四話
「20分後に出発する。準備しておけ」
朝食後、唐突にサインが声を張る。
手には花束を持っている
「え~お出かけ?やった」
少女が嬉しそうに微笑む
・・・3分後
彼女に準備時間は20分も必要なかったらしい
外出用に支給されたとても涼しげで簡素な服に着替えるのと外出の際に必要なものだけが入ったショルダーバックを持った
サインは靴紐を結びながら、ちらりと振り返る。
「今日からお盆って言う日だ、前から行くつもりだったんだ、こんな仕事が入るのは想定外だったよ」
少しだけ口角を上げる。
「だが、荷物持ちが増えたと考えると悪くないかもな」
わざとらしく視線を向ける。
少女は一瞬ぽかんとしてから、眉をひそめる。
「“おぼん”ってなぁに?楽しいこと?」
「そんなわけねぇだろ」
即答だった。
「でも行くって決めてんだよ」
サインはそれだけ言ってドアを開ける。
少女は、慌てて後を追う。
「えぇ~楽しくないところにわざわざ行くの?」
・・・・・・
夏の朝の光は、やわらかく街の輪郭をなぞっていた。
どこからか蝉の鳴き声が聞こえてくる
高層ビルのガラスには、雲がゆっくりと流れている。
反射した空は現実よりも少しだけ青く見えた。
マンションの階段を降り、ゴミ捨て場の前を通り、角を曲がる
車道を走る車は、ハンドル操作のない自動走行車ばかりだ。
停止も発進も滑らかで、人間の判断が入り込む余地がない。
アリアは、少しだけ歩幅をずらして歩いていた。
サインの半歩後ろ。
ときどき前に出て、また戻る。
赤信号で止まる
相向かいにはスーツに身を包み重そうなカバンを持った人や制服を着た学生、
みんな忙しそうだ
信号が青になる
「ねぇ」
周囲をしきりに見回しなが、アリアが言う。
「みんなさ、どこ行ってるの?」
「仕事だろ」
短く返すサインの声。
視線は前のまま。
「ふーん」
(平日の朝っぱらから出歩けるのもこの期間の特権かもな)
ちょっと優越感を感じる
駅に入る。
改札はゲートというより、通過するだけの空間になっている。
立ち止まる必要もなく、歩くだけで認証が終わる。
ホームは明るく、静かだった。
壁面には天気や交通情報、見飽きた広告が淡く表示されている。
電車が滑り込んでくる。
従来よりも細く、長い車体。
振動がほとんどない。
ドアが開く。
電車は静かに滑り出す。
景色はどんどん移り変わる。
彼女は外の景色を見入っている
電車静かに加速し、地下に入っていく
「見て!お兄さん!地面が上がっていってるよ」
そんな風に思うんだ、面白いな、すこし笑みがこぼれる
そんなことを考えているうちに
墓地に着く。
静かだった。
風が草を揺らす音だけが響く。
少女は少し戸惑ったように周囲を見る。
「さっきさ……その、死んだ人がいる場所って言ってたけど、本当にいるの?」
「あぁ、骨になってな」
サインはあっさり返す。
迷いのない歩きで進んでいく
一つの墓の前で止まり、しゃがみ込む。
桶に水を汲み、墓石にかける。
少女はその様子をじっと見ている。
「……その人、大事な人?」
「母親だ」
短く答える。
だが声は少しだけ低い。
「働きすぎて死んだ」
母の疲れた顔、訃報を聞いたとき、簡素な葬式の時。鮮明に思い出してしまう
淡々と続ける。
「俺のために、ずっと無理してた。金なかったからな、休まず働いて……そのまま倒れて、そのまま終わりだ」
IBTに入社できたのも母親のおかげだった
少しだけ間ができる。
「力があるやつらにいいように扱われてたんだ、馬鹿みたいだろ」
小さく笑うが、感情は乗っていない。
「だから嫌いなんだよ」
ぽつりと落とす。
「自分を大切にしないやつ。どうせ壊れるって分かってるのに、それでも止まらないやつ」
少女がゆっくりサインを見る。
少し考えるようにしてから、口を開く。
「お兄さんにとってさ……私もそう見えてる?」
声はいつもより少しだけ静かだった。
サインは一瞬だけ詰まる。
だが視線は逸らさない。
「見えてるな。お前、自分のこと道具だと思ってるだろ」
少女は少しだけ笑う。
「うん、だってそうだし。」
サインは小さく息を吐く。
墓石に水をかけながら、ふと口を開く。
「なぁ、ずっと気になってたんだけどさ」
「なぁに?」
「お前のこと、なんて呼べばいい?番号で呼ぶの、なんか……やりにくい」
少し言葉を選びながら続ける。
「前の監視者とか、なんて呼んでたんだ」
少女は少し考えてから、思い出したように言う。
「え?名前……っていうか、呼び方?」
指を折りながら、軽く言う。
「×××とか■■■■■とか。あと、他のもあったけど、あんまり覚えてない」
あまりにも普通の顔だった。
サインの手が止まる。
「……は?」
思わず低く漏れる。
少女は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
サインは視線を逸らす。
「下種が……」
抑えた声だったが、はっきりとした怒りが滲んでいた。
「げす?」
少女は意味が分からず首を傾げる。サインは何も答えない。
柄杓を強く握る。水面が揺れる。
「……そんなん、名前じゃない。呼び方ですらない」
「そうなの?」
「当たり前だ」
少し強めに言う。
そして、少しだけ声を落とす。
「ちゃんとしたの、ないのか?」
少女は少し考えるように下を向く。
少しだけ迷う。
「あるよ」
その声は、ほんの少しだけ明るかった。
サインが視線を向ける。
「……なんて?」
少女は一度だけ息を吸う。
そして、少しだけ大事そうに言う。
「「アリア」」
風が吹く。
少女はそのまま続ける。
「ずっと昔につけてもらった名前なの」
少しだけ笑う。
でも、その笑顔はどこかぎこちない。
「自分で言うの、ちょっと変な感じするけど……でも、なんか嬉しい」
ゆっくり、もう一度言う。
「アリア」
その声は、さっきより少しだけ柔らかい。
サインは一度だけ頷く。
「じゃあ、それで呼ぶ」
ぶっきらぼうに。
「番号よりマシだ」
少女の表情が少し明るくなる。
「ほんと?ちゃんと名前で呼んでくれるの?」
「当たり前だろ、わざわざ聞いたんだからな」
「……そっか」
小さく笑う。
「アリアって呼ばれるの、ちょっと楽しみかも」
サインは視線を逸らす。
「ほら、お線香に火つけるぞ、”アリア”。ぼーっとしてんな」
「はいはーい」
笑顔が広がる
アリアが動き出す。
そして、思い出したように顔を近づける
「じゃあ、お兄さんのことも“サイン”って呼ぶね!」
こうして不思議な関係の二人の共同生活が始まったのである。




