寒戸の婆
「今日は外に出たくねえな」
男は六畳一間の安アパートの窓を覗いて言う。
視線の先では強風がゴウゴウと吹き、砂礫がクルクル舞っていた。
確かにこんな日は外に出たくないことは分かる。
が、彼の言葉にはひとつ訂正すべき場所がある。
それは『今日は』ではなく『今日も』であることだ。
彼はここ数年間、滅多なことに外に出ず、無気力で自堕落な生活をしていた。
昔から出不精であったが、ここ最近は特に酷い。
それもこれも外に出る切欠を失ってしまったからだろう。
昔の彼には活発で行動力のある親友がいた。
正反対の性格であったが、何かとウマがあった。
親友の男に引きずられ色んなことをしたものだ。
口では「めんどくせえ」「なんで俺が……」と言いつつも、まんざらではない顔をしていた。
だが、その親友はもういない。
今では疎遠になった友人達と鍋を囲んでいるときのことだ。
「ちょっとタバコ吸ってくる」と外に出たっきり、帰ってこなかった。
携帯は繋がらない、家にも帰っていない、警察の捜索網にも全く引っかからない。
世間は行方不明と断定した。
それからというもの、彼の心にはポッカリとした穴が空いてしまった。
何をするにもやる気が起きなかった。
時間が穴を埋めてくれるかと思ってみたが、広がる一方だ。
もう一眠りするかと布団へ戻ろうとした矢先、滅多なことに機能しないインターホンが鳴る。
が、彼はそれを無視して布団に潜り込んだ。
安アパートのインターホンを鳴らすのは、押し売りか宗教の勧誘、あるいは某TV局の集金ぐらいだ。
こういうのは無視するに限る。
そうすれば、そのうち諦めてどこかに行ってくれる。
だが、今日の客はどうやら違うらしい。
いつまで経っても玄関先から気配が消えない。
「いるんだろ? 出て来いよ!」
ドアの向こうから聞こえてきたのは女の声だ。
聞き覚えは無い。しかし、どこか懐かしさを覚えるイントネーションだ。
ふと、ドアの向こうの相手が気になった。
こんな気持ちになるのは何時ぶりだろうか。
布団から抜け出すと、ドアに向かい、覗き窓の先を見る。
『うわぁ……ないわー』
ドアの先にいた者の姿を見た感想がこれである。
女がいた。
そこまではいい。問題はその先だ。
女は女でも金髪碧眼の美少女であった。
その上、彼女は俗に言うゴスロリファッションに身を包んでいた。
日本語を話す金髪碧眼というだけで十分に怪しいのに、さらにゴスロリである。
三次元世界でゴスロリを着るやつなんてメンヘラか、自称カワイイ系ぐらいだ。
正直関わりあいになりたくない。
だから彼は回れ右をする。
そして布団の中に潜り込もうとして……できなかった。
目の前が突然光ったと思ったら、ドアの向こうにいたはずの彼女が布団の上で腕を組み、直立不動の体勢で睨みをきかせていたからだ。
「ああくそ、てめぇ、やっぱいるじゃねえか!」
あまりの出来事に目をパチクリさせて呆けることしかできない。
そんな彼の前で彼女は小さな口を尖らせて言う。
「……ったく、心配させやがって。死んだんじゃねえかと思ったぜ」
その口から出てきたのは容姿からは想像できないような、ぶっきらぼうな言葉だ。
「……って、おい。お前、何時まで呆けてんだよ。人の話を聞きやがれってんだ」
目の前で手を振っても反応が無いと見るや、少女は彼のスネを蹴り上げた。
あまりの痛さに我に返る。
しかし、状況がまるで分からない。
「あんた一体なんなんだ! 俺に何しようってんだよ!」
こてん、と首をかしげる少女。
そして、しばらくした後に納得したように、ぽんっと手を叩いた。
「ああ、この格好じゃわからねぇよな。俺は――」
そうして少女の口から出てきた名前は行方不明になったはずの友人のものであった。
古来より現代に至るまで、この国には未解決の行方不明事件が数多く存在する。
何の前触れも無く忽然と姿を消す者たち……
彼らは神域に迷い込んだり、神や天狗に連れ去られたりしたのだという。
これらを総じて神隠しという。
『寒戸の婆』は神隠しの話として有名である。
むかし、遠野の寒戸に住んでいた娘が、木の下に草履を残したまま姿を消した。
村の者が方々探し回っても見つからなかったが、30年後の風の強い日、親戚達が集まっているところに老婆の姿となった娘が戻ってきた。
しかし彼女は「皆に逢いたくて帰ってきたが、山に戻らなくてはいけない」と言い残し去っていったという。
それからというもの、風の強い日には「寒戸の婆が帰ってきそうな日だ」と言われたという。
目の前で少女が腕を組み、ウンウンと頷いている。
「まったく、お前ってヤツは俺がいねえと、やっぱりダメなんだな」
そして何かを思いついたように、ぽんっと手を叩く。
「よし決めた。お前、俺と一緒に来い。色々と見せてやりたいものもあるしな!」
有無を言わさずに彼の手を掴み、グイっと引っ張る。
すると部屋の中が眩い光に包まれる。
「なんだよこりゃあ、ふざけんなよ」などと彼は言っているが、その顔はまんざらではない様子。
そんな彼を尻目に、光の中で恥ずかしそうに少女は呟く。
「それに……さ、俺もやっぱりお前がいねえとダメなんだわ」




