手にできた」
彼は、窓の外を見た。
雨の跡は、もう乾いている。
「**降りると決めた**んだ」
「選択の場から」
その言い方が、不思議と重くなかった。
「……結果は?」
私が聞く。
追跡者は、少し考えてから答えた。
「世界は、歪んだ」
「だが、終わらなかった」
それだけ。
良かったとも、悪かったとも言わない。
「その後、あの人は?」
マレナの問いに、彼は答える。
「雨を語らなくなった」
「力を失ったのか、
使わなかったのかは、知らない」
「ただ——」
一拍。
「**記録だけは、残した**」
追跡者は、懐から一枚の紙を出した。
古く、端が擦り切れている。
そこには、地図とも、日記ともつかない線が引かれていた。
場所。
日付。
そして、小さな印。
「足跡だ」
猫のものか、人のものか、
見分けがつかない印。
「選択があった場所にだけ、残っている」
私は、その紙を見つめた。
胸の奥が、静かに鳴る。
——同じだ。
今の私が、見ているものと。
「……正しかったんですか」
思わず、口に出た。
追跡者は、私を見た。
初めて、感情が揺れた気がした。
でも、答えは短い。
「知らない」
「私は、
正しさを測るために、
あの人を追っていたわけじゃない」
「ただ、
**終わったことを確認する役**だった」
沈黙が落ちる。
重くない。
でも、逃げ場もない。
「……じゃあ」
私が言う。
「あなたは、
今の私を追ってるんですか」
追跡者は、少し考えた。
そして、首を振る。
「いや」
「もう、追っていない」
「お前は、
まだ選択の中にいる」
「先代は、
そこから降りた」
「それだけの違いだ」
外で、風が鳴った。
雨の匂いは、しない。
私は、ゆっくり息を吐いた。
「……降りる、か」
その言葉を、口の中で転がす。
追跡者は、背を向けた。
「降りるのも、
残るのも、
どちらも選択だ」
扉が閉まる。
足音が、遠ざかる。
小屋には、私とマレナだけが残った。
「……どうするの?」
マレナが聞く。
私は、答えなかった。
まだ、決めていない。
でも、分かったことがある。
先代は、
世界を救おうともしなかった。
壊そうともしなかった。
**ただ、役目を終えた**。
それが、
終わり方の一つなのだと。
外に出ると、地面に薄い跡があった。
交わらない、二つの足跡。
並ぶことも、重なることもない。
私は、それを消さずに、通り過ぎた。
次に選ぶのは、
私だ。




